日常編
第1話 にゃ、にゃー(再会、そして嫉妬)
俺の名前は桜庭 陽向(さくらば ひなた)。
先月、生まれた頃からずっと一緒だった猫が静かに息を引き取った。
享年十七歳。 猫にしては本当に長生きだったと思う。
種類は麦わら猫。日本でも珍しい三毛柄の一種らしい。
母が言うには——
俺がまだ赤ん坊だった頃、死にかけていた彼女を見つけ、抱き上げて家まで連れて帰ってきたのだという。
「この子はね、陽向を見守るために私たちの前に現れてくれたのよ」
母はよくそう言っていた。実際、亡くなる寸前まで彼女はいつでも俺のそばにいてくれた。
俺が泣いていると必ず寄り添ってくれて、気づけばいつもその温もりに救われていた
俺が学校へ行くときには毎朝玄関で見送ってくれて、帰ってくれば真っ先に駆け寄ってくる。
俺が転んで泣けば耳をすり寄せて慰めてくれて、夜は布団に潜り込んできて一緒に眠る。
どこへ行くにもあとをついてきて、気がつけば足元で喉をゴロゴロと鳴らしている。
——本当に、可愛い猫だった
だからこそ──彼女がいなくなった今も、俺の胸の穴はふさがらない。
部屋には、彼女が壁を引っ掻いてつけた小さな傷や大好きだったオモチャがまだ残っている。
それを見るたびに、まだそこにいるような気がして……気がつけば、また泣いてしまった。
彼女が旅立ってから俺は二週間ほど寝込み学校に行けなくなった。
──そして今日。
久しぶりの登校日だ。
「陽向、今日こそは学校行くんでしょ! 早くしなさいよ!」
「うん! わかってるって!」
俺は制服に着替え、朝飯を軽く済ませて外に出た。
肌寒い風が吹き抜けたそのとき、足に何かがぶつかる。
「な……何してるんですか?」
見下ろすと、ダンボールの中に女子高生が座っていた。
「にゃー」
「いや、にゃーじゃなくて……」
すると彼女が立ち上がった。茶髪のショートボブ。少し背が高くて、脚が長い。
その吊り上がった猫みたいな目がどこか“アイツ”……この前亡くなったばかりの“メイちゃん”に似ていた。
すると急に彼女は泣きながら俺に抱きついてきた。
「おわっ!」
困惑しつつもある違和感に気づく。頭ではなく、耳をすりすりしているのだ、まるであの“メイちゃん”みたいに。
「うわーん! 会いたかったよ、陽向くんー!!」
「な……何で俺の名前を……!?」
すると彼女はうるうるとした上目遣いでこちらを覗く。
「……アタシだよ……メイちゃんだよぉ……!」
「えぇ!?」
信じられなかった。
最初はからかわれているのかと思ったが仕草も、目の色も、どう見てもアイツと同じだった。
俺は戸惑いながらも学校へ向かう道すがら、彼女の話を聞くことにした。
***
メイは俺の隣ではなく、通学路沿いの家の塀の上を器用にとことこ歩きながら語り出した。
「アタシね……死んだあと、気がついたら
“春乃 芽衣”って女の子に転生してたの。それで今は行く当てがなくて孤児院で暮らしてるんだ」
「そ、そうなんだ……」
信じがたい話だけど、塀の上から見下ろしてくる彼女の黄色い瞳は真剣そのものだった。
「だからね……陽向くんのママがあの日アタシを拾ってくれたみたいに……今度はアナタがアタシを拾ってくれますか……?」
「えぇっ!?」
彼女は塀の端でぴょんと跳ねて、猫のように音もなく地面へ降り立つと俺の服の裾をそっと掴む。
「陽向くん……」
そう呟くと、遠慮もなく俺との距離を詰めてくる。
気づけば二人の呼吸が混ざる距離、彼女の大きくて黄色い瞳がすぐ目の前にあった。
(ち、近い……!)
