第十三章:供給網戦争、再び

『ガラスの翼』の、離反。 そのニュースは、瞬く間に、王都の、冒険者ギルドと、商人たちの間を、駆け巡った。 彗星の如く現れた、謎の投資家『リーザ』。彼女に見出され、A級に匹敵する、実力と、装備を手に入れた、女性だけの、パーティー。その、シンデレラ・ストーリーは、羨望と、嫉妬の、的だった。 その彼女たちが、今度は、かの、王弟、アークライト公爵の、庇護下に入り、『公爵家直属名誉騎士団』という、破格の地位を、手に入れたのだ。 誰もが、噂した。 あの、成り上がりの、リヒトハーフェン家の、女男爵は、終わった、と。最強の手駒を失い、その、急成長も、ここまでだろう、と。

 だが、エリザベートは、動かなかった。 彼女は、ただ、静かに、自らの、男爵領の、工房に、籠り、新商品の、品質管理(クオリティ・コントロール)と、生産ラインの、効率化(オペレーション・エクセレンス)に、没頭していた。 その姿は、嵐の前の、静けさ、そのものだった。 そして、その、静寂が、破られたのは、アリアが、契約破棄を、告げに来てから、ちょうど、一月後のことだった。

 その日、エリザベートの、執務室の扉が、これまでになく、乱暴に、ノックされた。 入ってきたのは、血相を変えた、レオンハルトだった。

「エリザベート様! 大変です!」

「落ち着きなさい、レオンハルト。何事ですの?」

 エリザベートは、分厚い、会計帳簿から、顔を、上げることなく、言った。

「『ガラスの翼』が…! アークライト公爵の、潤沢な、資金を背景に、新たな、冒険者たちを、次々と、スカウトし、我々が、開拓した、『沈黙の森』へのルートを、完全に、封鎖してしまったのです!」

 レオンハルトの報告に、エリザベートは、初めて、ペンを、置いた。

「…なるほど。敵対的買収(ホスタイル・テイクオーバー)ではなく、市場の、独占(モノポリー)を、仕掛けてきた、というわけね」

「てきたい…? ものぽり…?」

 聞き慣れない言葉に、レオンハ-ルトが、眉を、ひそめる。

「つまり、こうですわ」

 エリザベートは、立ち上がると、壁に、掛けられた、巨大な地図の前に、立った。

「アークライト公爵は、ただ、『ガラスの翼』を、引き抜いただけではない。彼女たちを、いわば、『子会社』として、利用し、この、『月長石』という、極めて、有望な、新規市場の、上流(サプライチェーン)を、完全に、支配しようとしている。生産設備の資材を独占されれば、我々の工房は、これ以上拡張は望めなくなる。当該部品(アッセンブリ)が不具合を起こせば交換は効かなくなり、ただの、箱。何の、価値も、生み出せなくなるわ」

「そんな…! なんという、卑劣な…!」

「いいえ、レオンハルト。これは、卑劣でも、何でもない。極めて、合理的で、そして、効果的な、競争戦略ですわ。さすがは、王弟殿下。敵ながら、見事な、手腕ね」

 エリザベートは、どこか、楽しげにさえ、見えた。 その、碧眼には、焦りの色など、微塵も、浮かんでいない。 むしろ、強大な、好敵手(ライバル)の出現を、歓迎しているかのように、爛々と、輝いていた。

「ですが、エリザベート様! このままでは、我々は…!」

「慌てないで。――手は、既に、打ってありますわ」

「え…?」

 エリザベートは、にやりと、笑った。 それは、長谷川梓が、かつて、数々の、不可能な、商談を、ひっくり返してきた時にだけ、見せる、不敵な、笑みだった。

「あなたに、覚えていて、欲しいことが、ありますの、レオンハ-ルト。『市場(マーケット)』とは、決して、一つでは、ない、ということよ」

 その、言葉の、意味が、明らかになったのは、それから、数日後のことだった。 王都の、冒険者ギルドに、一枚の、奇妙な、依頼書が、張り出されたのだ。 依頼主は、リヒトハーフェン男爵家。 依頼内容は、『沈黙の森、以外の場所で、月長石、及び、それに、類似した、魔力特性を持つ、新規鉱石を、発見した者に、金貨、千枚の、報奨金を、与える』という、ものだった。

