第2話 すくすくと育ったけれども文無しに

 誰かっ。たすけて!


「ほぎゃっ、ほぎゃあ! おぎゃあーーーー」


 しかし、ここは裏道か何かなのか、全然、人が通りかからない。


 わたしは全身全霊で泣き声をあげ続けた。


 と。


 キィ、と、軋む音を立てて、視界に入っていた建物の木製の扉があいた。



 紺色の頭巾ずきんをかぶった丸顔のおばさんが出てきて、わたしを見つけると驚愕の声をあげた。


「まあ! 赤ん坊! 誰がこんなところに……」


 そして、おばさんはわたしを抱き上げてくれた。


「ほ、ほぎゃぁぁ……っ」


「おお、よしよし、かわいそうにね。もう大丈夫。あなたはきっと神様の贈り物だね。だって、子供のできないアタシたちのところに来てくれたんだもの……」


「ララ、どうした?」


 おばさんの背後から、髭面ひげづらの体格のいいおじさんがヌッと現れた。


 えっ?!


 とわたしが驚いたのは、そのおじさんにはわんこみたいなピンと立った、茶色の毛の生えた耳が髪の毛の中から生えていたからだ。


「ダグ、この子を見て。ここに捨てられていたんですよ」


「ええっ!? なんてことだ……」


 よく見ると、おじさんの手も、毛深いのを通り越して完全に動物の毛並みが生えていた。色はやっぱり茶色だ。


「早くあたためてあげないと。大変、この布、雪で濡れてるわ。アタシはこの子を着替えさせるからあなたはお湯を沸かして!」


「う、うん」


 こうしてわたしは、ララおばさんとその夫の、獣人のダグおじさんのもと、ユードリクス公国の公都ファイナの下町で育てられることになった。


 この世界には獣人というものがいた。半分人間で、半分は犬とか猫とか狐とか馬という人々だ。


 人間より数が少ないし、なんとなくハンパ者という扱いを受けることがあるけれど、露骨に差別されているという訳でもない。


 獣人はそんな存在だ。



 気立てのよいララおばさんとちょっとシャイだけど優しいダグおじさん。本当の娘のようにかわいがってくれる二人のもと、わたしはすくすくと育っていった……のだけど。




 だけど。



 十七歳になった年のある日。



 わたしは町はずれの草原くさはらで小さな荷車に腰掛け、途方に暮れていた……。


「おーい! マツリーー!」


 舗装されていない細いでこぼこ道をこちらに駆けてきたのは、隣の部屋の幼馴染み、マルケスだ。


 茶色の髪に茶色の眼。わたしよりひとつ年下の十六歳。童顔で小柄。


 顔だけ見ると普通の子に見えるけど、実はマルケスもダグおじさんと同じ獣人だ。


 ズボンのお尻からはふっさふさの大きな狐のしっぽが揺れている。


 ちなみにこの世界に生まれ変わったわたしは、ストロベリーブロンドの巻き毛に翡翠ひすい色のぱっちりしたひとみの持ち主。


 超美人とはいかないけど、まあまあ愛嬌のある、可愛い部類に入る顔だと思う。


 名前はマツリって名づけられた。

 このユードリクス公国では、この名前は庶民の女の子にはわりとよくある名前だった。


 もともとの世界での名前と同じ名前をつけられたのは、あの転生の女神とやらのはからいなのか。



「マツリ、メシ食ったか?」


 さて、隣の部屋のマルケスはわたしのもとに駆け寄ってきた。――元・隣の部屋の、と言うべきだろうか。


「ううん、夕飯はまだ」


 実は、ひと月ほど前にわたしたちの街区では火事が起き、二軒の建物アパートメントが焼けてわたしたち一家も隣人たちも、みんな焼け出されてしまったのだ。


 不幸中のさいわいで亡くなった人は出なかったものの、かつてわたしが暮らしていたここではない世界の国・日本とは違って、被災者になっても生活の支援がない。


 ただ、ララおばさんとダグおじさんは、わたしを拾ったときすでに四十歳を越えていた。


 この世界だと、今はもう老人の域。


 老人だけは、このユードリクス公国の公的な保護施設に入ることができた。保護施設は遠い上に、二人はわたしを心配していたのに有無を言わさず連行されるように役人に連れて行かれてしまった。


 それ以来、連絡がとれない。焼け出されたほかのお年寄りたちと一緒だし、二人は大丈夫だとは思うけど……。



 老人にまではなっていない大人たちはなんとか仕事を探したり、親戚を頼ったりして次第に散り散りになっていった。


 問題はわたしやマルケスのような、保護者がいない(わたしの場合はいなくなってしまった)未成年者だ。


 マルケスの両親は三年前に流行り病で亡くなっている。


 わたしたちは焼け出されたほかの隣人たちと一緒に、この町はずれの誰の土地でもない公共地(と言ってもただの草むら……)で寝起きしていたのだけど、最終的にわたしとマルケスだけになってしまっていた。


