てぃ・たん・ぽわぽわっ!

仮装

てぃ・たん・ぽわぽわっ!



 てぃ・たん・ぽわぽわ、魔法の呪文。てぃ・たん・ぽわぽわ、秘密の暗号。てぃってぃ・たんたん、てぃたてぃた・てぃー……ぽわーんっとなって、でも出たのは豆の方だった。まじ平家へいけ。ぽわぞん盛心必衰じょうしんひっすいことわり

 あたしが校舎裏でスカートから大量のえんどう豆ばら撒いて、とつって討ち死んだら死体は拾っといてあげる、って言ってくれてたリチアが、あたしの豆、全回収したって教えてくれた時には駅に着いたらもう汗、やばかった。嗅いだことのない種類の自分の匂い。その夜リチアからチキンライスのイメージ送られてきて、こっちは頭痛いのに、意味がわからないって思って無視したら、あれ、拾ったあたしの豆って作ったやつだって、一限前に教えてくれた。

「美味しかったよ」

 リチアとは親愛チャネル開通済だから、その気になればあたしが出した豆だって食えるんだろうけど、普通やるか。

「口の中で、舌だけで皮むいてみた、全部」

「やめてよ」

「もう遅いよ、ごちそうさま」

 リチアが、ノノノノ、と手で自分のお腹叩いてから、席に戻る。始業のベルが鳴る。そうだ、もう遅い。一限。共通語。教師、ノア・ウェブスター。質問試問しもんしてさせて、からのラスト15分で班の子たちと生成文書ドキュ解読でりょう。二限。数学。ウォルター・ルディン。これもラスト25分かけて班で怪文書ドキュ輪読りんどくで了。三限。選択外語、ギュスターヴ・フローベール。

「ぐええっ、SSRスーパースペシャルレア!」

 と、隣の席の直砂すぐさが、あたしの机を指さして叫ぶ。教室がどよめく。担任チューターの芬蘭フェンラン、ぺつぺつ床鳴らしてあたしの席まで歩いてきて、机の表面からぬっとホロholo出た教師の顔、確認する。

「ええーっ、ほんとー!?」

 せっかくSSR出たのに何で困った顔してんだ、芬蘭、担チューでしょ。

「すごおぉぉーい天瀬あまぜさぁん、これでうちのクラス、今期4つ目だね」と、窓際の席の鐘衣かねいが苺タルトみたいな声で叫ぶ。まじ毒蛇。でも教室沸く。でも本当に授業中に引き出したSSR教師、これで4つ目だ。そのうち2つはリチア。数学でアラン・チューリング、物理でポール・ディラック。あたしが昨日校舎裏で霧尾きりお先輩にとつって引き出したのは豆。

「……だったってことはさ、霧尾先輩ちがったってことっしょ」と、四限、体育の高跳び待機しているあいだリチアが言う。

「でも学校の男の子の中で霧尾先輩が一番美味しそうに見えた」だから思い切って凸った。

「中等部から数えて7人目でしょ、結局、豆」

「うん」

「ことは重大かもしれない」

「え?」

「ミューンのキュッ、ニ——ン!……恋絡みじゃないんじゃない?」

 え?

「次ー、伊井野いいのリチアー」と、高跳び台に変形してる運動遊機アスレティカから声がかかる。リチアがスタート位置に小走りしてく。リチアのキュッ、ニ——ン!はあたしで言うところのぽわぽわだ。たぶん。正確には知らないってかわからん、他人の脳だし。だから今、ちゃんと見えるものを見た、リチアの肉体。体操着の白で際立つ腕足の長さと、薄い色の砂浜みたいにしっとりと、コルク色に焼けた肌。体育の時だけするポニーテイル。リチアが跳んで、背中から落ちて、そのまま反動で後転する。

「えーっ、自主最高記録!?」みたいだ、学園から許可され解放されたリチアのエモグラフィが開花し——彼女が着地したエヴァーマットが大きなスカートみたいな滝に変わる。そのいただきで、リチアは黄色いサーフボードに寝そべり、ぷかぷか浮かんでる。ロイヤルブルーの水着からすっと伸びた長い脚。

「今日なんか上振うわぶれしすぎじゃない?」

 昨日あたしが豆だしたから、その反動、なのかな?

