第5話 アリアが現れる

 ベッドに横たわるミランダ王妃の顔が苦しそうに歪んでいる。アレクシオ王子はベッドまで駆け寄ると王妃の手を握った。

「母上! しっかりしてください!」

 王子の声に、王妃が応えることはない。母の口から漏れてくるのは、荒い呼吸音だけだった。

 部屋の隅には、聖女セレナの姿もある。アレクシオ王子の命の恩人で、瘴気をも浄化する力を持つセレナだが、その力を持ってしてもミランダ王妃を救うことができない。

 そのセレナが下を向きながらこうつぶやいた。

「本当に申し訳ありません。魔力さえ弱っていなければ、ミランダ王妃をお救いできるはずなのに」


「君が謝ることではないよ。悪いのは全て、あの憎きアメリアだ」


「確かにアメリアさえいなければ……」


「セレナの魔力が弱ってしまったのは、アメリアが君に精神的苦痛を与え続けたためだ。そしてこともあろうに、今回は王妃の命を狙うとは……」


「もう許されることではありませんね」


「ああ、絶対に許さない。一刻も早くあの女の居場所を見つけ出し、薄暗い地下牢へ放り込んでやる」


「こんなことが二度と繰り返されぬように、見せしめ的な手を打たなければいけません」


「もちろんだ」


 セレナはアレクシオのそばまで近づくと、腕に触れながら声をひそめて話した。

「アメリアを聴衆の前で、刑に処するのもいいかもしれません。例えば……」


「斬首刑か。それもいい考えだ」


 アレクシオはセレナの柔らかい手を、自分の腕に感じながらそう答えたのだった。


 ※ ※ ※


「王子、入ってもよろしいでしょうか?」

 ドア越しに補佐官ジビルの声が聞こえてきた。王妃の命が今にも尽きそうな時にいったい何の用だ⋯⋯。そう思ったため、王子の口から出てきた返事は感情を殺した冷たいものになっていた。

「何だ! まあいい、構わない、入れ」


 シビルが慌てた様子で部屋へ駆け込んできた。四十歳を過ぎた白髪混じりの男で、普段は落ち着いているのだが、今は様子が違った。


「どうしたんだ?」


「実は、女性が城を訪ねてきております。ミランダ王妃をぜひ救いたいと申しております」


 騎士団の呼びかけで訪れた治癒魔法使いだろう。だが、すでに何人もの名高い魔法使いが駆けつけてくれたが、誰も王妃を救うことなどできずにいた。


「その魔法使いはアリアと名乗っております。聞いたこともない無名な魔法使いですがどういたしましょうか」


「無名か……」


「何か怪しい感じもします。追い返しましょうか?」


「……いや、母上がこのような状態で、何もしないわけにはいかない。その女を通してくれ」


「かしこまりました」


 しばらく待つとジビルは、メガネを掛けた一人の女性を連れて戻ってきた。年齢は三十代か四十代か……。髪の毛に白髪が混じり、顔肌からも年相応にハリや艶は失われている。ジビルの言う通り、確かに怪しい感じもする。

 アリアと名乗るその女性は、落ち着かない様子で下を向きながら、王子やセレナに対して、決して視線を合わせようとはしなかった。だが、王妃の命が尽きようとしている今、多少の怪しさなど目をつぶるしかない。


「アリアと申したな、魔法等級は何だ?」


「特に、等級は持っておりません」


「等級を持っていない? どういうことだ?」


「はい。鑑定審査を受けたことがございませんので……」


 アリアの言葉を聞いた聖女セレナが、王子の側でつぶやいた

「アレクシオ王子、このような魔法使い、私は見たことも聞いたこともございません。期待できないばかりか、何やら嫌な予感もするのですが……」


「確かに……」


 王子はもう一度、アリアの姿を見つめた。彼女は相変わらずソワソワしながら下を向いていたが、やがてこんなことを話しだした。


「解毒魔法は私の得意とする魔法です。きっとお役に立てるのでは……」


「聖女セレナでも手をこまねいている状況だぞ。君は治せるというのか?」


「可能性はあると思います」


 その言葉を聞いて、すかさずセレナが口をはさんだ。


「まあ、大した自信をお持ちなのですね。どうか口だけでないことを祈っております」


 アレクシオ王子がミランダ王妃に目を移すと、すでに彼女の呼吸は浅くなり、今にも止まってしまいそうな状態だった。


「アリア、一刻を争う時だ。さっそくお願いできないか」


「分かりました」

 やや低めの声で、アリアは返事をした。そしてそのまま、アリアはミランダ王妃の側まで来ると、王妃の手を自分の両手で包み込むようにして握った。

 アレクシオ王子を始め、おそらく部屋中の誰もが、突然やって来たこの魔法使いに、期待など抱いていなかった。なにしろ、グランデ王国で唯一聖なる力を持つセレナでさえ、王妃を助けることができずにいたのだから。名前さえ聞いたこともない魔法使いが、この状況を変えてしまうなど、誰が想像できるだろうか。

