その男、殺人鬼(仮)につき

鍛冶屋 優雨

第1話

その男、慈英尊じえい たける、四十七歳。小学生の時のあだ名はジェイソン。

 本人は穏やかで心優しい性格だが、顔と声が致命的に怖いという弱点を持っていた。


 眉は太くて濃く、目は鋭く細く、常に「何かを睨みつけている」ような角度。

全体的に岩を削って作った鬼の彫像のような顔で、声はバスドラムのように低く、普通に挨拶するだけでも「脅し」と誤解される。

 

しかし、慈英は大人しい性格で、人に怒ったことはほぼ無い。

むしろビビられすぎて、誰にも怒る機会を与えてもらえないくらいだった。


 そんな慈英は長年の夢を叶えるべく、大きな決断をした。

 老後のために、静かな場所で小さなペンションを経営したい。


 都会での仕事をやめ、早くに亡くなった両親から受け継いた遺産と貯金をはたいて物件を購入しようと探し、ついに見つけたのが――


「50万か…。この物件は格別に安いな。」


 ネットで見つけた湖畔のペンション。

 写真を見る限りは家は多少古いが、木の温かみを感じる素敵なログハウスだった。


 しかし慈英は知らなかった。

 写真は20年前のものであり、現在は別物になっているということを。


「いや〜慈英さん!見る目がありますねぇ!こちらは前オーナーさんが丁寧に使っておられましてね、内部も外観も『ほぼ新品』ですよ!内見はどうしますか?ちょっと遠いからなかなか予定が取りづらくてですね。内見無しで本日決めていただけるなら、更に10万円を値引きさせていただいて、仲介手数料も無しでどうでしょう!?」


そう言って営業マンは愛想笑いを浮かべる。

その笑顔はどこか嘘くさく、脂ぎっていた。


「そうか……。じゃあ、内見はしなくていい。買うよ。」


そう言って慈英はニヤリと営業マンに笑いかける。慈英の笑顔と低すぎる声に、営業マンは一瞬肩を震わせた。


「あ、はい!えっと……それでは契約書に……サ、サインを……」


 営業マンは完全にビビっていた。

 慈英はただ優しく話しているだけなのだが、営業マンには「脅迫して契約を急がせている」ように聞こえていたらしい。


 こうして慈英は、人生最大の買い物を格安で終えた。


 ちなみにこの時、営業マンは(やべえ!!実物見せたら絶対バレる!!早くサインさせて逃げるぞ!!)そう心の中で叫んでいた。


契約を終えて数日後。

 慈英は期待に胸を膨らませ、湖畔のログハウスへと向かう。


 山道を抜け、湖が見えてきたあたりで――


「……あれか?」


 写真のログハウスは、柔らかな木肌で、光に輝く温かな雰囲気だった。

 しかし遠くに見えるそれは、どう見ても違う世界線の黒ずんだログハウスだった。


 近づくにつれて、その違和感は強烈になった。壁は黒ずみ、苔むし、屋根は半分抜けている。

 ドアには深い傷があり、なぜか爪痕のような跡までついている。

 窓はひび割れ、カーテンは裂けて風に揺れていた。


 さらに最悪なのは――


 庭に立っている、等身大の木製カカシ人形(無表情)、何故か手には斧が持たされている。

 そして窓からこちらを見ている巨大なシカの剥製の頭(目がガラスで光る)。

 完全にホラー映画のワンシーンだ。


 しかし慈英は静かに呟いた。


「…かわいいな。」


 彼の感覚は一般人と少し……いや、かなりズレていた。

 自然の朽ちた感じが、そして昔の持ち主の味のある趣味が妙に気に入ってしまったのである。

ログハウスの中は、想像以上にホラー映画のセットのようになっていた。


まず入ってすぐの玄関。

 そこには、なぜか天井から吊るされているタヌキの剥製が風も無いのに、暗い中で揺れており、まるで死者の魂がさまよっているかのようだ。


 キッチンには死体でも保存できるような巨大な業務用冷蔵庫があり、用途不明のサビた鎖が飾りつけてある。

 

リビングには年代物の黒電話、棚には不気味な能面が五つ並んでいる。


 寝室のベッドの上には、人間サイズの古い西洋人形が座っていた。

 ガラスの目がこちらを見つめ、ニタリともしていないのに、笑っているように見える。


「何故か落ち着くな。」


 慈英は満足そうに深呼吸した。


 普通なら逃げ出す光景だが、慈英にとっては静かで落ち着く部屋である。

 なぜなら都会暮らしで疲れた彼にとって、この奇妙な空気は逆に人の気配が薄くて安心できたのだ。

ある意味、慈英の感性は最強だった。


こうして慈英の新生活が始まった。

朝起きたら、タヌキの剥製に挨拶をし、湖畔でコーヒーを飲む。

昼は庭の草をむしりながら、朽ちたカカシ人形の手に持っている斧を日替わりで納屋で見つけた巨大な鉈に変えてみたり、夜は暖炉の前で薪を燃やし、能面に囲まれながらテレビを見て、眠くなったらベッド上にある西洋人形に声をかけて眠る。


まったく他人と触れ合わない寂しい生活、それでも、彼にとっては最高の生活だった。


電話もかかって来ない。近所に住民もいない。人間関係に悩む必要もない。


静かで、ゆったりとした孤独という名前の幸せ。


 慈英はほほえみ――いや、本人は笑っているつもりなのだが、実際には犯人が最後に不気味に笑うシーンのような顔になっていた。


そんな静かな日々が、たった一ヶ月で終わりを迎える。


 土曜日の朝。

 慈英が湖の周りで釣りをしようと歩いていると森の向こうから、楽しげな声が響いてきた。


「最高のキャンプ日和じゃん!」

「よっしゃー!酒持ってきたかー!」

「今日めっちゃ写真映えしそうじゃね?」

「イエーイ!」


 陽キャの大学生グループ5人が、近くのキャンプ場へやってきたのだ。


 慈英は湖畔で釣りをしながら静かに呟いた。


「……にぎやかだな……。」


 この時の彼は知らなかった。

この大学生たちが、後に自分を本物の殺人鬼と誤解する最初の原因になるとは――。

その日の夜、大学生たちはキャンプ場で酒を飲み、テンションが上がっていた。


「なあ、せっかく来たんだし肝試ししようぜ!」

「いいじゃん!森の奥に行ってみようぜ!」

「マジで?絶対怖いじゃんww」

「行こ行こ!!」


 森の奥には慈英の家であるログハウスが存在する。


慈英は知らない。

大学生たちも知らない。


でも、森の動物と樹木そして慈英のログハウスのタヌキの剥製だけは知っていた。慈英と大学生達が織りなす悲鳴と不幸のマリアージュが始まるぞと。


こうして、恐怖と勘違いだらけの物語が始まるのであった。


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