 そのマルケスも、もともと両親が亡くなって以来、隣町に住んでいる伯父の援助で暮らしていたから、今回の火事を機に伯父の家に行く話がついたのだ。




 マルケスはわたしに丸パンを差し出した。


「ほら、食べろよ」

「ありがとう」


 わたしたち一家は家財道具もほとんど持ち出せなかった。


 持ち出せたのは、いくつかの鍋と塩の壺(内陸部なので塩が貴重)、ダグおじさんの仕事道具の鎌(ダグおじさんは町の中に幾つかある公園や公共地――まさにこの草むら――を管理する仕事をしていた)、それにララおばさんのわずかなへそくりていど。


 無料の保護施設に行ける(というか連れて行かれる)ことになっために、ララおばさんはそのへそくりのほとんどをわたしに渡してくれたので、わたしはなんとか食いつないでいるのだが……。



 もうそれも数シリルしか残っていない。

 シリルはこのユードリクス公国やその周辺の幾つかの国で使われている通貨の単位で、一シリルは百円くらいの体感だ。


 つまり、わたしは今、めちゃ詰んでいる。


 ユードリクス公国では未成年者ができる仕事は限られている。


 さらに、女性が雇われてできる仕事も限られている。


 さらにさらに、コネがなければどんなところであれ雇ってもらうのは難しい。


 困った……。


「マツリ、ごめんな。お前も連れて行ってやりたいとこだけど、ぼく自身も甥っ子が浮浪児になるなんて寝覚めが悪いからって理由でようやく伯父さんに引き取ってもらえたって立場だからさ……」


 マルケスは、わたしがここに一人ぼっちで取り残されることをとても気にしていた。


「来られる時に様子を見に来るようにするから、なんとか達者で暮らせよ」


「うん、ありがと」

 とは言ったものの、アテはない。


 それでもわたしは笑ってみせた。

 小さい頃は泣き虫だったマルケスを心配させたくない。


「ねえ、わたしは大丈夫だけど、お別れにあなたのしっぽをモフモフさせてくれない?」

「ええっ!」

 と、声をあげたマルケスは、自分のふさふさのしっぽを庇うようにぎゅっと胸にかかえた。


 マルケスのふさふさの狐のしっぽ、小さい頃はよくモフモフさせてもらったのだけど、思春期に入ると、男女ともにそういうことは獣人に対してあまりしないことになっている。


「ねえ! お願い! ちょっとモフモフしたら元気が出ると思うんだわたし!」


「しょうがねえなあ~、ちょっとだけだぞ」


 と、マルケスはしっぽから手をはなし、わたしのほうにふぁさあっと振って寄越した。


「あ~~~癒されるぅ」

 わたしはマルケスのしっぽを両手に抱き締めて顔を埋め、吸った。

 もっふもふであたたかい。



「うー」

 と、マルケスは唸りながら顔を少しだけ赤くしている。


「おい、ちょっとだけって言っただろ。人に見られたらどうすんだ。十六才と十七才にもなって恥ずかしい」


「こんなとこ誰も来ないし誰も見てないわよ」


「わかったわかった。でももうおしまい」

「えー」

「えーじゃない! なあ、でも、ぼくも伯父さんとこでの生活が落ち着いたらほんとにまた来るからさ。頑張れよ」


 マルケスは、また来ると繰り返しながら去って行った。




 ……はぁ。


 一人になると、わたしは重いため息をついた。


 マルケスにもらったパンにはまだ手をつけないでおこう。


 夕飯は抜いて明日の朝食にする。


 手持ちのわずかなお金を少しでももたせなければ。


 そう思いながら、暗くなると荷車の横の地べたで毛布にくるまって寝た。毛布は、新しい家に入居することができた隣人が置いていってくれたものだ。


 季節は春でそんなに寒かったりはしないのだけど……。


 ちょっと涙が出てしまった。



 なかなか寝つけなかったけど、ようやく眠ると夢を見た。

 夢の中で、わたしはかつての、二十四才までの人生を生きた宇田川うだがわマツリとして、父親のフードカーで働いていた。


 あの頃は楽しかったなあ。


 子供の頃から一緒に育ってきた兄弟のような愛犬のダークに、よく残り物のタコスの皮をあげたっけ。タコスの具はタマネギとかスパイスが入っているものが多いので、具のほうは茹でただけの状態の鶏肉くらいしかあげれなかったけど。


 ダークは、ジャーマンシェパードの血が入っているふさふさの毛並みのミックス犬で、ダークチョコレートみたいな色だったからダークって名前をつけた。


 胸のところにだけ白い毛が一房混じっているのがチャームポイント。


 もっともダークはわたしが二十二才の時に虹の橋を渡ってしまった。



 会いたいなあ……。



 ダークに会いたい。


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