「え、直帰ちょっきない?」放課後、あたしの席まで来たリチアが察して言う。

「ん」

「どすんの?」

「もっかい霧尾先輩いってみる」リチアは体育の時に言ってたこと、すっかり忘れてるみたいだけど、あたしは引きずってた。だから確かめたかった。「今日部活で残ってるはずだから、前よりは落ち着いて行きやすいだろうし」

「まじ源氏げんじ。おけ、わたしも残るわ」

「えー……」

「豆フォロー、任せいっ!」

 で、ふたりで放課後、解禁されたエモ地で虹色にきらめくスカートやらリボンやらニーハイのあいだ縫って体育館に向かう。校舎から出て連絡通路歩き始めてすぐ、「あっ」とあたしたちは思わず口にだす。霧尾先輩だ。通路から外れた、体育館裏に通じる小広場スペースの奥にいる。凸るにはうってつけの位置だけど、霧尾先輩はひとりじゃない。

「誰あれ?」と、通路の壁でカバーを済ませたリチアが、姿勢と同じくらい低い声で聞いてくる。

「女の方は、美蔵みくら先輩。霧尾先輩の彼女」

「ちょちょい、ちょい。え、彼女持ちに凸ったの?」

「ん」あたしはカバーを維持しつつ、髪をバレッタでしっかり挟みなおし、霧尾先輩と美蔵先輩、そして謎の男子の三人の観察をつづける。何かが変だ。あれ? 霧尾先輩、もうそんなに美味しそうじゃない? 凸って引き出せたの、豆だったから? それだけじゃない。変だ。何かが不穏だ。あの三人……などと思っていたら、

「キウチ君には、もう関係ないでしょっ!」

 と美蔵先輩が炸裂させる。キウチ、と呼ばれた、美蔵先輩と背が同じかやや低いくらいの男子がぐっとうつむく。

「苗字がきうちは学園内にひとり。鬼の内側と書いて鬼内」と、リチアが早速、学園の公開情報スクリーニングを済ませて、小声で教えてくれる。あたしは聞き耳を立て続けるが、距離と彼らの小声のせいで、何も情報らしいものは聞き取れない。

「ね、リチア」

「ん?」

「推理しよ」

「……ミューンがしたいなら」

「あれ凸かな?」とあたしは聞く。「美蔵先輩発の」

「かもね」

「で、あっちの子。男の子」

「うん」

「霧尾先輩の元彼、か何か?」

 リチアが少し間を開けてから、

「そ、かも」と言う。

 まじ凹爛胆へこらんたん

 声で、校舎側から女子生徒グループが近づいてくるのがわかって、あたしたちの前で少し黙った後でそのまま通り過ぎたあと、リチアが気まずさと後ろめたさみたいなの発し始めて、辛い。喉から豆、吐いちゃいそうだ。

「天瀬さん伊井野さん、ふたりで隠れて、こんなところでなああぁーーぁああに、してるの?」

 あたしはその声にびっくりして振り向く。すぐそばで、鐘衣があたしたちのこと、笑顔で見下ろしている。

「おいバカ今はやめろっ」とリチアが慌てて言う。

「そうだよっやめないよ、だってわたし馬鹿だもんっ」

 あたしは咄嗟に鐘衣の手首を掴んだ。こちらに引き下ろす前に、鐘衣の眼がスペースの方に向けられ、すっと一瞬、完全にすわる。走査スキャンされた、霧尾先輩と美蔵先輩と鬼内、その三角状況。

