冷酷な伯爵令嬢は追放先の辺境で泣きながら戦い続ける

ぐりとぐる

第1話「始まり」

「この婚約は、今この場をもって破棄する」


冷たく響いたその言葉に、舞踏会場は静まり返った。


眩いシャンデリアの下、豪華なドレスに身を包んだ貴族たちが、息を呑んでその場の空気を見守っていた。

視線のすべてが、舞踏会の中央――王太子レオンと伯爵令嬢リディアに注がれている。


リディア・グレイス・マクレインは、数日前までこの国、ラグリファル王国の未来の王太子妃と目されていた。

それが、今――王城の舞踏会の場で、王太子の口から一方的に突きつけられた言葉によって、全てが崩れ去ろうとしていた。


「……理由を、お聞かせいただけますか、殿下」


リディアの声は震えていたが、努めて冷静を保とうとしていた。だがその目には、わずかな動揺が滲む。彼女の長い亜麻色の髪が、燭光に揺れて煌めいた。


「理由? お前が、エリザベートに対して悪意ある噂を流したこと、そして侍女を使って彼女のドレスに薬品をかけたこと……すでに証拠は上がっている」


「それは……!」


「もうよい。これ以上、恥をさらすな。お前は、王太子妃たる品格に欠けると判断した。父上の許可も得てある。お前の家族にも追って文書が届くだろう」


レオンは顔を背けると、後ろに控えていた美しい金髪の公爵令嬢――エリザベート・ド・セルヴァに微笑みかける。エリザベートは勝ち誇ったように微笑み、リディアを見下ろした。


「リディア様、残念でしたわね。でも、これでようやくレオン様も解放されるのです。貴女のような冷たい方には、やはり妃の座は重荷だったのですわ」


会場に忍び笑いが広がる。貴族たちはあからさまに顔を見合わせ、小さく囁き合っていた。

リディアが上品な顔立ちと冷静な物腰を持つ一方で、感情をあまり表に出さないことが「冷たい」と陰口を叩かれていたことは、彼女も知っている。


だが、彼女は決して誰かを陥れるような真似はしなかった。


「……証拠とおっしゃいましたが、それはどのようなものでしょうか」


「複数の人間の証言があり、薬品入りのビンも見つかっている。さらにエリザベートの肌には薬品をかけられたことによる炎症が出ている。そのうえ、お前の筆跡の命令書もあるんだ。言い逃れはやめろ」


「それらは簡単に捏造できるものなのでは。今一度詳細な調査をお願いします」


「言い訳は聞きたくない。お前はもう用済みだ。今後は辺境で大人しく暮らすがいい」


レオンの言葉が突き刺さる。リディアの視界がわずかに揺れる。

怒りでも、悲しみでもない。これは、呆れと虚しさだった。


ラグリファル王国の未来の王太子妃として立ち居振る舞い、言葉遣い、政務の補佐に至るまで、彼のために学び、尽くしてきた年月。

そのすべてがあらぬ疑い一つで踏みにじられたのだ。


しかし、泣き崩れることも、怒鳴り返すこともなかった。


リディアはすっと背筋を伸ばすと、一礼して静かに口を開いた。


「……承知いたしました。殿下がそのようにお望みであれば、私には逆らう権利はありません。ただ一つだけ、申し上げておきます」


リディアの瞳が、真っ直ぐにレオンを射抜いた。


「私には、後ろめたいことはございません」


その瞳の清廉さに、ほんの一瞬だけレオンの表情が揺れた。しかし、彼はすぐに目をそらし、何も言わなかった。


騎士が近づき、リディアに「退場」を促す。

彼女は礼儀正しくドレスの裾を整え、静かに歩き出す。

その後ろ姿を、貴族たちは面白半分に眺めていた。

だが、その中の何人かは彼女の毅然とした態度に心を打たれていたのも事実だ。


王城の外へ出た瞬間、冷たい夜風が彼女の頬をなでた。


「――終わったのね」


誰にも聞こえない声でそう呟く。

侍女たちも、レオンの命により全員解雇された。

馬車に乗せられ、家族の元へ別れを告げに立ち寄ることも許されず、彼女はそのまま辺境行きの馬車へと連れられることになる。


彼女の持つものは、ほんの少しの手荷物と、身の潔白、そして――


まだ名も知らぬ、誰にも侵されていない誇りだった。


(いいえ、こんなことで終わってたまるもんですか)


月明かりの下、リディアの瞳は静かに輝いていた。


この追放劇がラグリファル王国、そして隣国のヴァルハルゼン王国の未来に大きな影響を与えることになるのだが、そのことはまだ誰も知らない。

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