D.iary-16雨幕の中の守り人と、残酷なカウントダウン
雨水――至る所に雨水がある。 レインコートに落ち、頬を打ち、目に飛び込み、全てを曖昧な影へと掻き回す。湿った空気が胸郭を満たし、呼吸をするたびに渋滞を起こす。
突然、ノアは水霧に覆われたその窓越しに、見慣れた人影を見た。彼はその窓に近づいた。
「母さんだ」
母は窓辺に座っていた。そしてテーブルには、食器がもう一組ある。
「母さん……誰と食べてるんだ?」
余計な思考もなく、一瞬の停滞もなく――ノアは本能に駆られるまま店内に飛び込んだ。
敷居を跨いだその瞬間、彼は誰かと激しく正面衝突した。
「ごめんなさ――」
言葉が終わるより早く、ノアは慌てて目の前の雨水を拭った。だが視界が再びクリアになった時、彼を迎えたのは――無人だった。
入り口に背中はない。店内に人影はない。床に足跡はない。衝突した余熱さえも、最初から存在しなかったかのようだ。 まるで、ぶつかったという事実そのものが……彼の妄念に過ぎなかったかのように。
背後の木製ドアがゆっくりと閉まる。一陣の風が吹いたのかもしれない。
15:30。
「大丈夫ですか……」
セシリアはノアが「もう一人の自分」の横をすり抜けるのを見送った。ノアのその小さな返事は、彼に返したものか、それとも自分自身に答えたものか分からない。瞳の奥には隠しきれない寂寥が一瞬宿り、風に吹かれた蝋燭の火のように揺らいだ。
「顕現レイヤーを予め下げておいて正解でした」
彼女は小声で独り言ちた。半分上げていた腕も、言葉と共にゆっくりと下ろされた。指先が空中でしばし止まり、掴むことも、留めることもできず、ただ静寂の隙間にそっと下ろされるだけだった。
まだ完全に閉まっていない木製ドアを利用し、二人はゆっくりと雨の幕へと歩み出た。少年の背中は微かに丸まり、街路の薄暗い灯りに長く引き伸ばされている。雨は彼の周りを滑り落ち、一滴も濡らすことはないが、少年を溺れさせていた。
長い時を経て、ノアはようやく低い声で言った。
「セシリア……もし俺とあいつが遭遇したら、どうなるんだ?」
セシリアは横を向き、彼を見た。雨水が地面を打つ。彼女はしばし沈黙してから、静かに口を開いた。
「観測が成立した時点で……『収縮(コラプス)』と呼ばれる現象が発生する可能性が極めて高いです」
彼女の声は軽いが、針のように鮮明に潮騒の中に落ちた。
「三つの可能性があります。其の一、貴方が生存し、彼が消失する。其の二、彼が生存し、貴方が消失する。其の三……」彼女は言葉を切り、指先をわずかに握り締めた。「貴方たち二人が同時に消失する」
ノアの呼吸が止まる。
セシリアは雨霧の深淵を見上げた。「具体的にどれになるかは……予測不可能です」
「そうか……ハッピーエンドはなさそうだな」
ノアは深く息を吸い、またゆっくりと吐き出した。淡々とした口調の中に、どれほどの諦念が隠されているだろうか。
彼は一歩一歩、あの小テーブルに近い窓へと歩み寄った。階段は濡れて滑りやすかったが、足を止めることはなかった。そこは、彼と母との間が最も近くなれる場所――透明なガラス一枚を隔てて。
彼は窓の外に座り込んだ。傍らの少女も音もなく腰を下ろす。二人の肩の間には掌一つ分の距離があり、雨水は彼らの足元で小さな流れを作っていた。
雷鳴と電光、驟雨と狂風。だがこの階段の一角だけは世界から忘れ去られた場所のように、少年と少女はただ静かに座り、母の傍らを守っていた。
窓内の動静は雨音にかき乱され支離滅裂で、ノアには断片的な音しか拾えない――最初は騒がしく、次はひそやかに。 セシリアは身を寄せ、彼を見た。雨幕に映って少しぼやけた横顔を見て、彼女は微かに口を開き、何かを言おうとした。だがノアは手を上げ、軽く「シーッ」とした――ただ一度の、優しい拒絶。
