感染研究施設デスゲーム ――鉄の血が固まるフロア〈セクションD〉――
奈良まさや
第1話
◆◆◆ 第1章 「隔離」 ◆◆◆
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午前十時四十二分。
感染研究施設〈セクションD〉地下三階。
この施設には、70以上の感染関連の研究対象が存在している。
設備区画の空調ユニットの前で、久我遼は配線を確認しながら眉をひそめた。
「……やっぱり温度高い。定格18度なのに、24度って」
先程、壁の中の配電スペースから汗を拭きながら出てきた。作業服は脱いでいる。
背後から、低く落ち着いた声が返ってきた。
「機械の故障? あるいは……上で誰かが設定を変えたのかしらね」
宮坂玲子。
この地下の施設管理主任で、遼がここに出入りするたびに挨拶を交わす相手だ。
普段は冗談も言うタイプなのに、今日の表情は固かった。
「宮坂さん、上層部からこの階の温度調整の連絡って来てました?」
「いいえ。むしろ“勝手に触るな”って通達ばかり。……今日は特にね」
その言い方に、遼はわずかな違和感を覚える。
(……何か言えない事情がある?)
工具箱を閉じようとしたとき、ドライバーを落とした。PHSを足元に置き、点灯し、確認をしようとする。
その時
——警報が鳴った。
ブウウウウウウウ……!
遼は手ぶらのまま走り出した。
床には、点灯したままの端末が置き去りになっていた。
区画Aのシャッターが、鈍い鉄の音を立てて一気に落ちる。
「ちょっ……!」
遼が駆け寄るより早く、完全に閉ざされていた。
《緊急封鎖。汚染区域発生の可能性。該当階層、ロックダウンに移行します。》
機械的なアナウンス。
ただの訓練ではない。声質に余裕がなかった。
宮坂が端末を叩く。
「ロックダウン!? 事前連絡なしって……あり得ない……!」
地上へのエレベーターは、A区間の向こう側だ。
A区間をシャッターで閉ざされると、避難階段でしか地上に出れない。
もちろん、建築物の地下3階以下の階に設置が義務づけられている。
しかし、避難階段は、B区間の向こうだ。
遼は透明パネル越しに隣のB区画を覗いた。
そこには五人の人影。
研究員の真栄田、河合、梢。
警備員の比嘉。
事務の井上。
梢は壁に手をつき、息が浅くなっている。
宮坂が息を呑んだ。
「沢渡さん……また体調悪いのかしら?」
遼は首をかしげながらも、心のどこかでちょっと気がかりだと思った。
いつも整備のたびに話しかける相手。
「久我さん、今日も暑いですね」と笑ってくれる、静かでやさしい研究員。
その梢の顔が、今日に限ってひどく青い。
(でもこれは……貧血⁈過呼吸かも。)
そんなことを考えた直後に、B区画で怒声があがる。
「梢! さっき汚染区域の前にいたろ!
お前、感染したんじゃないのか!」
真栄田だ。
声に攻撃的な棘がある。
「ち、違う……わたし……ただの貧血で……」
梢が必死に否定する。
井上が腰を落としてつぶやく。
「どうしよう……どうしよう……こんなの、聞いてない……」
遼は胸騒ぎを覚える。
(……症状が曖昧だ。アナウンスももっと曖昧だ。
この施設って、初期症状が似てる感染症が多いって聞いたけど——)
宮坂が遼の腕を掴んだ。
「久我さん……非常通路、使えるかも!B区画へ合流を!」
「行きましょう!」
二人は工具室奥の避難通路へ走った。
手動ハンドルを宮坂が全力で回すと、重い扉が軋みながら開く。
「この先です!」
遼は宮坂を先に行かせ、扉を閉めてから、中へ飛び込む。
すぐ先のB区画から、叫び声と衝突音が聞こえた。
(まずい……誰かが追い詰められてる……)
宮坂が振り返る。
「久我さん……助けられますよね……?」
遼はうなずく。
「絶対に。でも宮坂さん、覚悟してください」
「な、何の……?」
遼は低い声で言った。
「この事故は普通じゃない。
この階は意図的に仕組まれいて嫌な予感がします。
感染症汚染の隠蔽かも」
宮坂の顔から血の気が引く。
通路の先の扉を押し開けた瞬間、
そのとき。
《追加アナウンス。
河合直、感染の疑いが高い。
該当者は即時排除を推奨します。》
一瞬で、空気が変わった。
梢がびくりと肩を揺らす。
比嘉が河合をにらむ。
真栄田は目を細める。
「……なるほどな。
河合、お前……目、焦点合ってねぇぞ」
河合の呼吸が荒くなる。
「ち、違う……俺は……感染なんて……!」
遼は叫んだ。
「落ち着け! 症状がない!ただのパニッ——」
言い終わる前に、河合が突然走り出した。
「出せ! ここから出せ!!」
まるで何か見えているかのように、一直線に壁に向かって。
バンッ!!
重い衝突音。
河合の身体が壁に激突し、その場に崩れ落ちた。
「か、河合くん!!」
宮坂が叫び、遼も思わず声を上げた。
《汚染対象を確認。
処理ラインへ移送します。》
天井のダクトがカチリと音を立て——
直後、河合の足元の床パネルが一部開き、
遺体がゆっくりと吸い込まれるように消えていった。
あまりに自然すぎて、
誰も声が出なかった。
梢が震える声で言う。
「……こんな……即処理なんて……
上層部、空気感染系を疑ってる……?」
真栄田が皮肉っぽく笑う。
「いや、幻覚系だ。
あの走り方は、何か見てた。
神経ウイルスの症状に近い」
「感染経路は、血だ。ここ最近、河合は動物を扱っていたからなぁ」
梢が鋭く返す。
「出血もしていないし、呼吸も普通だった!発熱も痙攣もなかった。
空気感染を疑うべきよ!」
「は? 幻覚に決まってるだろ!」
二人の言い争いは数秒でヒートアップする。
しかし遼は別の場所を見ていた。
——天井のダクト。
そこから、かすかに焦げた臭いがした。
既にB区間もシャッターが下がって降りていた。
(……温度が上がってる?
冷却区画[A.B区間]の温度もおかしかった……
誰かが環境を操作してる?)
そのとき。
B区画の奥のガラスブースが目に入る。
電話ボックス型の、前面ガラスの脱染ブース。
普段はひんやりしているはずのその内部が、
よく見ると、妙に“曇って”いた。
(……あれ、稼働してる?
今のタイミングで……?)
遼が考えるより先に、新しいアナウンスが鳴る。
《該当階層の全人員へ。
感染者を特定し、速やかに排除もしくは隔離してください。
生存者には出口を用意します。》
河合が消えた床の近くに、
井上が震えながら立ち尽くしていた。
「どうしよう……どうしよう……」
その床に多少付いていた血が、やけに黒く見えた。
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