第1話
男達の絶叫と怒号が、世界を揺らす爆発音に紛れて霧散する戦場。
着弾で抉れた土片が雨のように降り注ぐ中、地に伏して息を殺す男がいた。
枯れた土に馴染む、赤錆色の長髪と日に焼けた浅黒い肌をもつその男の近くに、小銃を構えた数人の敵兵が慎重に近付き、やがて男の間合いに入る。
ーー瞬間。
そう、宛ら蜘蛛のように男は飛び出す。
筋肉で引き締まった巨躯をしならせ、長い腕が突起の付いた棍棒を躊躇いなく振る。
棍棒の軌跡が敵兵の頭を砕き、穿ち、脳漿と血肉で大地を赤く湿らす。
血泥の泥濘を作った彼は、息一つ乱さない。躯を見下ろす目は、小石を眺めているのと変わらない、物を眺める無関心さが映っていた。
彼は、戦場を歩む。
轟音で散る仲間達も、下半身だけになっている敵も視野には入るが、何も思わない。
ーー奴隷戦士。
幼少、物心がついた時から彼は最前線に居た。
最低限の粗末な防具だけが許された消耗品であり、人ではなく”数字”の一つでしかないが、既に大人である彼は、実に十年以上生き抜いている歴戦の戦士。
類稀な体躯と人並外れた膂力を持った彼は、赤錆色の髪を揺らし、棍棒で死を撒き散らし続けてきた。
そんな彼がふと足を止めて、空を見上げた。
何も映さない目は摩耗し、渇きひび割れ切った心が現れているのか。
そして、心残る唯一の渇望。
ーー”外”に出たい。
そう思うと同時に、彼の身体は至近弾の着弾に巻き込まれ、土埃の中で錐揉みとなり、血煙が尾を引いた。
***
ーー…?
意識が目覚め、最初に感じたのは臭い。
土に混じる血泥の匂い。
彼は、己の心中を語る言葉を知らないが、異変には気がついていた。
死んだものと思っていたが、何故か意識がある異変。
だが、視界は暗く、そして自分の上に重さを感じ下は丸みを帯びた凹凸。
そこで初めて、己が俯せに倒れていた事に気がつく。
ーーっ!
もがく。
渾身の力を込めるが、じわりとしか動かない。
それに、身体の感覚にも異変があった。
ーー恐怖。
様々な異変と、見通せない状況に本能が死の恐怖を叫び、頭と心に波が起こり、冷静さが沈み始める。
しかし、彼はふぅと大きく息を吐いた。
知らない。しかし、経験が覚えている。
この波に呑まれた奴から、死ぬ事を。
己は、この波と戦場で生き抜きた事を。
ーー…
波が引き、冷静になれば自分が何処にいるのか、どうなっているのかはすぐにわかった。
重さ、揺れ、臭いーー
自分が死体の中にいる事。
そして、死体として”捨て谷”に棄てられる荷馬車にいる事を。
気がつけば、早かった。
なんとか万力を込めて逃げようとするが、力は入らない。
痛みもないのに力が入らない。
特に、左側は力が入っている感覚すらない。
心の中で、引いたはずの波がまた立ち始める。
追い打ちをかける様に、馬車は一際大きく揺れて止まり、徐々に地面が傾き、床であった死体達がずるりと湿った重い音をたてながら、滑っていく。
ーー死にたくないっ!
彼はそう思いながら、宙に落ち投げ出されて暗い空を見上げた。
己を見下す男達の顔が、松明の灯りに晒される。
彼らの目は一様に物を見る、熱の無い目をしていた。
そこに手を伸ばしたところで、自分の身体が既に半分以上炭になっている事を知った。
衝撃。
強い衝撃を背中で受け、身体が跳ね転がる。
視界のが薄くなっていき、身体から熱と命が抜けていくのを感じた。
ーー嫌だ。嫌だ。いやだっ!
拒否を、拒絶を許されない人生だった彼の、最大で最後の拒絶。
その声なき声は、何に届いたのか。
「…ほぅ。その身体我が貰おう」
消え去る寸前、彼の耳に届いたのはざらりとした異質な音の様な低い声。
死に瀕しているのに、尚も命が危険を告げる声。
だが、抗う事のできない絶対的強者の声に、彼は意識は谷底の様に深い暗闇へ落ちていった。
さて、彼の事をここまで追ってきた諸君に告げさせていただこう。
もう一つは、ここではない場所から始まるーー
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