「でさ、ふたりはここで何してるの?」不気味なほどあたしの腕に素直に従い完全にお尻までついた体育座りをして見せてから、鐘衣が聞いてくる。

「お前は何しにきたんだよ」とリチア。

「質問に質問、全然いいよ、答えてあげる。わたし、天瀬さんと伊井野さん、大好きだもんっ」

「それで何の用なの?」とあたし。

「ふたりに聞きたいの、どうやったら授業中にSSR教師引き出せるのか」

「そんなの……半ば運みたいなもんだろ」とリチア。

「だったらもうほぼ尽きたよ、運、今年の」と鐘衣。「ひとつのクラスでの年間SSR排出数、平均5なんだって」

「教師はガチャじゃねーよ」とリチアが指摘する。

「だったら何かコツがあるんでしょ、凡人にもわかるよーに教えてよ、ね。学園アルゴを逆手に取るような方法」と鐘衣が言う。

「わたしたちは何もハックしてない」とリチアが言う。

「冗談だよ」と鐘衣が目を細めて微笑む。「わたしも、ふたりみたいにヴィジュだけじゃなくて知性も評価されるようになりたいのっ! そうすれば、派遣生や駐屯生じゃなく、進学生としてのポジション、固められるだろうし。だからー、ふたりが教師対策用個人教師してくれたら、にふふ、まずまず、伊井野さんにはーこれっ! あげちゃおうかなっ!」と言って、鐘衣が肩にかけてた学バンを床に置いて、ジップをニィィと開ける。「こーれ、この前近所の商店街のアーケードに引っかかってるの見つけて、回収したんだー」

 鐘衣が、パック入りのTシャツみたいなものを取り出してリチアに見せる。でもただの無地Tじゃない。袋越しに、黒とか紫とかピンクの、ピクセル状のグリッチが観測できる。「よく見て触って、伊井野さん!」

「え」リチアはそのパックを受け取ると、ぎゅっと両端を引いて中身を検め、息を飲み、「V骸ヴイガイ?……誰? もしかして、嘘っ!……吉田紫水よしだしすい?」

 文豪みたいな名前だ、としか思えない。でも、リチアはVに詳しい。あたしのママも詳しかった。でもでも、Faithフェイス huggerハガーってウイルスのせいで、世界中のイラスト系Vが生身の体から根こそぎ剥がされて、ママは婚活始めて、ほどなくパパと結婚した。リチアが折りたたまれてパックに入った、あたしの着床譚・断章の残滓ざんしを、かしゃかしゃと振る。「まーったくもう」と吉田紫水がポリ越しのくぐもり声で言う。「お前らたちは、きメーン、阿佐ヶ谷!」

「やばいこれ、まだたまってる!」とリチアが言う。

「よく知らないけど、第9世代Vで、なおかつアニマ残余してるの、かなりレアなんでしょ。メタオクの平均落札価格、ゲロ高かったし」

 鐘衣は、パック詰の吉田紫水を両手に持って口を半開きにしているリチアから、あたしに視線を移す。

「天瀬さんにはね」鐘衣が体育座りほどいて、両膝をへたりと、右に倒す。床に手をついて、四足獣のように迫り、顔はスフィンクスみたいに静謐せいひつで、「ものじゃなくて情報。人聞き悪いから、ふたりだけの内緒にしよ、ね」

「何?」とあたしは言って、横を見る。リチアは完全に吉田紫水のV骸で無力化されちゃってる……ああ……「いや」

「天瀬さんわたしのこと嫌い? 何でブロックするの?」

「ブロックしてないよ」

「チャネルじゃなくて、心、わたし悲しい。クラスメイトなのに、今にも大声で泣きだしちゃいそう」

「やめてよ」

「きゃあああああああああああああああああっ」

 と声が聞こえたのは、驚いた、通路の奥、体育館の方からだ。くっ、と鐘衣の首が座り、両の肩甲骨を近づけるように、上半身を壁の隙間から迫り出して、スペースの方を伺う。声がしたのは通路、でも何かが起きたのはスペースの方、あたしもつられてそれに気づいて、すぐさまそちらを覗き込む。