 半ばあきらめにも似た空気が漂う中、不思議なことが起こった。

 王妃の手を包むアリアの両手が、白く輝きだしたのだ。


「えっ」

 そう声を放ったのは、アレクシオ王子だった。しばらくすると、手の光は、アリアの身体全体に広がった。

 部屋にいる誰もが、目を見開き、唖然としている。その中でも、特にアレクシオ王子は絶句したまま全く動けずにいた。

 この光、見たことがある。間違いない、私が魔の森で出会った少女が発していた光と全く同じだ⋯⋯。


「ミランダ王妃が……」


 そう声を上げたのは補佐官のシビルだった。アリアの放つ光にぼう然と見とれていたアレクシオ王子は、その声で我に帰り王妃の顔を覗き込んだ。すると今まで苦しそうに歪んでいた王妃の顔が、明らかに穏やかになっている。弱々しく閉じられていた目は何事もなかったように見開いていた。

 アリアの体から発する白い光が消えた時、アレクシオ王子はベッドサイドへと駆け込んだ。


「母上! ご気分はいかがですか?」


 ミランダ王妃は我が息子をしっかりと見つめ返した。


「大丈夫よ……。何が起こったのでしょうか。あれほどの苦しみが、全て消え去ってしまっているわ」


「では、もう苦しくないのですね!」


「ええ、平気だわ」


 部屋の脇に控える王宮医師団の面々は、まだ事の成り行きがつかめていないようで、ぽかんとしながら元気な姿に戻った王妃を見続けていた。ただその中で、聖女セレナだけは、唇をかみしめ、険しい顔をしている。


「もう大丈夫だと思います」

 王妃から手を離したアリアが口を開いた。声は小さく、顔も下に向けたままだった。

 そんなアリアのオドオドした態度とは対照的に、生き生きとした表情を取り戻したミランダ王妃は、ベッドから上体を起こしたかと思えば、布団をよけ、床に足をつけてしっかりと立ちあがった。


「母上、まだ無理をしないほうが」


「いえ、自分でも信じられないのだけれど、もう完全に回復しているわ」

 そう言うとミランダ王妃はアリアへ顔を向け、そのまま頭を下げた。

「あなたが助けてくれたのね。本当にありがとうございます」


「もったいないお言葉でございます」

 アリアはまだ誰とも目を合わせようとしなかった。そんなアリアに、アレクシオ王子も声をかけた。


「素晴らしい回復魔法でした。このお礼はふんだんにさせていただきます」


「そのようなものは必要ありません」


「それにしても……」

 王子は不思議そうな顔をしながら言葉を続けた。

「一体どうして、アリアさんのような魔法使いが、今まで無名でいたのでしょうか?」


「……私はこの国の人間ではないのです。隣国のネリ公国から最近この国に移り住んできたのです」


「そうでしたか。それなら納得がいきます。ネリ公国では、さぞかし高名な魔法使いだったのでしょうね」


「ええ……、まあ……」


「ネリ公国のミレーヌ聖女はご存知ですか?」


「……は、はい。彼女とは、懇意にしております」


「今度会う機会があれば、あなたのことで話が弾むでしょう」


「……」


 アリアの声が、ますます小さくなってきた。ネリ公国の話はあまり乗り気ではなさそうだ⋯⋯。そう思ったアレクシオ王子は、彼女に気を使い話題を変えた。


「ここにいるのは、わが国の自慢の聖女、セレナです」


 王子の紹介を受け、今まで不満そうな顔で立っていたセレナが、急に微笑んだ。


「アリアさん、改めまして、聖女セレナと申します。はじめまして、でよろしかったかしら?」


「はい聖女様、初めてお目にかかります」


「それにしても変わった魔法でしたね。私、あなたの魔法に嫉妬してしまいましたわ」


「たまたまうまくいっただけで、私の力など聖女様には遠く及びません」


「たまたまなものですか。私の目は節穴ではありませんよ。でも、これほどの能力をお持ちでしたら、もう少し早く駆けつけて欲しかったですわよ。そうすれば、王妃もこれほどまでに苦しまずに済んだのですけどね」


 聖女セレナが、ややもするとアリアを責めかねない空気になっている。アレクシオ王子は、怪しくなってきたセレナの言葉を塞ぎ、こんな話をアリアにした。


「もちろんわが国の聖女セレナも、あなたにたがわず素晴らしい魔法使いなのですよ。何しろセレナは、瘴気に侵された人を治したことがあるのです」


 さすがのアリアもびっくりするだろう。そう思っていたアレクシオ王子だったが、彼女にそのような様子は見られなかった。不思議に思った王子は、こう尋ねてみた。


「まさか、アリアさんもそのような力をお持ちで?」


 しばらくの沈黙の後、アリアは答えた。


「瘴気、ですか……、私にはできなかったような……」


「そうでしょう。瘴気を浄化するなど、神から選ばれし者しかできませんから」


「……」


 アリアは、まだ下を向いて誰とも視線を合わせようとせずにいた。

「……、あの、そろそろ帰りたいのですが……」


「そうですか。ではシビル、自宅までお送りしろ」


「城の出口までで結構です。あとは私一人で帰れますので」


「そんなことはできません。馬車で送らせていただきます」


「いえ、本当に、一人で帰りますので」


 そのままアリアは、急用でもあるかのように、小走りで王妃の部屋から出ていったのだった。

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