第2話 我が盾ヴァルカンティスの絶対防御は、どのような攻撃も跳ね返す!

 視界は一面、灰色の闇――。

 ポポムには、自分がどちらを向いているかもわからない。

 ただ、頬の脂肪だけが、激しく震えていた。


(ぶるっ、ぶるるうっ、ぶるるるうっ)


 風だ。おそろしく風が強い。

 つないでいたはずのリアの手は、とっくに放してしまった。

 海で溺れた時のように、何かをつかもうと手足が暴れる。

 と――突然、目の前が開けた。


「!!」


 月。星。遥か遠くに見える緩やかなカーブは、地平線に違いなかった。

 そして今抜けてきたのは、あの灰色の雲――。

 ならここは、空だ。

 自分は空から落ちている。


「なああああああああああーーーーーっ」

「落ち着いて魔法を使え、豚男」


 どこからか、あどけなさの残る声が聞こえた。

 同時に、背後から首と腰を絞めあげられるような感触。


「叫ぶのをやめないと、鼻を削ぐ」


 どうやら自分は、叫んでいるらしい。

 真下を見ると、森から見上げていた城が見えた。

 豆粒ほどの小ささで。

 自分が、さらに大きく叫んだのが分かった。


「チッ―――」


 舌打ちと同時に、目の前でなにかが月明かりを反射する。

 それが磨き込まれたダガーだとわかった時にはすでに、ポポムの右の鼻の穴に冷たい金属の感触があった。

 

「次は全部削ぐぞ」


 目にも止まらぬ動きで、ダガーが鼻に突っ込まれ引き抜かれた。

 天空へ吸い込まれるように、ポポムの小鼻から一筋の血が流れる。


 ――!


「分かったら、うなづけ」


 必死でうなづく。

「よし」という声と共に、ぐいと体がねじられる。

 視界の天地が入れ替わった。


「うひいっ」


 仰向けで天を仰ぐかっこうとなったポポムの目に、光が見えた。

 青く淡い、いくつもの丸い光――。


「あれをやれ。出来るんだろ?」


 上空の雲間で、魔法使い達が浮遊の魔法を使用したのだ。

 騎士とレンジャーと共に、ゆっくりと降下している。


「お願いします、ポポムさん」


 リアの声だった。

 背後から聞こえる。

 どうやら自分の腰を背後からホールドしているのは聖騎士のリアで、小鼻をダガーで斬ったのはあの子供エルフなのだった。

 ポポムはようやく、自分の役割を思い出す。


「体勢を戻します」


 リアがそう言って、ぐいと力強く体重移動をすると、再び天地が入れ替わった。

 ありがたい、地面が見えた方がやりやすい――、

 ポポムは精神を集中し、魔法を使う。


(浮遊――)


 黄金色の光が三人を包み、落下速度が急激に落ちた。

 これがポポムが使える、唯一の魔法だった。

 こんな高度で試したことはないが、これで落下死だけは免れた。


「いきなり死ぬとこだったぞ、このイボ猪が!」


 ダガーの柄でこめかみを強く叩かれる。


「や、やめて下さい。集中が切れると落ちますから」


 エルフというものは、心優しい穏やかな種族だと聞いていた。

 だが、この少女エルフは違うらしい。


「ポポムさんの魔法は、他と色が違うのですね」

「え? あっ、そうですね。すいません、我流なもので…」

「おい糞虫、同じ色にしろ」

「そ、そう言われましても、僕にはこれしか」

「この色は目立つ」

「え? ぐぬあっ!」


 腰に巻かれたリアの足が、万力のような恐ろしい圧で締め付けてきた。


「あががが! すっすいません!」


 たまらず、身をよじる。

 刹那――、

 ポポムの左頬を、炎がかすめた。


「!!」


 ポポムの短いもみあげが、ちりちりと焦げている。


「無事ですか、ポポムさん!?」

 

