第6話 一場の演劇

 見上げれば無数の宝石を散りばめたような星々が空に満ちていた。その中央には銀色の月がぷかりと浮かび、その優しい光をもって、向い合う二人を照らし出している。

 レオンは右手に提げていた剣を、真っ直ぐに突き付ける。


「一応、名前ぐらいは聞いておいていいかな?」

「・・・シェイドだ」


 黒ずくめの男は、言葉少なにそう名乗る。

 腰に佩いていた魔剣をスラリと抜き、右脇構えにとった。

 魔法銀(ミスリル)に黒金を混ぜた刃が、月光に濡れてじっとりと光った。


「行け、わが魔剣・《月影の幻剣ルナ・ミラージュ》 」


 何の気負いもなくジェイドがそう唱えた瞬間、レオンの視界が、一瞬ぼやけた。


「うへぇ・・・。こりゃ、外に出たのは失敗だったかな?」


 レオンが額を掻き、苦笑いしてぼやく。

 目の前のシェイドが、いつの間にか5人に増えていた。


「・・・行くぞ」


 次の瞬間、5人のシェイドが一斉に跳躍する。

 どれかが本物でどれかが偽物、あるいは全て本物か。分からぬ以上は全て躱すしかない。

 正面、左、右──あらゆる方位から同時に迫る刃を防ぎ、なんとか躱していく。


(まずいな・・・。なんとかしない---ッ!!!)


 死角から殺気を感じたレオンの体が、軽業師のように飛んで宙に跳ねる。

 背後に現れた“6本目”の剣が、レオンの外套を深々と切り裂いていた。


「確かに、5人が限界とは言ってないもんねぇ」


 そう言って空中で笑みを見せるレオンの額に汗が浮かんでいた。


「・・・死ね」


 落ちてくるレオンの体に6本の剣が一斉に殺到する。

 レオンはそのうち一本の剣を弾き、使い手の頭部を思い切り蹴りつけると、その反動で大きく距離を取った。

 蹴りつけられたシェイドの一体は体がぼやけ、霞のように消え去った。


「・・・いくら倒しても無駄だ。」


 闇のように静かに息を吐くと、シェイドの分身が新たに現れる。


「はは、まいったね」


 新たに増えた分身は1体だけではなかった。時間を追うごとに、さらに1体、2体と増えていく。

 レオンを囲む分身は既に10体を超えていた。

 一体、一体の実力はそれほど大したものではない。

 しかし、これ程の数に囲まれれば、そのうち押し切られるのは歴然としていた。

(正直、このままじゃ埒があかないな……いい所を見せるどころか、またお説教だ)


「ならこっちも数を増やしますか」


 そう言ったレオンの左手が右腰に伸び、もう一本の“魔剣”を抜き放った。


「二刀使いだと?何の悪あがきだ?」


 シェイドが訝しげに眉をひそめる。

 通常、魔剣士が使う剣は、決まった1本だけだった。

 まず相性が合わないと、魔剣の真価・【特殊技能スキル】が引き出せないし、引き出したうえで、その【特殊技能スキル】を一生をかけて鍛え上げ、磨いていくとされている。

 複数の魔剣を持ったところで、1本を極めた魔剣使いには、勝てないのが常識---というより、絶対の法則だった。


「心配するな。俺の魔剣・・・《二振りの雷霆ダブル・エクレール》は、特別製でな。最初から両極一対の剣として打たれている」

「お前・・・誰だ?」


 シェイドがじりじりと間合いを詰めつつ、不審げに問いかける。

 常にもったいぶった余裕と柔らかな笑みを湛えていたハズのレオンの表情が、一転して禍々しいものに変わっていた。優しい口元には冷笑を浮かべ、透き通った蒼玉サファイアの瞳は血を思わせる紅玉ピジョンブラッドへと変わっている。

 金色の髪が雷光を発して青白く輝き、雷を宿した双剣が彼の周囲に微細な火花を散らしていた。


「・・・行くぞ」


 次の瞬間、雷光が闇に翔んだ。

 一瞬で駆け抜けたそれは、半数以上の分身を消し飛ばしていた。


「・・・馬鹿な!」


 一気に数を減らされたシェイドの背中に冷たい汗が伝う。

 息つく間もなく雷光がまた、闇に走る。


「うぉぉぉ!!!」


 シェイドは雄たけびとともに必死に分身を作り出す。

 だが、分身は現れるとほぼ同時に、閃く雷光にかき消されて行った。


「終わりだな」


 最後に数体となった頃、耳に死神の声が届いた。


「終幕だ---。万雷、我が意のままに天を裂け! 葬焉天雷ラグナロク・ブリッツ!!!」


 冥闇が真昼のように白く照らし出され、空から無数の雷が降り注いだ。


「人生は一場の演劇だ。だから激しく、美しく。君が思う結末は見れたかい?」


 焼け焦げ、倒れ伏したシェイドを背に、レオンが双対の魔剣をくるりと手の中で回してから、鞘へと納める。

 いつの間にか春風に吹かれたような、のんびりした顔立ちに戻っていた。瞳も血を好む深紅から、爽やかな蒼穹へと戻っている。


「・・・最後のセリフまで入れると、3分1秒、1秒オーバーですね。」


 いつ頃からか、セレスが酒場の入口に立ち、戦いの様子を見守っていた。手には懐中時計を握っている。


「そこ、採点カウントするのぉ!?」


 レオンがいかにも不満げに口をとがらせる。


「・・・まぁ、及第点としておきましょう。よくできました」

「へへ、やったね」


 厳しい家庭教師せんせいに珍しくお褒めの言葉をいただき、レオンは嬉しそうに鼻の下を人差し指でこすった。ここだけ見ると、まるで子供だった。


「ところで、さっきの大男はもう片付いたの?」

「・・・」


 問いかけるレオンに対し、セレスは愚問ですと言いたげに肩を竦める。そして無言のまま酒場の入口から身を引いた。

 ドアが吹き飛んだ入口からは、気絶した大男ダイン男爵オズワルド商人マルコーネが他の手下どもと一緒に、山と積み上げられている様子が見えた。しかも両手両足は、しっかりと荒縄でくくられている。