「やばい……」とリチアの声が聞こえる。「あれ……嘘っ、真凸しんとつしてる?」

 してるっぽい。美蔵先輩が床に倒れた鬼内に馬乗りになって、片手を振り上げてる。その手には何か光るものが握られていて、それが横に払われ、霧尾先輩が突き飛ばされる。美蔵先輩のカチューシャがきらきら、虹色に輝くのがみえ、それで、空が赤く染まりながら、降りてくる。誰かの声が聞こえる。光を握った手が振り下ろされ、地面がむっくら、パンケーキみたいに膨れあがる。焦げたような匂いを嗅ぎながら、あたしは美蔵先輩の頭にかかった固体の虹に夢中で、その中を覗きたい。前のめる。どんな気分で凸ったのか、なんでこんな凸になってしまっているのか。赤い空と黄色い地面に挟まれた凸を、リチアの顔が覆う。リチアがパクパクと何か必死に口を動かしているけれど、彼女の声は聞こえない。代わりに、

「——全校生徒は至急、チャネルを閉路し、完全な自閉モードに移行してください、繰り返します、全校生徒はチャネルを閉路し、完全な」というアラートが頭に響く。よかった、とあたしは思う。災害でも空襲警報でもない。空が赤い。それが顔に被さる。息苦しくて、目の前が黒くなる。黒が色んな色に砕けて、散って、せていく。残った白に陰影がつき、どこか官能的なひだの起伏が浮かんでくる……これは、カーテン。

 あたしは何度か目瞬まばたいてから、それでもカーテンが確固としてその像を揺るがさずにいると、頭と身体をもぞもぞと動かしてみた。減菌されたシーツと枕の冷たさで、自分の頭がまだ熱く、ぼってなってるのがわかる。ベッドの脇の椅子にはあたしのバレッタと学バン、リチアの学バンが並んで置かれていて、それに腕を伸ばした直後、モータの音が聞こえたので方向修正、カーテンを開ける。白くてずんぐり太ったトーテムポールみたいな医務ボットの、緑色のアイライトと眼が合う。

「生徒ナンバー39XXX、天瀬美雲みうん、気がつきましたか」と医務イムボが言う。「外傷はありませんが、脳波のストレス指数が閾値を超えたのを確認したので、別命あるまでそこで横になっててください」

「外傷の人、出た?」

「他の生徒のプライバシーに関わることにはお答えできません」

「あたし、今日の授業でSSR出したよ、チケット、もう発行されてる?」

 あたしがそう聞くと医務ボはしばしの間を空いて、「未使用の特待チケットが一枚確認できます」

「それ使う。さっきの質問に答えて」

「他の生徒のプライバシーに関わる特別待遇はしかねます」

「あんまり無茶させるなミューン」とカーテンの別側から、リチアの声がする。彼女はすぐに隙間に姿を現し、「気づいたんだ、大丈夫そう?」

「うん。誰か死んだ?」

「そこまで物騒なことにはなってない。暴れた美蔵先輩が、警備ボットと非常事態用スーツ着込んだ芬蘭に捕まって調整室送りになったけど。あと……」と言ってリチアはあたしから眼を離し、別方向をみて小声で、「あの鬼内ってやつが軽い怪我」

「そっか」

「大丈夫そうだね、わたし、何か飲み物買ってこようと思ってるんだけど、何か欲しいものある?」

「緑茶」

「あい。じゃ、戻ってくるまで大人しくてな」

「なー」

 リチアがカーテンの向こうに消えて、ドアが閉まる音がする。あたしは天井を見つめ、そこに等間隔で見えるたくさんの小さな点が、勝手に揺れたりしないか確かめる。そのうちに医務ボがモーター音を鳴らして、移動を始める。天井の点は北極星のクローン群のように、至って動じない。やがてまた自動ドアが開いて、閉じる音がすると、あたしはそっとベッドの上で身体を起こし、衣擦れの音に気をつけてシーツから脚を出し、上履きを履き、バレッタを頭につけて、ベッドから降りた。カーテンの隙間を抜けて、人も、機械の姿も見当たらない保健室の中を見渡し、夕暮れの蜜色の光の中、ひとつだけ閉められたカーテンの方に近づいていく……。

