無意味な時間の拾い方

三角海域

無意味な時間の拾い方

 カフェのテーブルで、三度目の自撮り。角度が悪い。やり直し。笑顔が硬い。やり直し。


 画面の上部に、通知が割り込んでくる。


『あなたの最も有意義な時間をシェアして』


『ReaLife(リアライフ)』。パーソナルデータをもとに、私の〈最適な友人〉を自動で選んでくれるアプリだ。


 私たちは有意義に生きなきゃいけない。そうしないと、充実した人生を歩めないから。


 みんな、見えない審査員に向かって自分の存在価値をアピールし続けている。


 その時だった。


 突然、スマホの画面にエラーが表示された。


 通信障害。店内に小さなざわめきが広がる。誰かが「え、マジ?」と声を上げた。別の誰かが何度もアプリを立ち上げ直している。


 つながらない。


 私も最初は焦った。でも、ふと窓の外に目をやった瞬間、その光景が飛び込んできた。


 カフェの向かいにある小さな公園。噴水の周りに敷き詰められた石畳の上で、一人の女性が妙な動きをしていた。


 レトロなオレンジ色のカーディガンを着た彼女は、敷石の白い部分だけを、必死に踏んで進もうとしている。右足を大きく伸ばし、左足でバランスを取る。体が傾きかけた瞬間、フィギュアスケーターのように両腕を広げて持ち直す。


 周りの人々は通信障害でパニックになっているのに、彼女だけは自分の世界に没頭していた。


 そんな彼女の姿に私は釘付けになった。


 いつぶりだろう。こんな風に、画面の外側に意識を向けるのは。


 彼女は噴水の手前あたりで立ち止まった。目の前には大きな灰色の敷石が何枚も続いている。白い石から遠く離れていて、飛び越えるには距離がある。


 眉をひそめ、頭を抱える彼女。真剣に悩んでいる。


 私はグラスの下に敷かれたコースターを引っこ抜いた。


 結露で少し湿った厚紙を握りしめ、店を飛び出す。


「ここ、使えるよ」


 彼女のもとへと駆け寄り、カフェの白いコースターを灰色の敷石の上に落とす。即席の飛び石だ。


 彼女は驚いたように目を丸くした。それから、ニッと笑った。悪戯っぽい、子供みたいな笑顔。


 コースターを足場にして、彼女は見事に灰色の海を越えた。


 ゴール地点。噴水を囲む白い縁石に両足で着地すると、彼女は振り返って私に手を差し出した。


 ハイタッチ。


 その行動は、多数からの評価なんかよりもずっと有意義なものに思えた。


 通知音が鳴る。


 通信が復旧したらしい。画面には未読通知が溢れている。


「じゃあね」


 彼女は軽く手を振って、公園の木立の向こうへ消えていく。


 スマホが震えた。通知画面を見ると、『心拍数の急上昇を検知』の警告。


『ストレス対策のアロマを注文しますか?』


 画面の中のAIは、私が今どれだけ清々しい気分か、まるで理解していない。


「バカだなぁ」


 私は「いいえ」をタップする代わりに、電源を落とした。


 なんとなく、白い敷石の上に足を乗せる。そして、バランスを取りながら次の白い石へと渡っていく。


 ぐらりと体が揺れる。私は慌てて両手を広げた。


 公園の噴水が、陽の光を受けて不規則に瞬いている。


 ただそれだけのことが、泣きたいくらい綺麗だった。

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