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 あたしの家は両親が不仲で、食べかけで放置されたコンビニ弁当みたいに冷え切った家庭内の空気感が何年も続いている。ちょくちょく喧嘩するくらいならまだいいが、最近はそれを超越して、互いの存在を最初からなかったものとして認識しているらしい。

 だから二人で生み出したはずの子どもであるあたしにも、何かと当たりが強い。もっともそれは、あたしが髪を染めたりピアスをしたり、学校をたまにサボったりするような素行の悪さを見せているからかもしれない。学校に母親が呼ばれた日の夜、この子がこんなにダメな育ち方をしたのはどっちのせいか……という言い合いをしている現場に遭遇してからというもの、あたしにとって自宅は安心できる場所ではなくなってしまった。


 だから、いつも放課後は街に出たりして時間を潰す。友達はいても、毎日同じ顔ぶれだと互いに飽きてしまうし、話しているうちに虚しくなってしまうからだ。この子は帰る家があって、親に護られていて、あたしよりも恵まれた環境に生きているんだ――と思うと、席を蹴立ててどこかへ消えてしまいたくなる。

 だから教室にもなんとなく残りづらくて、今日みたいに学校で時間を潰す日は、図書室へ足を運ぶのがお決まりの流れだった。うちの学校はお世辞にも真面目な校風ではなくて、放課後に図書室で過ごすような生徒は、図書局の連中くらいしかいないから、静かで居心地がよかった。

 図書室の一番奥、窓際の壁に沿って置かれた長テーブルの、一番端っこを空けてひとつ隣の席が、あたしの定位置だ。


 思春期に形成された価値観や人格は、昔の電化製品のようにぶっ叩いても治る類のものじゃない。このままだと苦しい……と思いこそすれ、心の奥底には(どうせあたしなんて)という諦念が深く根を張る。この雑草を枯らすには、かりそめの愛情などといった除草剤程度では効かず、いっそ辺り一帯をすべて焼き尽くすくらいの荒療治が必要だ。それは分かっている。

 だけどもう、今更ガソリンを手に入れるのすら面倒くさくて、あたしは今日もできるだけ、一人ぼっちで時間を潰すことにしていた。それなのにこの雨じゃ……と物憂げに窓の外を見つめていたら、図書室の扉が開いた。



(また、あいつ)



 大野倫太郎おおのりんたろう。いつも本を読んでいるクラスメイトの男子。真面目だけど秀才にはなりきれなかった男子。明るくはないけれど未だに仄明るい雰囲気を纏う男子。いま、大野はドアを丁寧に閉めて、足音もろくに立てずこちらに歩いてくる。


 貸出カウンターのあたりに集まる図書局の連中は、図書室に居座るくせに本をちっとも読まないあたしをうざったく思っているだろうが、いつも話しかけるどころか近づいてもこない。まあ、話しかけづらい外見をしている自覚はあるから、別にどうとも感じない。


 でも、大野は違う。絶対に図書室の一番奥、窓際の長テーブルで一番端の席に陣取って本を読む。

 言葉を発することもなければ、あたりを見回すこともしない。たとえあたしがすぐ隣で机に突っ伏して寝ていたり、スマホをいじったりしていても意に介さない。大野は今日も同じように、あたしの隣の定位置に腰を下ろすと、鞄から文庫本を取り出し、文字に視線を這わせはじめた。


 初めの頃、あたしの定位置は長テーブルの真ん中だった。でも、大野がいつも同じ席に座っていることに気づいてから、日ごとに間隔を詰めていった。いつになったら彼があたしを拒むようにして定位置をずらすのか、試してみたくなったのだ。

 けれど三つ隣、二つ隣……と徐々に近づき、ついに完全な隣同士になっても、大野は席を移ることもなければ、あたしのほうを一瞥したりもしなかった。

 そのことが、最初の意図とは裏腹に、あたしの内側をざらつかせた。あたしのことをなんとも思っていない? いてもいなくても構わない? あんたさえもそんなふうに思ってるの?


 腹が立つ。



「ねえ」



 気づけば声帯を震わせていた。さすがに普段通りの音量ではないが、あまりにも図書室の中が静まり返っていて、あたしの囁き声でさえよく通る。カウンターにいる図書局の女子が、ちらりとこっちを見たのを感じたけれど、声を発してしまった手前、黙ってもいられない。



「あんた、いつもわざわざここに来て本読んでるよね」



 大野はすぐに返事をしない。今も視線は文庫本に落ちていて、瞳は上から下へと動いていた。いよいよその指がページを捲ろうとしたのを見て、おい、と再び声を上げそうになった時――。



「ここが何の部屋か考えたら、本を読むのが普通だろ」



 大野の声は、教科書を読まされる時と、問題の答えを言わされる時程度しか聞いたことがなかった。教室の誰の耳にも届いているのに、本人は誰に届かなくても良いと思っている声。でも、いま大野が発した言葉は、あたしだけにベクトルが向いていた。



「教室でもずっと読んでんのに?」



 休み時間も、大野は一人で本を読んでいることが常だった。友達がいないわけじゃないけれど、休み時間のたびに席の近くで喋ったりするような仲ではないのか、本人がそれを望まないのか。単に本の続きが気になって仕方がないだけかもしれない。



「静かだからね」



 なるほど。



「地味だね」

「うるさい」

「ふん」



 この日、あたしは初めて授業以外の場所で大野と言葉を交わした。


 三往復で終わった会話は大半の人間が「それだけかよ」と言うだろうけれど、あたしはその後も大野の隣で何もせずにだまって机にもたれかかっていた時間が、なんだかやけに安らぎに満ちていた。

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