第16話 惑星シャーミャオへ
三人は、少し高い場所から突然放り出されるように落下した。
「いったぁっ!」
最初に声を上げたのはまもりだった。尻餅をつき、両手でお尻を押さえる。
「ちょ、ちょっと! 壊れちゃうよ!」
ウエルテルは反射的に自分の腕や胴体を見回し、可動部に異常がないかを確認する。
一方――
「ぶほっ!」
鈍い音とともに、シュバルツは顔面から豪快に着地した。
その姿を見て、まもりとウエルテルは一瞬ぽかんとしたあと、思わず吹き出してしまう。
「シュバルツさん、大丈夫?」 「だ、大丈夫ですか……?」
二人が近づくと、シュバルツは腹を押さえ、地面に転がったまま天を仰いだ。
「……もーだめだ……」
「えっ!?」 「え、本当に!? どこか壊れた!?」
本気で心配する二人に向かって、シュバルツはかすれた声で叫ぶ。
「腹が減って……動けねぇぇぇ!!」
一瞬の沈黙。
まもりとウエルテルは、そろって細い目になった。
「……この食いしん坊」 「……重症ですね、空腹症」
「ちげーんだよ!」
シュバルツは半身を起こし、首元のネックレスを指差す。
「このネックレスによ……脳波を集中させるのに、エネルギー……しこたま使うんだよ……」
そう言って、力なく手を伸ばし、
「……腹へった……」
と、情けない声で呟いた。
まもりは思わずため息をつきながらも、クスッと笑い、
「ほんと、シュバルツさんって……」
ウエルテルも肩をすくめる。
「無事で何より、ですね」
こうして三人は、 未知の地への到着早々、いつも通りの空気を取り戻したのだった。
三人は、緩やかな丘の上に着地していた。
まもりは立ち上がり、あたりをぐるりと見回す。 すぐ近くには、小さな墓地があった。石でできた墓標が規則正しく並び、その向こう側には街へと続く一本の道が伸びているのが見える。
その道は、土を固めて作られた素朴なものだった。 道の脇には、背の低い草や小さな花が咲き乱れ、ところどころに色とりどりの点を打っている。
ぶん、と羽音がして、蜂らしき虫が一匹、花から花へと飛んでいった。
空気は少しひんやりとしているが、どこか柔らかい。 まるで春の始まりを思わせるような、穏やかな気配だった。
まもりは道の先を指差して言う。
「……あの道を降りれば、街に行けると思うよ」
「うん、そうだね」
ウエルテルは頷き、ちらりとシュバルツを見ると、にんまりとした表情で声をかけた。
「さあシュバルツさん、立って。 あの坂を下っていけば――ご飯にありつけるよ」
その言葉を聞いた瞬間だった。
「よし、行くぞ!!」
シュバルツは一瞬で立ち上がり、力強く叫ぶ。
さっきまで地面に転がって腹を押さえていた人物とは、思えない変わり身の早さだった。
まもりはその背中を見つめながら、心の中で思わずつぶやく。
(……ほんと、すごい)
三人は墓地を横目にしながら、ゆっくりと坂を下っていく。
見上げれば、この星の太陽はすでに南中していた。 柔らかな光が丘と道を照らし、これから始まる旅路を静かに見守っているようだった。
街へと続く道を歩きながら、まもりがふと口を開いた。
「ねえ……ここは、どこなの?」
「シャーミャオだ」
シュバルツは即答する。
「シャーミャオ、か……」
ウエルテルが小さく呟く。
まもりは首を傾げ、二人を見上げた。
「どんな星なの?」
その問いに、二人は――なぜか同時に答えた。
「チャーハンが、うめーんだ」
「伝統医学が有名だよ」