「どんな味?」

「んー……ゲル、だな」と霧尾先輩の声。

「だから言ったじゃん」と、先輩より高い声がする。「これくらいの傷、すぐ塞いじゃうって」

 わずかにあったカーテンの隙間から覗くと、ちょうど、椅子に腰を下ろした霧尾先輩の後頭部がぐっと持ち上がるところだった。

「医務ボットって、すごいんだな」

「なーんだ、先輩、これくらいの怪我もしたことないんだ」と声。「あんまり火遊び、してないんだねー」

 ベッドでは患者服をはだけた男の子が白くて細い片腕を、自分の顔に被せている。あたしは自分の手がカーテンに触れかけているのに気づき、息を殺して、踵を返した。ゆっくりと歩調を維持しながら、自分のベッドまでもどる。身体を横にしてカーテンの隙間に身体を差し込むと、

「あー、まぜさん」と、小声で声をかけられる。見ると、あたしのベッドの枕横に、鐘衣が腰かけている。

「どこから入ったの?」

「元から入ってた」と言って、鐘衣は枕をぼふっと叩き、「ベッドの下」

「何っ、してたの?」

「心配してたの天瀬さんのこと。それに、わたしたち大事な話の途中だったじゃん、話せる?」鐘衣はベッドから降りると、わざとらしく目だけで明後日の方を見、「あっ、あー……覗き見できるくらいなら、お話くらいできるよね?」

「……話せば」

「あのね、これ内緒にしてね」と鐘衣は身を寄せ、あたしの右の手首にそっと自分の指を添えて、「わたし、霧尾先輩と、やった」と言う。「でも、ほんと、ただやっただけ。先輩があの子、鬼内君から美蔵先輩に移行しようとしてた時期? たぶん他にも何人か、間に挟んだ女の子、いたと思う」

「そうなんだ」

「そう、なにだけ。勘違いしないで心配しないで他になにもないから。あげてもさげてもないただの中マン。ほんとそれだけ。でもね、ふふ、天瀬さんわたしね、めっちゃいいの」

「なにが?」

「お腹の、記憶力」

 あたしはようやく、眉をひそめるのを自分に許可する。鐘衣が、側頭につけたヘアコームをコンコン、親指で弾いてから、

「だからね、ふふ、いいスキャナとプリンタがあれば、霧尾先輩のあれ、かなり精確にかたどれると思う」

「そんなことしてどうするの?」

「わたしが? わたしはそれ作ったら、天瀬さんにそれ、あげようかと思ってる」

「そんなのもらってどうしろっていうの?」

「うん? ふふ、やっちゃえばいいじゃん」

「なにを?」

「あのチビ、鬼内、後ろから凸っちゃえばいいじゃん」と鐘衣はいう。そして唇だけ微笑の形で作って、眼球を凍り付かせる。はい、わたしのはこれで終わり、で、どんな反応リアクションしてくれるの? とでも問うように。あたしたちが黙って、顔を見合わせながら、眼を合わせないように眉毛とかこめかみとかに視線を注いでいると、リチアの学バンがふるえた。あたしは椅子に近づいて、そのバッグのジップをニィィと開ける。折り畳まれた、ポリ袋の中の吉田紫水が「飛んで遠のく霧ヶ峰っ!」と言う。あたしはそれを取り出し、ポリ袋の封も開く。