 金貨、千枚。 それは、ギルドが、できて以来、誰も、見たことのない、破格の、金額だった。 ギルド中の、冒険者たちが、色めき立った。 A級パーティーまでもが、その、あまりにも、現実離れした、報酬額に、眉をひそめ、しかし、無視できない、といった顔で、依頼書を、睨みつけている。

 アークライト公爵は、その報告を、執事から、聞いた時、初めて、その、怜悧な顔に、不快の色を、浮かべた。

「…あの、小娘。何を、考えている…」

『沈黙の森』を、力で、奪い返しに、来るのではない。 その、市場そのものを、無価値化させようと、しているのだ。 月長石が、もし、他の場所で、より、安価に、大量に、発見されてしまえば、アークライト公爵が、先行投資した、莫大な資金は、全て、水泡に帰す。 『ガラスの翼』を、引き抜いた、その、優位性も、完全に、失われる。

「…ふん。だが、所詮は、付け焼き刃。月長石が、そう、簡単に見つかるものか。無駄な、金を使ったな、小娘め」

 公爵は、そう、吐き捨てた。

 だが、彼は、まだ、エリザベートの、本当の、恐ろしさを、理解してはいなかった。 彼女が、本当に、狙っていたのは、『第二の、鉱脈の、発見』などでは、なかったのだから。

 その、さらに、数日後。 アークライト公爵の元に、信じがたい、報告が、次々と、舞い込み始めた。

「――公爵様! 我が、公爵家と、長年、取引のあった、ドワーフの、鍛冶ギルドが、突如、我々への、武具の、納品を、停止! 理由を、問いただしたところ、『リヒトハーフェン男爵家と、新たな、独占契約を結んだため』と…!」

「なんだと!?」 「それだけでは、ございません! 王都の、全ての、魔術師ギルド、錬金術ギルドが、一斉に、我々への、『魔術素材』の、売却を、拒否! 彼らもまた、『リヒトハーフェン男爵家との、新規事業のため』と…!」

 アークライト公爵は、愕然とした。 エリザベートが、ばら撒いた、「金貨、千枚」という、巨額の報奨金。 あれは、ただの、『撒き餌』だったのだ。 その、あり得ない、依頼を、きっかけに、彼女は、この国の、ありとあらゆる、ギルドの、長(マスター)たちと、接触していたのだ。 そして、彼らに、囁いたのだ。 「月長石に代わる、新たな、素材を、私と、共に、開発しませんか」と。 「アークライト公爵に、全ての、富を、独占させて、良いのですか」と。

 彼女は、反アークライト公爵の、巨大な、連合(アライアンス)を、たった、一人で、水面下で、作り上げていたのだ。 サプライチェーンを、押さえられたのなら。 ならば、全く、別の、新たな、サプライチェーンを、市場そのものを、ゼロから、創造してしまえば、いい。 それは、もはや、商売ではない。 戦争だった。

 アークライト公爵は、生まれて、初めて、得体の知れない、恐怖に、似た、感情を、覚えていた。 自分が、今、戦っている相手は、ただの、十六歳の、小娘では、ない。 市場の、ルールそのものを、根底から、書き換える、恐るべき、革命家だ。

 執務室の、窓の外。 完璧だったはずの、彼の、薔薇園に、いつの間にか、見たこともない、雑草が、一本、力強く、芽を出していた。 その、忌々しい、雑草を、引き抜こうにも、その根は、既に、庭園の、奥深くまで、張り巡らされている。 公爵は、苦々しげに、その、雑草を、睨みつけていた。 静かな、戦争の、火蓋は、今、切られたばかりだった。

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