幻想鎮魂歌 ゾンビと回復と秘匿で世界を平和に

nco

第1話 始まりの冒険

前の魔王が討伐されてから、十年ほどが経っていた。

現魔王は幼く、力も弱いとされていた。そのため世界は、大きな戦乱も起こらないまま、停滞した平和に包まれている、という言い方が定着していた。


勇者たちの仕事も変わった。

決戦はなくなり、近場の魔物退治が日常になった。危険度は低く、報酬は控えめで、達成感は薄かった。それでも依頼は途切れず、日々は区切りなく続いていた。


その日も、街道から半日ほどの森に出た魔物を処理するという内容だった。

特別な意味を持たせる必要はなかった。


集合場所は街外れの井戸のそばだった。

勇者デーモンは先に来ていて、石の縁に腰掛けていた。書類を一度開いてから閉じ、水面を覗き込み、また立ち上がった。


しばらくして、足音がした。

リィナが遅れて姿を見せた。


彼女は回復術師らしい、清潔感のある服装をしていた。

色味は抑えられ、装飾はほとんどない。布はよく手入れされていて、皺も少なかった。髪はまとめられ、動作の邪魔にならないように整えられていた。人混みに紛れれば、記憶に残らないタイプだった。


「すいません、遅くなって」


そう言って、軽く頭を下げた。


「いや、こっちも今着いたとこだよ」


デーモンはすぐに返した。

声は少しだけ早かった。


「ちゃんと休めてますか?」


リィナは自然な調子で尋ねた。


「まあね」


デーモンは曖昧に答えた。


「最近、こういう依頼ばかりだろ。小さい仕事だけど、放っておくと街の人が困る」


彼は井戸の方を見たまま続けた。


「平和っていうのは、そういうのを一つずつ片付けていくことなんだと思うんだ」


「そうなんですね」


リィナは短く返した。


「派手な戦いはないけどさ」


デーモンは少し考えてから言った。


「守るものがあるっていう実感はある。愛だとか、そういうのも含めて」


リィナは一瞬、彼の装備に視線を落とした。


「デーモン様らしいのですが…疲れますよね、そういう考え方」


「……まあ」


「でも、続けられているなら、合っているんだと思います」


慰めるようでもあり、評価を避けているようでもあった。


「雷の調整、昨日もしてましたよね」


彼女は話題を変えた。


「無理しない方がいいです。体、ちゃんと反応してましたから」


「……見てた?」


「音で分かります」


それだけ言って、リィナは前を向いた。

デーモンは、それ以上何も言わなかったが、彼女の歩調に合わせて歩いた。


森へ向かう途中、彼は思い出したように口を開いた。


「最近、無軌道に暴れるゾンビの噂が絶えなくてね」


「バーサーカーゾンビ、ですね」


「そう。だから気をつけてほしい」


「怖いですね」


リィナはそう言った。

声の調子は変わらなかった。


森に入ると、すぐに魔物が現れた。

獣に近い姿で、動きも単純だった。


デーモンが前に出た。

地面に水を撒き、空気に雷を走らせた。


水と雷が重なった瞬間、音が変わった。

雷は拡散し、魔物の身体を包んだ。獣は一瞬だけ痙攣し、そのまま崩れ落ちた。防具の継ぎ目から心臓に届いたのだと、あとで誰かが言った。


戦闘はそれで終わった。

片付けの方が時間がかかった。


作業が一段落した頃、リィナがデーモンに声をかけた。


「少し、こちらへ」


一行から少し離れた場所だった。

視界は遮られていたが、森の奥ではなかった。


デーモンは一瞬だけ周囲を見回し、それからついていった。


「(解析完了、排除のフェーズに移行します)」


リィナは淡々と呟いた。


「勇者様、回復いたします。しばしごゆっくりと。ヒール・オーバーロード・シングル」


デーモンはうずくまった。

動きが鈍くなった。


「視界が……揺れる……力が……」


「あなたの能力は脅威と認定。私の独自判断で排除いたします。ご容赦を」


短い音がした。


「リ……ィナ……」


「まだ聞こえてると思うからお話ししますが、あなたみたいな男性はタイプじゃないです。愛だの平和だの暑苦しい。女がそういうのをいつも好むと思うのは、お子様なんですよ」


デーモンは息絶えた。

リィナは生体反応を確認した。


「ゾンビたち、テキトーに食い散らかして、ゾンビにしちゃって。じゃ」


彼女はそう言って、その場を離れた。


しばらくして、肉を引きずるような音がした。

バーサーカーゾンビになったデーモンが現れた。


一行はそれを倒した。

特別なことはなかった。


戦闘後、誰かが尋ねた。


「デーモンは?」


リィナは少しだけ間を置いた。


「ああ、デーモン様は一人残って、私を逃がしてくださったせいで」


それ以上は言わなかった。

誰も深く聞かなかった。


平和という言葉は、その日も否定されなかった。

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