松田とサラリーマン

@Urotauyu

松田とサラリーマン

 生温かいコーヒーはただでさえ熱いコーヒーに比べて魅力的ではない。そして若さを失った肉体のように、時間がたつにつれて一段とその魅力を失っていく。

 松田は今年の4月に26歳になった。これから先の生き方を考えながら、去来する不安とともにコーヒーを一口飲んだ。さっきよりもぬるくなっている。

 老いていくのは怖くない。肉体と精神と、私だけの時間がどこかへいっていくのがたまらなく怖い。それらはどこへいくのだろう。私に還ってくるのか、それとも他の誰かのところへ行くのか———

 松田は初めて入った喫茶店では必ずこういったきわめて無意味な考えごとをする。その間だけは自らの存在について確信が持てるからだ。

 喫茶店には2人席が4つと、テーブル席が2つあった。2人席はテーブルを挟んでソファー席とこだわりのなさそうな安っぽい椅子が置いてあり、4人がけのテーブルには硬そうな椅子が居心地悪そうに置かれていた。松田は2人席のソファーに座っている。松田の隣の2人席ではサラリーマン風の男が何やらパソコン作業をしている。彼はイヤホンをしていて、パソコンに向かってきわめてビジネス的な話し方をしていた。まるでこの喫茶店の人々に見せつけているような、純然たるビジネスマンの話し方をしていた。彼はコーヒーにほとんど口をつけていないようで、松田の側からもカップの中身はまだたくさんあることがはっきり見えた。彼の目的はコーヒーを味わうことではないのだ。

 松田はしばらく男の様子を見ていた。男は「アジェンダ通りにいきませんでしたね。次回の会議でまた残りのミッションについて議論しましょう。それでは、失礼します」と言った。男はイヤホンを外すと、松田が自分を見ていることに気づき、こちらを一瞥した。松田は目を逸らし、もうほとんど残っていないコーヒーを啜った。そして目線だけ男の方をふたたび見た。男はもう松田を気にしておらず、パソコンに向かって作ったようなしかめ面をしていた。松田にはそれが不愉快だった。彼はしばらくキーボードを叩き、何か決心したようにパソコンの向こう側に目を向け、パソコンを閉じた。そして会計を済ませ、次の「目的」に向けて店を出て行った。男のいた席にあるコーヒーは、松田から見えるほどカップに残っていた。松田はコーヒーを飲み干した。

 

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