魔女見習いの矜持

あおいいろ

第一話 出会い

「あなたは今日から私の子よ」

深く黒いローブを被った女は私にほほ笑み、手を差し伸べた。私は瞬時に言葉を咀嚼することができなかった。緊張と戸惑いが隠せず、「あ、あ……」と吃った声が出る。女の言葉が脳内で反芻され、冷たい汗が噴き出した。この女も、私の前髪を捲れば反応が変わるだろう。畏怖、侮蔑、嘲笑、慄然。私の瞳を見たは皆、同じ顔をして去っていくのだ。


「ふふ、心配しないで。あなたを害すことは一切しないと誓うわ。」

女はフードを下ろし、濡れ羽色の髪を靡かせながら柔和な笑みを浮かべた。

「ほら、あなたの瞳もすごく綺麗。大丈夫よ、きっと全部上手くいく」

そう言いながら女は私の前髪を掻き上げ、隠れた瞳を露出させた。「忌み子」の赤い双眸を “綺麗” を形容されたのは初めてだった。女は安心させようとしているのだろうか、「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら私の両手を握っている。私の手を素手で触るなんて、自ら祟られたいと言っているようなものだ。女の目的がまるで読めない。


「アリシア様、本当にNo.7で良いのですか? この娘はです。ブロンドの髪をご所望なら、他にも……。No.10はどうでしょう? 同じく長髪のブロンドですよ」


胡散臭いハリボテの笑みを浮かべる男―――ジャーマン・ダルクはこの孤児院の院長だ。外観だけ小綺麗な孤児院だが、実態は壮絶だ。ジャーマンは私たちを虐げ、まるで奴隷のように扱っている。常に怒声や罵声が響き、落ち着ける場所はどこにもない。孤児院とは名ばかりの、牢獄だ。


そしてここにいる子らは皆、名前の代わりに「NO.」とつけた1~100の数字で呼ばれる。私は物心ついたときから「NO.7」だ。この呼称は生まれながらにして「人」とみなされていないことを意味する。


「そんなの関係ないわ」


女の澄んだ、高い声が空間に刃を入れる。ジャーマンが一瞬狼狽えた瞬間、女は隙ありと言わんばかりに腕を大きく掲げ、ジャーマンの右頬をパシンと力強く打った。女のローブが翻り、髪が靡く。見事な平手打ちだった。


「も、も、も、申し訳ありません、アリシア様……」


ジャーマンはあまりの衝撃だったのか膝から崩れ落ち、しどろもどろになりながら女に許しを懇願する。必死なジャーマンを見るに、アリシアという女は地位が高いようだ。貴族か、上流階級の人間だろう。


アリシアは「これでいいかしら」と言いながら座り込むジャーマンの目の前にジャラジャラと金貨を落とす。ジャーマンは目が金になり、必死で金貨を手繰り寄せていた。


「もう安心しなさい。あなたのことを悪く言う人には、私が一発喰らわせてやるから」

アリシアはゆっくりと振り向き、誇らしげにガッツポーズを組んだ。怒涛の展開が続き、脳の処理が追い付かない。何が目的なのか、私を利用しようとしているのか―――次々と疑問が脳裏を駆け巡る。


「……ああ、自己紹介がまだだったわね。私はアリシア。どこにでもいる、しがない魔法使いよ」

アリシアは自らを魔法使いと名乗った。いわゆる杖だろうか、30㎝程の光沢のある棒をローブの裏ポケットから取り出し、何か呪文のようなものを唱える。途端、薄い白煙が舞い上がり、杖が箒に変化した。


「これは……!?」

「ふふ、やっと喋った。さっきも言ったでしょう。『魔法使い』だって。詳しい話は後でゆっくりするとしましょう。ほら、早く箒に乗って」


アリシアは箒に跨ぎ、急かすように手招きをする。流されるままに箒に乗ると、体がふ、と浮き上がるのを感じた。靴と地面の間に隙間ができている。重力から解放されたような、不思議な感覚だ。


「しっかり掴まってなさい」


アリシアがそう言うと同時に、箒が角度をつけて急上昇を始める。体が大きく引っ張られるのを感じ、咄嗟にアリシアの背中に手を回す。箒はそのまま速度を上げ、吹き上げの大窓をめがけて直進した。前髪が逆風に嬲られ、思わずぎゅ、と目を瞑る。



「―――もう大丈夫よ。さあ、目を開けて」



そっと瞼を上げ、恐る恐る視線を下ろす。そこには、群青の海原と、賑やかな街並みが広がっていた。海は陽光を反射し、緩やかに波打っている。街は人々の笑い声で満たされ、並木の若葉が踊っている。そうだ、この街は海辺にあったのだ。孤児院ではほとんど外に出してもらうことが出来ず、唯一の外出はジャーマンに命じられた月に一度の買い出しだった。久しく外の空気を吸った気がする。


「…………綺麗」

「ふふ、そうでしょう。この景色は魔法使いの特権なの。人間は一生見ることができないでしょうね」

アリシアは「あなたは幸運よ」と呟き、アハハハッとひとしきり声高らかに笑い、すぅっと深呼吸をする。


「少し長い旅になるけど、我慢してちょうだい」


そう告げると、アリシアは掴んでいる箒に向かって呪文を唱え始めた。瞬間、空を滑るように箒が動き出す。


―――まさかこんな形で「お迎え」がやってくるなんて。

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