「ん? あーまぜさん、それ、伊井野さんにあげたやつだよ」

「うん」

「天瀬さんには、言ったとおり霧尾先輩の——」

 あたしは鐘衣の首を掴んだ。これだけが正しい選択、そう思って、そのまま鐘衣をベッドに押し倒す。「おっご」と、息ぐるしそうに口を開けた鐘衣の口に、丸めた吉田紫水を突っ込む。

「んむうううううううううううごっ!」

 うめく鐘衣の眼が、球型ディスプレイみたいにビッチビチ、青紫色に点滅する。あがけ。あがく、鐘衣はでたらめに腕を伸ばし、上履きで床を鳴らし、でもあたしの首も肩も掴ませてやらない。ぐっと胸を張り、あごをあげ、鐘衣の紫色に変色し始めた顔を見下ろす。「ふぁぁぁぁらぁぁぁぁ」握り潰され魂震わせ歌い出す吉田紫水。「ふぃぃぃぃらっめんたるっ、あ・よいよい」内股に鐘衣の膝が当たり、でも痛くも痒くもなくて、吉田紫水を掴んだ手の親指が、ネイル塗ったみたいな青に輝いている。砂漠の夜の青だ。砂漠なんか行ったことない。こいつ、このままほっといたら死ぬ?

「おい!」水の中で聞いているみたいにくぐもった声が聞こえる。あたしはソナーの壊れた潜水艦みたいに、鈍く、頭の向きを右へ、左へ、もう一度右へ向ける。しゃりっ、と音を立てて夕焼けがカーテンを破く。

 霧尾先輩がベッドを見、それからあたしに眼をもどし、眉をひそめ首を引く。何かに怯え驚きながら、それでもこちらを非難してくるような目つき。そう、見て。あたしと鐘衣のこのプレイを、さっきあっちでやってたゲルプレイと見比べて。

「何してる——」

「何してたのは」言葉の途中で鐘衣が大きくもがいたので、吉田紫水をぐっと押し込み直し、「てめーの方だろ」

 たったったっ、と床で音が鳴る。あたしは床を見下ろす。何か落ちてる。それは血でも欠けた歯でも爪でもなくて、豆だ。

 さああああああと音がして、あたしは自分のスカートから何かが大量にこぼれ落ちていくのを感じる。腕の力も抜けていく。「ぐっは」と息を吹き返した鐘衣の顔が一瞬見えて、なんだかあたしが必死に人工蘇生していたみたいに思えて、笑える。でもその表情も、しゃあああああああ、と豆に覆われていく。先輩が動く気配がして、振り返ると、彼も豆を視ているらしい。親愛でもないのに。あたしが、チャネルの壁を超えてしまったんだ。あーあ。美蔵先輩に続いて、今日2回目? 朝から色々上振れつづきで、こんなん、学園アルゴも防壁セキュリティも、耐えられるんだろうか。上半身を豆に覆われた鐘衣が、それでも必死に腕をふって、顔を出し、口に入った豆を吐き出している。ああ、もうだめだ。あたしが広がってく。あたしの股の下で何か言ってる鐘衣の顔と、ベッドの向こうでこちらを止めることも逃げだすこともできずにいる先輩の顔を見る。口は動いているみたいだけどなんも聞こえない。だから、ちゃんとサイレンが鳴ってるかどうもかもわからないから、まじであたしにはもうどうすることもできない。素直に謝るのもなんかいやだ。あたしの純粋な凸を、知ってか、知らぬか、あんたたちが捻じ曲げたんだ。てぃってぃ・たんたん、てぃたてぃた・てぃー……とつとつられヘラメンへこ

 そっからはもう、とにかく豆だった。豆腐工場の機械と化したあたしのスカートから流れ出る豆が全てを覆っていった。あたしは豆に押し上げられて、普通に天井が間近に迫ってきて潰れる、と思って、でももう、豆の中でもがく力もなかったので、ぐったりと身体を横に倒して、豆の上を転がっていく。きもちい、無数の粒子に全身を揉まれているみたい。あたしは夕陽に焼けた豆のヶ原を転がっていく、正真正銘の討ち損ない。いっそ誰か殺しきって。でももう霧尾先輩でもいやだ。

