閑話:真夜中のロングアイランド①
初対面の印象から、真田圭はこう考えている。
エリック・ゴールドマンの本質は、強欲な臆病者だと。
アメリカに来て二年が経つ頃、突然、彼はコンタクトを入れてきた。
モノリスの初期設計者であることを掘り当て、日本では考えられない額の報酬を餌に。
断られることなど、まったく頭にないその態度が、いっそ真田には不気味に思えた。
海堂と密かに連絡を取り、アペックスの現状を聞いた。
脳裏に浮かぶのは、京都に追いやられ、子供のようにふてくされる梶。
そして、別れた恋人が、眉間にしわを寄せて悩んでいる顔。
どちらも、自分が置いてきてしまった未来の一部のように思えた。
ゴールドマンの声を断ることもできたが、そうしなかったのは、倫理的な理由ではなく、
自分が放棄した責任を拾い直したいという、感傷的な思いだったのかもしれない。
"We are pleased to welcome you to our organization."
(あなたを弊社へ迎え入れられたことを歓迎します)
"Thank you. I will do my utmost to meet your expectations."
(ありがとう。ご期待に添うよう努力します)
ノースカロライナのフェアリントン・ハウス。
湖面の光さえ計算され尽くしたような、静かな五つ星リゾートで、男はシャンパンを片手に、世界を掌に乗せたような顔で笑っていた。
その表情を、微笑みながら、眼鏡の奥で観察する。
臆病者が手強いのは、常に人より二歩、三歩先に進んで手を打とうとするからだ。
彼の場合は、そこに強欲な捕食者特有の嗅覚が加わるから、なお始末に負えない。
その欲望の行き着く先がどこにあるのか、むしろ興味が湧くくらいだった。
もしかしたら、世界のすべてを買収しても尚、彼の歩みは止まらないのかもしれない。
だが、この世の均衡の法則に従えば、過ぎた強欲は必ず身を滅ぼす。
臆病な捕食者ほど、欲望のために先回りしすぎるが、その歩幅の大きさこそが、
いつか自身の足を掬うだろう。
GSCに入ったところで、何も起こらないのならば、それでいい。
でも、もしもアペックスに、引いては絢香や梶や海堂に、何か災いが降りかかるのであれば、そうなる前に、真っ先に手を打ちたい。
その思いを抱え、ニューアークの研究所に足を踏み入れた。
それから二年。
初めは、拍子抜けするほど平穏そのものだったが、ある日、いきなり風向きが変わった。
──真夏の夜。
真田は初めて、その「観測遅延層」に気づいた。
梶が、後に透明パケットと呼んだ、GSCが開発した最悪の技術。
あのとき背中を走った怖気は、今でも忘れられない。
アメリカは、日本とは違い、研究職保護が進んでいる。
ノースカロライナで二年過ごし、政府の技術者保護制度の対象になってから、真田の身の安全は、常に保証されていた。
……それなのに、この局面で、本能が逃げろと叫ぶほどの不気味さを感じる。
人類が踏み込んではならない領域。
人が人を保つための規範を、根底から破壊する構造。
大学でAI倫理学を専門にしてきた真田には、
この仕組みが、どれほどおぞましい発想の上に成り立っているか、瞬時に理解できた。
観測遅延層を検知したとき、ノースカロライナ時代の調査が脳裏に浮かんだ。
海堂の依頼で、「GSCが、なぜアペックスの内情を正確に把握できるのか」を追っていた頃のことだ。
──通信遅延の揺れが、不自然なほど均一化する。
あのとき感じた嫌な違和感と、まったく同じだった。
偶然ではない。
外資が長年使ってきた未完成技術が、ここで完成形になっている。
その瞬間、真田は確信した。
透明パケットの背後にいるのは、GSCの技術者だと。
それ以来、より注意深く、周囲を観察した。
誰がこの技術の開発に関わっているのか。
彼らの思想、能力、倫理観に照らし合わせて、密かに調べ始める。
だがあるとき、敵は向こうから現れた。
"Hey. You’re the guy who built Monolith, right?"
(モノリスを作ったのって、君だろ?)
彼の名前は知っていた。
レイモンド・カーターという、若きアメリカ人研究者。
突出した才能を隠そうとしない不遜な態度は、実年齢以上に、彼を子供のように見せている。
その幼さは、どこか、出会った頃の梶を思い出させた。
だが、能力に対し自己肯定感が低い梶とは違い、レイは、邪悪に近い無邪気さを隠さない。
"Not exactly. I didn’t build it alone. It was a team effort."