「さっすが・・・」


 レオンが賛辞ともにピュウッと口笛を吹く。

 だが、弟子に褒められてもなんとも思わないのか、セレスは眉一つ動かさず淡々と告げる。


「では憲兵隊を連れてまいりましょうか。この人数を、詰め所に連れて行くのは二人では無理ですし」

「攫われてた女の子たちはどうしようか?」

「可哀そうですが、もう少し酒場の中で我慢してもらいましょう。貧民街スラムの中を、ぞろぞろ連れて歩く訳にもいきません」

「りょーかい」


 レオンとセレスは、憲兵隊の詰め所のある方角へ向かって歩きだした。


「無事で何よりでした。殿下が死んだら私も生きていられませんから」


 向かう道すがら、唐突にセレスがそんなことを呟いた。


「セレス!」


 いきなりの告白に、レオンの目が宝石のように輝いた。


護衛対象でんかを死なせたら、さすがに死罪は免れないでしょう」

「あ、そっちの心配・・・」


 目が泥沼のように、どんよりと曇った。


「とはいえ本日は、なかなか良い息抜きになりました。こういったのも、たまには・・・いいかもしれませんね」

「ほんと!?」


 厳格な家庭教師の思わぬ雪解けに、再びレオンの目が輝きを放つ。

 彼の瞳と気持ちこころは、ころころと猫の目のように忙しい。


「どこに連れて行こうかなぁ。やっぱり服屋さんかなぁ、装飾品店アクセサリショップも捨てがたいし、お城で育てる花を見に行くってのも悪くない・・・、ねぇセレスはどこか行きたいところってある?」


 振られたセレスは、首を捻って幾分か考える仕草をしたあと、口を開いた。


「今日酒場でお会いしたドワーフ族、ダントンさんの鍛冶屋を訪ねてみたいですね」

「・・・わかったよ」


 色気のいの字もない返事に、レオンの瞳がせつなそうに潤む。やがて何かをこらえるように上を向いた。 

 夜空には星の海が広がり、真ん中あたりにぽっかり浮かんだ銀色の月が、冷たくも優しい光を放っている。

 その光は夜道を行く二人を見守るように照らし出していた。



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 人攫い一味を憲兵隊へ引き渡したのち、セレスは皇宮へ戻り、そのまま自室の浴室に籠った。

 備え付けられた魔導具により、24時間いつでもたっぷりのお湯が使えるようになっている。

 水音がするたびに、絹のように白く滑らかな肌が水玉を弾き、滑るように流れていく。濡れた髪は、室内灯の光を受け、しっとりとした輝きを放っていた。


「それにしても、一体、どうしたのでしょうか・・・」


 セレスは湯面に写る自分の顔を見つめながら、小さく息を吐いた。

 戦闘での汗と埃を落とすため――それもあるが、胸の奥に渦巻く落ち着かない感情を湯で静めたかったのが本音だった。

 だが、肩まで湯につかっても気持ちはざわついたままだった。先ほどの捕物の余韻ではないことは分かっている。取るに足らない相手であり、あの程度なら日頃の訓練の方がよほど厳しい。


「あの時・・・からですよね」


 原因はなんとなく分かっていた。目を閉じると、攫われた獣人族を助けに行くと言った時のレオンの真剣な横顔が、ふと浮かぶ。そのたびに胸がきゅっと締めつけられ、顔が火照るほど熱がのぼる。

 湯のせいだと自分に言い聞かせても、その感覚はなかなか消えてくれない。

 あの時、人さらいの噂を聞いた瞬間、迷いなく夜の街へ飛び出した彼。

 普段は調子の抜けた少年なのに、あの瞬間ときだけは次期皇帝の風格をまとう男だった。

 彼女にとって理解できない初めての感情であり、対処に困惑していた。


「もしかして---」


 頭に浮かびそうになった言葉がある。だが自分に限ってありえないと首を振って強く否定する。


「うーん・・・」


 セレスは頭の天辺まで浴槽に沈め、なぜ自分の教え子に対してこんな気持ちになるのか、なんとか別の答えにたどり着こうと思考を巡らせる。

 そして湯の心地よさと酸欠が、彼女の頭に霞をかけるころ、はっと閃くものがあった。


「これがきっと“教え子の成長に喜ぶ師の心”、というものですね!」


 時間をかけて出した解答は実に彼女らしいものであった。

 ここにもしレオンが居たら、滝のような涙を流し、神をも恨んだであろう。

 だが、自分なりに納得のいく答えにたどり着いたセレスの胸のもやもやは、すっかり晴れていた。


「なるほど、なるほど」


 彼女はうんうんと頷きながら、浴槽を出る。体を拭き、寝間着に着替えるころには、いつもの凛とした顔を取り戻していた。


「では、明日も師として厳しく弟子を指導いたしましょう」


 そう言って布団へ潜り込むと、セレスはいつになく穏やかな微笑みを浮かべて眠りについた。

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