少年は窓の中の声を判別しようともせず、振り返って母の表情を確認することもしなかった。彼はただ目の前の雨を見ていた。一陣また一陣と急かすように降り、都市全体を押し潰そうとしている。 彼は雨音に全てを飲み込ませることを望んだ。二度と聞こえないように。
いつからか、窓の中は次第に静かになった。
木製のドアがギィと音を立てて開かれ、母と子が前後して出てきた。傘が開かれた瞬間、傘の縁が雨粒に叩かれて細かく砕ける。ノアは傘を受け取って背筋を伸ばし、歩き出した時、跳ねた水飛沫が青苔を刺した。
「行こう。後をつけて、母さんを守らないと」
少年は気楽そうに言い、無理矢理作った笑みさえ浮かべていたが、セシリアの目には、それは全ての感情を心の底へより深く押し込むポーズに過ぎなかった。いくら上手く隠しても、その震える手を隠すことは忘れていた。
母と子は水溜まりの中でお互いを支え合いながらゆっくりと進む。靴底はとっくに濡れそぼり、服の裾も雨に打たれて重くなっているが、寄り添う二人の影は、まるでこの天地のことなど気にも留めていないかのようだった。
ノアは少し離れてついて行った。雨の幕が彼の目の前で絶えず垂れ落ち、滑り過ぎる。滑稽なことに、かえってそれがはっきりと見えさせた。
胸元に巨石があるようで、呼吸を圧迫し、心拍を押さえつける。それは何だ? 嫉妬? 羨望? 彼は考えたくなかった。ただ目の前の背中を見て、何度も何度も問いかけるだけだった。
「なんで傘の下のあの影は……俺じゃいけないんだ?」
セシリアは静かに少年の側に付き添っていた。彼女にとって、ノアの感情は決して測定不可能な未知数ではない――彼の呼吸、歩幅、視線の停留、あらゆる微細な変動を、彼女は手にとるように読み取れる。
彼女は待つことができる。そして「待機」こそが、彼女の最も得意とする行動なのかもしれない。沈黙、随伴、傍らで見守ること。相手が自ら手を伸ばしてくるまで。
だがセシリアは知っていた。少なくともこの瞬間において、待機は決して正解ではないことを。
馴染みのある団地の輪郭が雨の幕の中に浮かび上がった。歩道を一本隔てただけだ。信号機が湿った霧の中で朧げだが、変わる色彩を判別することはできる。
あと数歩で、家だ。
母と子は道端で止まった。雨はあまりに長く降り続いている。本来なら混雑しているはずの車列も今は沈黙し、喧騒さえも薄まっている。忙しない人々は皆、屋根の下に隠れて、雨が止むのを、夜が明けるのを、やり直す機会を待っている。
不変だと思われた赤信号が、一瞬で緑へと躍動した。
母と子は依然として寄り添い合い、一歩また一歩と踏み出した。黒い傘が横断歩道の上をゆっくりと移動していく。全ての動作がノアの目には引き伸ばされ、格別に緩慢に見えた。
地面のマンホールが微かに震え、雨水が隙間に沿って流れる。ノアも一歩一歩ついて行く。
白い光が雨幕と水霧を突き破り、利剣のように世界を切り裂いた。ノアは今回、ようやく目の前の全てをはっきりと見た。運転手の顔に浮かぶ恐怖、タイヤが湿った路面でスリップして残す細長い水の跡、母が慌てて伸ばした両手、瞳に書かれたどうしようもない狼狽と恐怖。
空気中にはガソリンの臭いと雨水の匂いが混ざり合い、雨粒が彼の顔に微かに冷たい痕跡を打ち付け、地面の水溜まりが点滅する赤と緑の光影を映し出す。世界はこの一瞬で凝固したようだった。
記憶が目の前で再演される。死の白い光が既に視界を飲み込んでいる。
今回も、彼は部外者のままでいるのか?
いいや。
あの白い光が全てを引き裂こうとした刹那――そのノアという名の少年は、動いた。
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