リザレクション・シンク

ケルピー

プロローグ

朝の光がカーテン越しに透けて、

部屋の空気が少しだけ揺れた気がした。


――まただ。

こういう“ざわつき”みたいな感覚、最近やたら増えた。


その直後、机の上のスマホが震えた。

弱い振動なのに、静かな部屋では妙に大きく感じた。


灯はゆっくりと息を吐き、画面へと手を伸ばす。

指先が触れる直前――胸の奥が、ちくりと波立った。


「……誰だろ」


まるで、日常との乖離のような。

ただの着信にしては、心のどこかが落ち着かない。


画面が光り、名前が浮かび上がる。

その一文字を見た瞬間、灯の表情がわずかに締まった。

 

さっきまでの朝の静けさは、もうどこかへ消えていた。


画面には”お義母さん”の文字。

普段なら電話なんて絶対にかけてこない。


胸のざわつきがさらに強まる。

そして理由の分からない違和感がさらに不安を煽る。


私は、深呼吸をひとつ、背伸びをしてから通話ボタンを押した。


「――もしもし? どうしたの、お義母さん?」


柔らかな響きの裏側で、

小さなひずみが胸の底に静かに触れた。


電話越しの声は、

いつもより少しだけ早口で、

それがまた胸のざわつきを刺激する。


「灯ちゃん、ニュースを見て。無事でいてね……」


お義母さんはたった一言、

それだけの言葉を残し電話を切った。


電話が切れた瞬間、

部屋の静けさが、自分だけを置き去りにして遠のいていくように感じた。


空気が――重い。


スマホを握る指先に、じわりと汗がにじむ。

胸の奥のざわつきは、否応なく大きくなっていた。


ニュース……?


無意識のうちにロックを解除して、

指は勝手にニュースアプリへ滑っていく。


いつもの朝とは明らかに違う。

画面の一番上、赤い速報帯が目に刺さる。


《全世界で“異常空洞”が同時発生 原因不明 各国が緊急対応》

《日本政府 緊急事態宣言を検討》


呼吸が、浅くなる。


「……嘘でしょ。」


指が震える。

画面の光が、やたら強く感じる。


流れ始めた映像は、まだ荒い。

揺れるカメラ。

ざらついた画質。

それでもわかる。


街路が、不自然に抉られている。

アスファルトが吸い込まれたように沈み込み、

黒い口を開け、周囲の建物までも引きずり込んでいた。


背筋を、冷たいものがすっと走る。


スクロールすると、別の欄に小さく文字が付いていた。


《SNSで“影のような動体”を捉えた映像が相次ぐ 真偽不明》


指が止まる。


再生した動画は、素人のスマホ撮影だった。

画面は激しく揺れ、

だが叫び声だけが異様に鮮明だ。


穴の縁に、影が張りつくように現れる。

輪郭は歪み、形は定まらない。

人々の悲鳴が響き、

次の瞬間、映像はぷつりと途切れた。


息をしていたことを、ようやく思い出した。

胸の奥がじわりと締めつけられる。


「……やだ、なに……これ……」


もう昨日までの世界じゃない――

そんな実感が、音を立てて迫ってくる。


現実と非現実の境目が、静かに崩れていく。

日常にひびが入る音が、

確かに胸のどこかで鳴った気がした。




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