一瞬の沈黙。
そして――
「ぷっ……!」
まもりは思わず吹き出し、 あの一級品の笑顔をぱっと咲かせた。
二人は当然のように直視してしまい、 次の瞬間、顔を赤らめて目を少し逸らす。
「……お前、今のは反則だぞ」
「まもりちゃん、急に来るのはずるいよ……」
しばらく歩くと、まもりが鼻をひくひくさせた。
「……ねえ、なんか、すごくいい匂いしない?」
シュバルツが前方を見る。
気がつけば、三人はすでに街の入り口に差しかかっていた。 屋台の煙、香辛料の匂い、焼き物の香ばしさが混ざり合い、空気を満たしている。
その瞬間――
「グゥゥ~~~」
静かな通りに、やけに立派な腹の音が響いた。
「…………」
次の瞬間、まもりとウエルテルが声を揃えて爆笑した。
「ちょっ、音でかすぎ!」
「もう隠す気ないでしょ、それ!」
シュバルツは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「う、うるせー! お前らだって腹減ってるだろ!!」
その必死な言い訳が、さらに笑いを誘った。
街の入り口には、笑い声と温かな空気が満ちていた。
三人は街の中へ足を踏み入れた。
その瞬間、まもりの鼻をくすぐる匂いがあった。 餃子の焼ける香ばしさ、肉まんの湯気、かん水特有の少し懐かしい匂い。
――横浜中華街。
まもりの頭に、その言葉がふっと浮かんだ。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
両親と、まもりと、そして聡。 小さな頃、四人で歩いたあの日の通り。 父の手、母の笑顔、聡が先を歩いて振り返った顔。
記憶が一気に溢れ出し、視界が滲んだ。
「……っ」
気づけば、涙が頬を伝っていた。
ウエルテルがすぐにその変化に気づく。
「まもりちゃん……?」
シュバルツも足を止める。
二人は、ほとんど同時に口を開いた。
「大丈夫か?」
「大丈夫?」
まもりは涙を拭おうとするが、うまくいかない。
「ごめん…… 両親と……トシ君と……一緒に出かけた日のこと、思い出しちゃって……」
その言葉を口にした瞬間、 二人の優しさが胸に沁みて、涙はさらに溢れてしまった。
「……そっか」
ウエルテルはそれ以上踏み込まず、ただ静かにそばに立つ。
シュバルツは何も言わず、 人混みから少し外れる位置に立ち、さりげなく背中を向けてくれた。
街の喧騒の中で、 まもりの時間だけが、ゆっくりと流れていた。
一人のおばあさんが足を止め、まもりに優しく声をかけてきた。
「どうしたんだい。 何か辛いこと、あったのかい?」
しわの刻まれた顔には、 どこか懐かしい、包み込むような笑顔が浮かんでいる。
「ほら、あっちに私の店があるからね。 美味しいもの、食べていかないかい?」
まもりは涙を拭きながら、こくんと頷いた。
「……うん。行く」
そう言って、かすかに微笑む。
「ありがとう、婆さん」
シュバルツが頭を下げる。
「お願いします」
ウエルテルも丁寧に続いた。
少し歩くと、 古めかしい佇まいの店が見えてきた。 年季の入った看板と、扉の隙間から漂う、食欲をそそる香り。
三人はおばあさんに導かれ、店の中へ入った。
店内は昼下がり。 昼食の忙しさが一段落した頃で、 二人の女性店員が片付けや次の仕込みをしているところだった。
「「おばあちゃん、いらっしゃい」」
二人は声を揃えて言う。
おばあさんは、まもりの頭をやさしく撫でながら言った。
