第十二章:二つの戦線

 王都は、マルタン商会が掲げた、真新しい「海鮮御膳フランチャイズ第一号店」の看板に沸き立っていた。連日、店の前には長蛇の列ができ、その成功は、エリザベートが描いた帝国の設計図が、机上の空論ではないことを、何よりも雄弁に物語っていた。

 しかし、その輝かしい報せも、今のエリザベートの心を晴れさせるには至らなかった。

 リヒトハーフェン領の書斎。

 彼女の前には、二人の男が、硬い表情で立っていた。

 一人は、父、ダリウス。もう一人は、忠実な秘書官、レオンハルト。

 テーブルの上には、伝統工芸ギルドの長、ヴァレリウスからの、公式な聴聞会開催を要求する書状と、イザベラからもたらされた、アルフレッドの不穏な動きを伝える警告書が、重々しく置かれている。

「…ふざけるな!」

 父ダリウスが、拳でテーブルを叩いた。「ギルドの連中は、恩を仇で返す気か!そして、アルフレッドだと?過去の罪を蒸し返す、卑劣な輩め!衛兵を送って、今すぐ、二人とも捕らえさせろ!」

「お父様、お鎮まりください」

「しかしだな!」

「お気持ちは分かります」と、レオンハルトが、冷静に、しかし、厳しい表情で割って入った。「ですが、辺境伯様。これは、力で解決できる問題ではございません。ギルドには、領民としての正当な権利があり、アルフレッドには、『被害者』という、何よりも強い大義名分があります」

 エリザベートは、静かに、そのやり取りを聞いていた。

「レオンハルトの言う通りよ。私たちは、二つの、全く異なる性質の戦いに、同時に直面している」

 彼女は、立ち上がると、二つの書状を、それぞれ、指し示した。

「こちらは、領内の会議室で繰り広げられる、改革の光と影を問う、未来へ向けた、論理の戦い。そして、こちらは、王都の裏通りで燃え広がる、自らの罪が産み出した、過去からの復讐という、決して避けられない、感情の戦い」

「では、どうするというのだ…」

 父の、弱気な声。

 エリザベートは、まっすぐに、父と、忠実な秘書官を見据えた。

「決まっているでしょう。――両方、戦うのよ。同時に」

 その言葉に、ダリウスとレオンハルトは息をのんだ。

 書斎に、暖炉の薪が爆ぜる音だけが、響いていた。

 エリザベートの瞳には、これから始まる、過酷な戦いのヴィジョンが、はっきりと映っていた。

「レオンハルト」

「はっ」

「伝統ギルドとの聴聞会は、十日後。それまでに、彼らの技術を、私たちの新しい事業に組み込むための、具体的な事業提携案(アライアンス・プラン)を、三案、用意して」

「しかし、そのような時間が…!」

「時間は、作るものよ。そして、お父様」

「う、うむ」

「私は、これから数日、夜は、書斎に籠ります。何があっても、誰にも、入室を許可しないでください」

「夜にか?一体、何をするというのだ」

「王都へ、行ってまいります」

「王都へ!?馬鹿を申せ!今から馬車を飛ばしても、片道五日はかかるのだぞ!」

 エリザベートは、そこで、初めて、ふわりと、微笑んだ。

 その笑みは、しかし、どこか、悲壮な覚悟を秘めていた。

「いいえ、お父様。私には、あなた方の知らない、近道(ショートカット)があるのです」

 彼女は、二人の忠実な家臣に、深く頭を下げた。

「これから、しばらくの間、私の身に、不可解なことが起きるかもしれません。どうか、何も聞かず、ただ、私を信じて、それぞれの務めを果たしてください」

 その、あまりにも真剣な、悲痛なほどの響きに、ダリウスも、レオンハルトも、もはや、何も言うことができなかった。

 彼らは、ただ、頷く。主君の、その重い覚悟を、受け止めるために。

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