 地上からの火矢だった。

 城の最上部、館の西の広々と大きくとられたテラス――、

 そこで、ちらちらと幾つもの炎が動いている。


「ち…気づかれた」


 無数の炎の矢が、容赦なく射られた。

 自分達は、発光しながらゆっくりと落ちる恰好の的だった。

 リアの力づくの体重移動で、三人はなんとか攻撃を避けていく。

 だが――

 

「右だ、レル!!」


 エルフの声に咄嗟に反応し、何とか躱す――。

 紙一重でポポムらの真横をかすめたのは、地上からの火矢でなかった。


「そ、そんな――!」


 上空から落ちてきた、騎士と魔法使いとレンジャーだった。

 魔法使いの胸には燃える矢が刺さっており、騎士とレンジャーが絶望の叫び声をあげながら落ちていく。

 それも、次々と――。

 

「このままじゃ上の奴ら相当やられるぞ。どうする、レル?」


 地上に向け、報復の矢を放ちながらエルフが問う。


「リズ、地上に着くまでにどれくらい倒せる?」

「撃ってくるやつは順に狙えるが、うじゃうじゃいやがる。確実なのは、直接――」

「わかった――ポポムさん、浮遊の魔法を切って下さい。このまま落ちます」

「はえっ?」

 

 城までの高さは、まだ山一つ分は確実にある。

 まっすぐ落ちれば、確実に死ぬ。


「お願いします、早く」

「で、でもでもでも」


 リズと呼ばれたエルフが、ポポムの前面に素早く回り込み――、

 

「いいから、切れ」


 言うが早いか、ポポムの鼻柱に膝を入れた。


(ぶっ――)


 短い音を立てて、鼻血が出た。

 眼鏡が吹っ飛び、浮遊魔法が切れた。

 決して応じたわけではないのだが。

 そして――、

 自由落下が始まった。


「リズ、やろう」

「了解――」


 何が起きているのか、ポポムにはわからなかった。

 気づけば三人は離れ、リアが背中の聖盾を眼下の敵に向け構えていた。

 

「応えて、ヴァルカンティス!」


 盾は、聖なる輝きを放つ。

 真珠色の鏡面が、鱗のように粒だって、複雑に変形していく。

 瞬く間に、盾の形状は力強く変わり、大きさは倍以上となった。


 一方、リズは半ば気絶していたポポムを空中で捕らえていた。

 小さな体でうまくポポムの巨体を誘導し、リアの背に捕まらせる。

 

「だから叫ぶなって!」


 ポポムはまた叫んでいた。

 叫ぶ理由は途中から、落下に対してではなく、憧れの女性に後ろから抱きつく行為に対してに変わっていたが。

 

「ポポムさん! 浮遊魔法を使って、落下点をずらすことはできますか?」

「や、やったことはないですけど!」

「城の西側の、広いテラスが見えますか」

「はっ、はい!」

「あそこの矢を放つ衛兵の真上に落ちたいのです」

「や、やってみます…やったことはありませんけど…」

「それはわたしも同じです」

「え?」

「我が盾ヴァルカンティスの【絶対防御パラディンガード】は、どのような攻撃も跳ね返す!」


 凜としたリアの声が高らかに響く。

 続くリアの聖句に応えて、盾は光を放ち――

 その真珠色の光は、実際の盾を倍する巨大な盾を作りだす。


「――おそらく落下の衝撃も!」


 おそらく、とはアウレリアの正直さから出た言葉だが――、

 大きな声で言うべきではなかったかもしれない。


「お、おそらく? ――うぎゃー!」


 ポポムの顔が、落下死の恐怖に大きく歪んだ。

 光の尾をひいて、三人は落下していく。


(ズドオオオオオオン・・・!)


 その落下の衝撃は、巨大な石弾を発射する大砲の一撃であった。

 テラスの石床と共に、無数のスケルトン兵たちが砕かれた石片のように吹き飛ばされる。


「ぐ……、い、生きてる…」


 数秒後、なんとか意識を保ったポポムが見上げたのは――、

 土埃の中、雄々しく立ちあがる聖騎士アウレリアの姿だった。

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