元カノからフラれ、学園のイケメン男子に寝取られた俺が、自称名探偵な美少女とエッチな関係性になった件

譲羽唯月

第1話 俺は自称探偵気取りの美少女とキスをする

 五月の陽射しが、校舎裏の古い桜並木を淡いピンクに染めていた。

 風が吹くたび、散り遅れた花びらがひらひらと舞い、地面に小さな渦を描く。


 高校二年生の高槻伊吹たかつき/いぶきはいつものベンチに座り、膝の上で弁当箱を抱えたまま、空を眺めていた。

 妹が朝早く起きて握ってくれたおにぎりが、少し冷えてきている。

 一週間前、元カノの八木明香やぎ/めいかに振られた日から味なんてまるでしない。



【ごめんね、伊吹くん。私、新しく好きな人ができたの。進級して新しくクラスメイトになった雅哉くんなんだけど……】



 あの時の、どこか他人行儀な笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 明香とは四ヶ月の付き合いだった。たった四ヶ月で、すべてが終わったのだ。


 明香との出会いは、幼馴染が紹介してくれた事で、一年生の冬休みから明香との関係性が始まったのである。


 最初は順調だった。

 恋人らしくデートをしたり、一緒に勉強したり、好きなアニメの話をしたりして、楽しそうな人生を歩んでいた。

 しかし、大きく変わったのは、二年生に進級してからだ。


 二年生に進級と同時に、明香とは別々のクラスになり、彼女と関わる機会が減った。

 そして、二年生になって二週間が経過した頃、新しい彼氏が出来たからという理由で明香から別れてほしいと宣告されたのだ。


 しかも相手は、同じ学年の伊藤雅哉いとう/まさや。顔が良くてスポーツ万能で、女子からの人気も抜群の、あの伊藤雅哉だ。結果的に、彼に寝取られたというわけだ。



【まあ、今日から明香は俺の女だから、オタクで陰キャみたいな奴には勿体ないしな】

【そういう事だから、じゃあね、伊吹くん】



 二週間前の事なのに、未だに明香と雅哉の言葉が脳裏を駆け巡っていた。


 最悪だ――と伊吹は箸を握ったまま、ベンチに座ったまま、ため息をついたのだ。




「ねえ、一人で食べる弁当って寂しくない?」

「――え⁉」


 背後から降ってきた声に、伊吹はびくりと肩を震わせた。

 振り返ると、そこに立っていたのは東野紫苑ひがしの/しおんだった。

 黒髪を高めのポニーテールにまとめ、ネクタイをだらしなく緩めたまま。少し眠そうな瞳を細めて、こちらを見下ろしている。


 クラスで一番目立つ、ちょっと変わった美少女。

 自称学園探偵。事件の匂いを嗅ぎつけると、どこからともなく現れる。


「東野さん……どうしてここに?」

「んー、なんとなくかな? 高槻くんの落ち込みオーラが、校舎中から漂ってきてたから」


 紫苑はにやりと笑うと、許可も取らずに隣にどっかり座った。

 距離が近い。息がかかるくらい近い。

 伊吹が慌てて体を引くと、紫苑は平然と弁当箱を覗き込んできた。


「わ、おにぎりとタコさんウインナーと卵焼き? 可愛いじゃん。誰かに作ってもらったの?」

「……まあ。妹から」

「へえ、妹さんね、いい感じじゃん」

「東野さんは?」

「私は今日はチョコだけ」


 紫苑は制服のポケットから小さな箱を取り出し、ぱくりと一粒口に放り込む。

 カカオの甘い香りがふわりと漂った。


「え、それだけでお腹すかないの?」

「平気平気。チョコは脳の栄養だから」


 そう言って笑っていた紫苑の表情が、急に真剣なものに変わった。


「ねえ、高槻くん。五年前の事件って知ってる?」


 伊吹は眉をひそめた。入学したての頃、確かにそんな噂を耳にした。

 その当時の三年生の女子生徒が、ある日突然姿を消したという事件。しかし、その女子生徒は結局のところ見つからず、警察も手を引いたと聞いた。けれど、その話は一週間もしない頃に話題にもならなくなったのだ。


 当初は地元の新聞でも取り上げられる事もあったが、気が付けば、ただの噂という事で片付けられた。

 今では、単なる都市伝説的な噂として、この学園では語り継がれていた。


「えっと、それがどうかしたの?」

「私、あの事件をずっと追ってるの。でも、なかなか核心に迫れなくて……でもね、最近やっと一つ、大きなヒントがつかめたの」


 紫苑の瞳が、鋭く光った。


「その失踪した人物と、八木明香と伊藤雅哉が、深いところで繋がってるってことをね」


 伊吹は息を呑んだ。


「え……? まさか」

「でも、まだ確証はないよ。ただの私の勘なんだけど……だからこそ確かめたいの」


 紫苑はふっと息をはくと、急に伊吹に顔を近づけてきた。


「私、推理が冴える条件があるんだよね」

「……条件?」


 伊吹は首を傾げた。


「うん。エッチなことすると、頭がクリアになるの。だから――」


 次の瞬間、紫苑の細い腕が伊吹の首に回された。


「ちょ、ちょっと――なに⁉」


 言葉を遮つように、柔らかな唇が重なった。

 甘いチョコレートと、紫苑自身の甘さが混じった、そのふわっとした感触。


 伊吹は目を見開いたまま、頬を紅潮させたまま完全に固まった。

 数秒後、紫苑がゆっくりと離れる。

 彼女の頬は少し赤く、でも瞳は異様に澄んで輝いていた。


「……いいキスだったわ。私のタイプかも」

「は⁉」


 伊吹が真っ赤になると、紫苑はくすりと笑った。


「これなら、きっと真相にたどり着けるわ。私、高槻くんと付き合いたい」

「は……はあ⁉ ど、どういうことだよ! 急に何言って――」

「だって、恋人同士の方が何かと都合いいでしょ? それに、私……」


 紫苑は照れくさそうに視線を逸らし、でもすぐに真っ直ぐ伊吹を見つめた。


「元カノにフラれた傷、私が別の熱で塗り替えてあげられるし。全部、私が責任持って埋めてあげるから」


 刹那、五月の風が再び吹き抜けた。

 桜の花びらがひらりと舞い、伊吹の肩にそっと落ちる。

 胸の奥に残る痛みは、まだ消えてはいなかった。でも、目の前にいるこの変な子が、少しだけその痛みを違う色に変えてくれた気がしたのだ。


「……東野さん、本当に変な人だね」

「でしょ? でも、変な私についてきてくれる人って、なかなかいないんだよね……だから、私だけの彼氏になってほしいの。それに私とキスした事を言いふらされたくないでしょ」


 紫苑が差し出した手は、意外と小さくて、少し震えていた。

 伊吹はため息をついた。そして、ほんの少し迷った後、その手をそっと握り返した。

 指と指が絡まると、紫苑の体温がじんわり伝わってきたのだ。


「わかった、少しだけなら協力するし、付き合うよ。だから、皆に言いふらすのはやめてくれ」

「やった! そう来なくちゃね」


 紫苑がぱっと顔を輝かせた。その笑顔は、どこか寂しげで、それでいて眩しくて、伊吹は思わず目を逸らした。

 校舎裏の桜並木の下で、二人の新しい関係が始まったのだ。


 東野紫苑は、学園の謎を追うちょっと変わった美少女。

 キスをしてしまった事で、付き合う事になった間柄。

 けれど、紫苑と会話した事で、少しだけ心に抱え込んでいた悩みが楽になった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る