 あたしは豆が保健室を埋め尽くす前に、半開きになっていた窓から、ぎゅるり、と外に抜け出る。赤く焼けたグラウンドが見え、その中にぽつぽつ立つ人影がなんかこっちみて声をあげ、笑い、それから悲鳴をあげて逃げ始める。あたしは転がるスペースをゆるめ、まどろみかけ、われに返り、あいつらはどうなったんだろう。もうグラウンドもろくに見えない。これが現実だとは思えない。春の夜の夢のごとしだがしかし今はもう秋。なのでもう、仰向けで、空だけを見ることにいたそうろう

 あたしは豆にふとももと、ふくらはぎと、くるぶしと足の裏をしゃわしゃわ揉まれながら、上昇していった。このまま空の底までいくのもありなん、などと思っていたら、ゆったりと、赤い空を大きな白い鳥が横切っていくのが見えた。眼を凝らすと、それが鳥じゃなくて、人工筋肉の翼を備えた戦闘機だとわかる。首のない、胴体のでっぷり太ったカモメみたいなそれを眺めながら、どこへ向かうの、中継島あるいは本土? などと考えているうちに、自分が静止しているのに気づく。脚を動かすと、豆がしゃらしゃら、傾斜を転がっていくのが聞こえる。脚を止めても、しゃらしゃらの余韻がつづく。それは法則を無視するかのように、下の方からだんだん、大きくなってくる。

「ミューン!」

 ああ。あたしは豆の上で上体を起こす。「リチア……」

 リチアがしゃりしゃり、豆の山のうえでバランスをとりながらこっちに近づいていくる。「大丈夫?」

「あたしは大丈夫……でもこんなにしちゃって。こんなの、あたしたちが在校してから初めてなんじゃない?」

「ミューンが大丈夫なら、大丈夫」リチアはそう言って、片腕で抱えていたサーフボードを豆の上に置く。「だから今はいったん、ここから逃げちゃおーぜ」

 リチアが手を差し出す。あたしが戸惑っていると、ずい、と手が顔の前まできたので、あたしはそれを掴む。リチアの力に従って、豆の山の上に立つ。

「こんな機会はまたとないさいっ」そういってリチアがあたしを連れて、サーフボードの上に乗る。「ミューン、行くよっ」

 あたしたちはしゃああああああああ、と音を立てて、豆の山を駅の方角に滑っていく。風圧に髪を靡かせながら、リチアがあたしがボードから落ちないよう腰に手を回していう、「あたしの特待チケット、まだ2枚残ってるから、それも使ってふたりで学園に謝ろ」

「でも……ぐあっ」

「ん、どしたん?」

「忘れてた、吉田紫水……」

「え?」

「鐘衣の口に思わず突っ込んじゃった」

「え?……あははっ、なにそれすごっ」とリチアはいう。「でもあたしも約束破ったから、これでおあいこだ」

「ええ?」

「豆フォローまかせい、言うたやん」

 それでなんかあっさり、しゃあああああしゅ・ぽっと、ぽわった。あたしたちは大きなシャボン玉の中に入って、ゆったり、空に浮かんでいく。リチアが「おっとと」と、シャボン玉の中で体勢を整えたあとで、あたしの顔を見、眼を見開く。

「え、ミューンっ、これ、もしかしてっ?」

 あたしもびっくりしていたので、同じように眼を見開いて、彼女の目、虹彩と瞳孔の色を、あらためてじっくり眺めることしかできない。

 あたしたちは浮かんでいく。このまま空の底に至るのもありなん。途中でシャボン玉が割れても、大丈夫、こんなに豆、地上に敷き詰められてるんだから。だからもっと、もっと、もっと高いところまで行ってしまっても、




                         Tit Tat N Pois, Pois!



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