また、逢えたね——
@yumami2714
第1話 秘密は小説よりも奇なり
肌寒さで季節の変わり目を感じるようになったこの頃。別大国道を見下ろす空も、心なしか高く澄んで見える。
阿蘇大観峰へ向けて走る車内では、懐かしの昭和歌謡がゆったりと時間を刻むように流れている。
浮かない顔でハンドルを握る朝比奈ハルト(あさひな はると)30歳。
その助手席には、まるで女優気取りの大きなつばのハット。
豊満な胸を強調したいが為の、露出したトップス。
風と相性最悪のフリフリなスカート。
ポキッと一瞬であの世行き間違いなしのピンヒール。
そんな装いの芦刈沙苗(あしかり さなえ)28歳は、身の置き場がないといったように縮こまっている。
沙苗の予想とは裏腹に、質素で生活感ただよう車内。まるで異世界の住人のような服装は、どう見ても浮いている。
フリルの裾をそっと指先でもてあそびながら、沙苗はフロントガラス越しに眩しく走るオープンカーを、ただ凝視している。
(IT企業って、誰もが羨む高級車なんじゃないの? これ、学年担任の"ハゲ山"と同じヤツじゃん。マジ最悪)
「はぁ〜……」
思わず小さく漏れた溜め息。
沙苗の装いとは対照的に、ハルトは厚手のトレーナー、ジーンズ、スポーツシューズといったラフな格好。
だがそれさえ"サマ"になる。
なんせ、175センチの高身長。
綺麗な弧を描く涼しげな目元に、スッと通った鼻筋。
きちんと手入れされた顎ヒゲは、精悍な顔立ちに更に色気を際立たせている。
非の打ち所がない、いわゆる"イケメン"である。——"見た目には" と、付け加えた方が正確かもしれない。
どこでどう漏れ伝わったのか――
30年頑なに守ってきた“秘密”を、よりによって同じビル内に勤める沙苗に勘づかれてしまった。
それをネタに揺さぶりをかけてきた面倒な女。沙苗はハルトにとって、それ以上でも以下でもない存在だ。
そんな女との意図しない大観峰へのドライブが、ハルトの浮かない顔の原因だ。
(それにしてもこの容姿でね〜……)
沙苗は撫でまわすような視線をハルトに這わせた。
(にわかには信じがたい話だけど……まさか、童貞だなんてね)
沙苗は心の内でほくそ笑んだ。
誰にも気づかれたくないハルトの秘密。それは未だ女性経験ゼロだという、まさに"信じがたい"事実だ。
「——その帽子……」
長く続いていた沈黙を終わらせたのは、ハルトだった。
沙苗は咄嗟に笑顔を取り繕い、堰を切ったように喋り出す。
「素敵でしょ! あのハリウッド女優も被ってて、え〜っと名前なんだっけ」
俗に言うアニメ声に、ハルトは苛立ちを抑えながら言葉を放った。
「運転の邪魔なんだけど」
「——そう……」
"鳩が豆鉄砲を"とは、まさにこんな表情だろう。そのまま沙苗は押し黙ってしまった。
落胆しながら帽子を脱ぎ膝に置き、つばをキュッと掴む沙苗。
バツが悪そうに視線をおよがせると、後部座席に置かれた"優しい園芸"のタイトルの雑誌が目に入る。
その横には色褪せ気味のソフトバンクホークスのジャンバー。
沙苗は眉をひそめた。
「あの、まさか……園芸が趣味とか……?」
沙苗が恐る恐る話しかける様子を察したハルト。
「ん? あぁ、オヤジのな」
素っ気なくだが、先ほどよりは抑揚のある声で応えた。
「よね〜! そうよ、そうよ」
表情を一変させ、沙苗はヒールの足をピョンと跳ね上げた。
(このダッサイのもお父さんのに違いないわ)
再びソフトバンクホークスのジャンバーを見ながら、沙苗はホッとした。
———
10日ほど前、ハルトの勤務先のテナントビル内にある自販機前。それが沙苗と初めて言葉を交わした場所だった。
昼休憩終わりのハルトが自販機前に立っている。ハルトが愛飲している"さくらんBOY" には、可愛らしいチェリーのデザインがラベリングされてある。
午後イチはいつもコレと決めてある。
パンツのポケットから小銭を出し、投入口に入れようとしたその時だった。
沙苗がハルトの前にスッと割って入り、スマホを自販機にかざすと——"ガタンッ"という音と共に、さくらんBOYが排出口に落ちてきた。
目を丸くしながら沙苗を見ているハルトの手に、さくらんBOYを「どうぞ」と手渡しながら、ニコリと笑う沙苗を見てハルトは思い出した。
最近、決まってこの時間、この場所で遭遇する子だ。
遭遇? 本当にそうだったろうか?
背後からいつも感じていたむず痒さは……。
「やっぱりコレなんですね」
「ハッ?」
更に目を見開いてハルトが声を上げた。
「チェリーボーイ」
ハルトが手にしたさくらんBOYを指差しながら、沙苗が不適な笑みを浮かべた。
「な、な、な……なんで!?」
思わずさくらんBOYを後ろ手に隠し、後ずさるハルト。
すかさず沙苗は携帯番号をメモした名刺を手渡し、踵を返してエレベーターへと向かう。
扉が開き、ちょうど出てきた人々の間をすり抜け、沙苗は中へと入っていった。すぐさまハルトの方を振り向き声を飛ばす。
「チェリーボーイのお返しは結構なんで、先ずはドライブしましょ」
「チェ、チェリーボーイじゃなくてさくらんボーイ——」
エレベーターの扉が閉まり、沙苗の姿が消えると同時に、ハルトは片手を自販機に押し当てうなだれた。
以来、ハルトは"さくらんBOY"のボタンを押すことは、二度となかった。
———
車内を流れている昭和歌謡は、いつの間にか2周目を再生していた。
「なんだか渋い音楽ね。ん〜、私にはちょっと」
勝手にCDを止め、FMラジオに切り替えた沙苗は、流れてきた流行りの音楽に軽く身を揺らしながら、上機嫌にハミングしている。
右手に広がる別府湾に投げやりな視線を送るハルト。
日差しを遮った雲が、車ごと影で包んだ。
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