「この子にね、 美味しいもの、食べさせてやってくれないかい」
「うん、わかったよ」
店員たちはそう答え、 メニュー表と湯気の立つ温かいお茶を運んできた。
シュバルツ、ウエルテル、まもり、 そしておばあさんも一緒に、同じテーブルにつく。
「ここはね、私の孫娘がやってる店なんだよ。 自分で言うのも何だけど、どれもとっても美味しい」
そう言って、おばあさんは胸を張る。
メニューを眺めながら、シュバルツが真っ先に言った。
「俺、チャーハンと油淋鶏!」
「じゃあ、僕は酢豚と桂花陳酒を」
ウエルテルが続く。
まもりは少し考えてから、
「……春巻きと、胡麻饅頭。 それと、杏仁豆腐をお願いします」
「はいはい」
店員たちは笑顔で注文を取っていった。
湯のみを両手で包み込みながら、 まもりは胸の奥が、少しずつ温まっていくのを感じていた。
さっきまでの痛みが、 ほんの少しだけ、和らいでいた。
思ったよりもずっと早く、料理が運ばれてきた。
「……はやっ!」
シュバルツが思わず声に出す。
店員は胸を張って言った。
「うまい・早い・安いがモットーなんだよ」
その言葉通り、 チャーハン、油淋鶏、酢豚、春巻き、胡麻饅頭、杏仁豆腐が 次々とテーブルを埋めていく。
ウエルテルは運ばれてきた桂花陳酒を一気に飲み干し、 すぐに顔が真っ赤になった。
それを見て――
「「「はやっ!!!」」」
二人とおばあさん、全員の声が揃う。
「えへへ……」
ウエルテルはすでに出来上がった笑顔で、 意味もなく杯を掲げていた。
まもりは春巻きを一口かじる。
じゅわっと広がる旨味に、思わず目を見開いた。
「……おいしい。 すごく、味が染みてる」
自然と笑顔になる。
「ありがとう、おばあさん」
そう言って頭を下げると、 おばあさんは目を細めて、嬉しそうに微笑んだ。
シュバルツはというと、 油淋鶏を豪快にかき込みながら、ふと顔を上げる。
「婆さん、何か食べないんですか?」
「私はもう食べたよ」
そう言って、おばあさんは湯のみを手に取る。
少し間を置いてから、 ふと、三人を見渡して尋ねた。
「……あなたたち、他の星から来たのかい?」
ウエルテルはすでに思考が追いついておらず、 口を開けたまま何も言えない。
シュバルツが代わりに、素直に答えた。
「実は、人を探してるんだ」
まもりも頷き、スマホを取り出す。
「……私のお兄ちゃんです」
画面に映るのは、 ボサボサ頭に眼鏡、 《猫の下僕》と書かれた黄色いサイズの合わないTシャツを着た青年。
「ちょっとダサいけど…… すごく、優しい兄なんです」
シャーミャオの人々は地球人によく似ていて、 東南アジアの人に似ており、髪の量が多いくらいだ。
おばあさんは鞄から老眼鏡を取り出し、 それをかけると、スマホの画面をじっと凝視した。
おばあさんは、まもりのスマホを受け取ると、
そっと立ち上がり、二人の店員のもとへ歩いていった。
「ちょっと見ておくれ」
二人の店員は顔を寄せ、
スマホの画面を覗き込む。
少し考え込むような沈黙のあと、
片方の店員が、ぽつりと言った。
「……そういえばさ」
もう一人も思い出すように、頷く。
「言葉の通じない人が倒れてたって話、
薬売りのロンさんが言ってたよね」
その瞬間――
まもりの目が、ぱっと大きく見開かれた。
「……!」
シュバルツも同時に息を呑み、
二人は顔を見合わせる。
「もしかしたら……!」
「……かもな!」
次の瞬間、
パァン!