一瞬視線を逸らそうとしたとき——
ぺろっ。
「……え?」
頬に柔らかい感触が走った。
彼女は当たり前のように、ぺろぺろ俺の顔を舐め始めた。
「ちょ、ちょっと!?や、やめろって!!」
慌ててのけぞる俺。
だけど彼女は納得いかないというように眉を寄せ、唇を尖らせた。
「なんで?昔はぺろぺろしても怒らなかったのに……」
その目はどこか不安そうで、まるで人間に捨てられた子猫のようにわずかに揺れていた。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。確かに昔、俺はコイツが顔を寄せてくるのを拒まなかった。
むしろ可愛くて、嬉しくて、撫でてやっていたのに。
「ご、ごめん……驚いただけだよ。怒ってないから——」
そう言いかけたときにはもう遅く、彼女はくるりと背を向け駆け出していく。
「メイ!待てって!」
俺は慌ててその小さな背中を追いかけた。
***
俺は彼女の影を追って走り続けた。だけど、メイの足は猫のように驚くほど速い。
角を曲がったところで完全に見失ってしまった。
「はぁ……どこ行ったんだよ、メイ……」
通学路の途中で立ち尽くし、途方に暮れていると——
「桜庭くん?どうしたの?」
聞き慣れた優しい声がした。振り返ると心配そうにこちらを見つめる冬月 玲さんが立っていた。
彼女は学年一の美少女で、雪のように白いロングヘアが風に揺れていて思わず息をのむほど綺麗だ。
俺はそんな彼女に密かに片想いしている。
「あの……茶髪で、ボブヘアの女の子……見なかった?」
「うーん……見てないですね」
その返事が返ってきたちょうどその時、俺の耳に突然——
──キャァァァァッ!!
遠くの方で、誰かの悲鳴。
いや、あれはメイの声だ。
「メイ!?」
考えるより先に体が動き、俺は叫び声のする方向へと全力で駆け出した。
***
駆けつけた俺の目に飛び込んできたのはメイが塀の根元でしゃがみ込み、数匹の野良猫に囲まれている姿だった。
「シャーッ!!」
牙をむいてメイに威嚇する野良猫たち。……いや、人間が猫に絡まれてるって、客観的に見たらかなり滑稽だよな。
(とはいえ……元猫だし怖いものは怖いか)
俺は咄嗟に身をかがめ、手で野良猫たちを追い払う。
「大丈夫か、メイ?」
「うわぁぁん!怖かったよ陽向くん!抱っこしてぇ……」
涙目で飛びついてくるメイ、そのまま俺の胸に顔を埋めて、服をぎゅっと掴んでくる。
すると、ふと彼女の動きが止まった。
「ん?あれ……?」
俺の背中越しに視線を向ける。そこには心配そうに俺たちを見つめる冬月さんの姿があった。
「誰?あの人……?」
「あぁ……クラスメイトだよ」
そう答えた途端メイはなぜかじーっと冬月さんを睨みつけた。
まるで縄張りを荒らされた猫みたいに。
すると次の瞬間、彼女は俺の腕からスルッと抜けると冬月さんの前へトコトコと歩み寄り——
「シャアァァッ!!」
両手を猫のように曲げ、全身で威嚇してみせた。
「わ、わぁ!?」
冬月さんが一歩後ずさる。
メイは怒りと不安が混ざった涙目で、俺を睨んだ。
「許せない……!陽向くん、アタシが死んでる間に……新しい彼女作ってたの……!?!?」
「え!?ち、違う!彼女じゃないって!!」
俺が必死に否定しても、メイはぷるぷる震えながら、さらに言葉を続ける。
「陽向くんはアタシだけのものなのに……
アタシのいない間に他の女と仲良くするなんて……!そんなの……そんなの絶対イヤ!!」
(ま、まさか……)
昔、俺が他の猫を撫でただけでメイが腕にかぶりついてきたことがあった。
あの時は、あれは単なる“猫の嫉妬”だと思っていたけど——
(いやいやいや……)
彼女は俺のことを――ずっと “飼い主” ではなく、 “彼氏” だと思っていたらしい。
——つづく
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