(いや、正確には俺だけじゃない。あれは、チームで作ったものだから)
"Oh? And without Kaji?
You seriously think you could build it by yourself?"
(ふうん。梶雪斗がいないのに、あんた一人で作れるわけ?)
当たり前のように、開発者の名が漏れていることに、今更驚きはしない。
ここは、そういう世界なのだ。
ただ、レイの口から出る梶の名は、どこか特別な興味を抱いているようにも聞こえる。
"Of course not. No single person could.
If you’re interested, you’re welcome to join the team."
(まさか。一人では無理だよ。良かったら、君も開発に加わるかい?)
"You’re joking, right?
Monolith isn’t even worth my time.
I’m working on something far more impressive."
(冗談だろ? モノリスなんて眼中にもないよ。
あんな出来損ないより、俺にはもっとすごいものが作れるからね)
"That so? Sounds fascinating.
So, what are you developing these days?"
(へえ……それは興味深いな。いま、何を開発してるんだっけ?)
"I’m not telling you. Ever heard of nondisclosure agreements?"
(言うわけないだろ。守秘義務違反だ)
"Fair enough."
(それもそうだね)
そう微笑んで答えながらも、心の中では確信していた。
──こいつは、絶対に黒だ。
その日から、真田は本格的に動き出した。
◇
海堂から連絡が来たのは、年が明けた一月のことだった。
自室の寝室は、数ヶ月前にファラデーチェンバー仕様に変更し、海堂や絢香とは、盗聴不可能なホットラインも築いてある。
それでも、お互いを必要以上の危険にさらさないため、連絡は、頻繁には取れていない。
だが、そのときは、海堂らしからぬほど動揺した様子での緊急連絡だった。
GSCが、いよいよ敵対的買収も辞さない覚悟で、アペックスを狙っていること。
梶が、会社と恋人を守るために、GSCへ乗り込もうとしていること。
未来予測モジュールが、高確率で、梶の死を予測していること。
また、梶らしく、GSCを一時的に封じるための暴動も起こしたこと。
それらを聞き、真田は深いため息をつく。
「あまりにも……あいつらしいけど、ここは、そんなに甘い場所じゃない。
アペックスから外務省に依頼を出し、技術者保護は頼めないんですか?」
「あかん。……いや、頼むことは可能だが、梶が退職した以上、保護を頼む根拠が薄い。
仮に許可が下りるとしても、かなりの時間がかかるやろうな」
「それなら、鏑木さん経由で、アメリカの政府筋に依頼を掛けることは?」
「ああ……もちろん彼女にも頼むが、いずれにしても、すぐに事態は動かん。
……真田、あいつを頼む。いま、すぐに頼れる人間は、お前しかおらんのや」
「わかってますよ。それに、頼まれるまでもないです。
梶がここに乗り込むなら、絶対に俺が守ります。
……ただ、モノリスの予測は気になりますね。
海堂さん、そのログは取れそうですか? 一度、こちらでも確認したい」
「わかった。すぐに手配する」
「暗号化ログで送ってください。
それだけは、絶対に、どこにも漏らせない」
翌日、すぐにログが届いた。海堂が、どれだけ梶を大事に思っているのか、言葉以上に伝わってくる。
梶は多くを語りたがらなかったが、その突出した能力故に、幼少期から苦労の多い人生を歩んできたことは、なんとなく、わかっていた。
一人っ子の真田には、彼は出会った当初から、愛すべき弟であり、同時に技術者としては、自分とは違う才能を持つ、尊敬できる存在でもあった。
そういう彼を、海堂のような懐の深い人間が大事に思っているのを見るのは、人間の汚い部分も、多く見ざるを得なかった、この数年間の自分にとって、確かな慰めだった。
「モノリスが未来を予測するなら、できることはひとつ。
因果関係を、ひとつずつ潰せばいいだけだろ」
ログを眺めながら、道筋を計測する。
誰を動かし、何を排除し、自分がどう動くのか。
「……ダメじゃないか、モノリス。
こんな未来、倫理的に許容する設計にはしてないよ」
倫理の鬼は、コーヒーを飲みながら、誰に伝えるでもなく、小声で呟いた。
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