と乾いた音が店内に響く。
まもりとシュバルツのハイタッチ。
「当たりかも!!」
まもりは跳ねるように喜び、
例の――
一級品の笑顔を解き放った。
それを、二人の店員が――
真正面から直視してしまう。
(……やばい)
(……好きになりそう)
心の声が同時に重なり、
二人の頬は一瞬で赤く染まる。
慌てて視線を逸らし、
一人は皿を持ち、
もう一人は意味もなく布巾を握りしめた。
一方――
おばあさんは、無敵だった。
「まぁ」
そう言って、まもりの顔を見つめる。
「本当に、すごく素敵な笑顔だね」
まもりは少し照れながらも、
嬉しそうに微笑み返す。
その光景を――
真正面から見てしまった人物が一人。
シュバルツだった。
「……」
次の瞬間、
胸を押さえて、静かに崩れ落ちる。
「……討ち死に……」
ウエルテルは、ヘベレケですでに落ちていた。
シュバルツは店員たちの方を見て尋ねた。
「なあ、そのロンってのは、今どこにいる?」
二人の店員は顔を見合わせ、片方が少し申し訳なさそうに口を開いた。
「ロンさんなら……三日前にこの街を出ましたよ。 月に一度は必ず戻ってくるから、ここで待っていれば来月には会えると思いますけど」
「来月か……」 シュバルツは眉をひそめる。「できれば、もっと早く会いたいんだが」
その言葉を聞いて、お婆さんが静かに頷いた。
「それなら、追いかけるしかないね」
まもりとシュバルツが、お婆さんを見る。
「ロンは薬草の行商人でね」 お婆さんは穏やかな声で続けた。
「この国の南部を歩き回って売っているよ。一つの町に、だいたい五日は滞在する。 今頃なら……雨天(ユーテン)にいるかもしれないね」
「雨天……」 シュバルツがその名を反芻する。
店員の一人が、すぐに補足するように言った。
「今ここは春天(チュンテン)の東端です。 雨天までは、歩くと二日くらいかかります」
もう一人が、指を立てて付け加える。 「でも、飛行船に乗れば早いですよ。 ちょうどこの街から南へ出てます」
その言葉に、まもりの胸がどくんと鳴った。 “追いつけるかもしれない” その可能性が、はっきりと形を持った瞬間だった。
シュバルツは軽く息を吐き、ニッと口の端を上げた。 「決まりだな」
酔いが覚めてきたウエルテルは静かに頷く。 まもりの胸はどんどん高鳴ってゆく。
道は、もう見えていた。
夕暮れが街をオレンジ色に染め始めた頃、 ウエルテルは手にしたバナナオーレを一気に飲み干した。
「……ふぅ。これで頭ははっきりした」
店員が少し慌てた様子で近づいてくる。
「飛行船の出発時刻、調べましたよ。 次が今日の最終便で、その次は三日後の朝です」
「三日後!?」 まもりが目を見開く。
「もう時間がないです」 店員は真剣な顔で続ける。 「チャーハンを五人分作る時間くらいしかありません」
その言葉を合図にしたかのように、 シュバルツ、まもり、ウエルテルは一斉に店を飛び出した。
南の方角を見上げると、 二十階建てほどの細長い塔が夕焼けを背にそびえ立っていた。 最上階からは桟橋のような構造物が突き出し、 その先に、巨大な飛行船が静かに浮かんでいる。
「……あれだ」 シュバルツが呟く。
店員が指を差し、 「あそこです! 歩いて十分くらい! 急いで!」と叫ぶ。
三人は走り出した。 夕焼けの空の下、 飛行船は、今にも離陸しそうに静かに光っていた。
――だが、しばらくして。
ウエルテルの足が、ふっと止まった。
「……」
まもりが振り返る。 「テル君? どうしたの?」
シュバルツも足を止め、少し焦った声を出す。 「何してるんだ、船に乗り遅れるぞ」
ウエルテルは一瞬だけ目を伏せ、そしてはっきりと言った。 「……僕、ここに残る」
「えっ?」 まもりの声が裏返る。
「何言ってるんだ」 シュバルツの声には、わずかに怒気が混じっていた。
ウエルテルは振り返り、春龍の方角を見る。 「あのお婆さんが、気になるんだ」
「どういうこと?」 まもりが尋ねる。
「消化器官の病気かもしれない。しかも、少し重い」 ウエルテルは静かに続けた。 「僕は、あのお婆さんを治療する。 まもりちゃんとシュバルツさんは、ロンさんに会って話を聞いてきて」
一拍置いて、優しく言う。 「僕は、あの店で待ってる。春龍で」
シュバルツはしばらく黙っていた。 夕焼けの光が、彼の横顔を赤く染める。
そして、短く頷いた。 「……わかった」
一歩踏み出し、言葉を続ける。
「美味い飯を食わせてもらった礼をしてこい」
少し間を置いて、 「思う存分、礼をしてこい!」
ウエルテルはぱっと表情を明るくし、 「ラジャー!」 と敬礼した。
まもりは大きく手を振る。 「すぐ戻ってくるから!」
ウエルテルは小さく頷いた。
シュバルツとまもりは、再び飛行船へ向けて走り出す。 ウエルテルはその背中を見送り、くるりと踵を返した。
――その表情には、迷いはなかった。
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