紫の物語

文士文彦

第一話 紫に名を与える日

 さきわけをしておくと、これはこいはなしではない――と、すくなくともこのときのわたしはおもっていた。

 のちになってかえれば、どうつくろってもこいぶほかないのだろうが、ひとはいつだってうずなかではづけに失敗しっぱいする。


「また、あの御方おかたのところへおかよいなのですか、ひかるきみ


 そうってためいきをつくのは、そばつかえてひさしい惟光これみつだ。

 かれはいつもこうして、わたしよりもさきにわたしのおこないにまゆをひそめ、んでもいない未来みらいあんじる。


「『また』ではない。『まだ』だ。まだ、あの御方おかたのことをかんがえているだけだ」


かたあらためても、御所ごしょにおわす父君ちちぎみきさき御殿ごてんうかがうのは、みちならぬことにわりはございません」


「そうだろうな」


 素直すなおにうなずきながらも、むねおくではどうしようもなく藤壺ふじつぼみや面影おもかげっている。

 ただしいとりながらえるのは、悪意あくいではなくよわさだ。よわさであるぶんだけ、しつわるい。


「……それにしても、きましたか」


なにをでございましょう」


先日せんじつ北山きたやまてらもうでたおりのことだ。にわちいさないぬいかけて、ころりところんでいていた童女どうじょがいただろう」


「はい。あまりにそでおおきすぎて、あしばかりえておりましたな」


「そこだけおぼえるな。だが、そう、そのだ」


 あのてらで、人々ひとびとはそのをまだおさなきみんでいた。

 ほそ手首てくび、あどけないひたい。そのすべてが、わかころ藤壺ふじつぼみやを、絵巻えまきのようにおもさせた。


「あのは、おどろくほど藤壺ふじつぼみやていた」


「…………なるほど。それで、ここ数日すうじつ物思ものおもいがちなわけでございますか」


「わたしがしずんでえたか」


しずむというより、のこったすみのようなかおでございました」


「うまいことをう」


 めているのかどうかあやしいたとえだが、みょうむねさるからこまる。


「あのは、これからどうなるのだろうな」


「どう、ともうされますと」


「どこかへとつぐか、あるいはだれかのねがいによってかみろすか。みずかのぞむよりさきに、おや都合つごうすえめられる」


 それは、このおんなたちにとって、めずらしくもないかただ。

 だれそれのむすめだれそれのつまだれそれのははよりもさきに、えんばれてゆく。


「わたしは、あのてしまった。あの御方おかたていると、こころうち言葉ことばあたえてしまった。

 そのときもう、あのひとつののろいをかけたのだとおもう」


ひかるきみが、のろいなどと」


言葉ことばは、ほどけにくいなわだ。一旦いったんこころなかむすんでしまえば、そう簡単かんたんにはけない」


 藤壺ふじつぼみやを、あのかさねる。

 それだけで、そのはわたしのまえで「だれかの似姿にすがた」としてあらわれてしまう。


「ですから、わたしはせめて、べつなわむすびたいとおもったのだ」


べつなわ、でございますか」


だよ。あのしんだ」


「……てら人々ひとびとも、いずほとけつかえるとして、相応ふさわしいをおけになるのでは」


「それはほとけまえでのだろう。

 わたしがあたえたいのは、わたしのつみおもすためのだ」


 惟光これみつが、あきれたように、しかしどこかどくそうにほそめる。


ひかるきみいまのお言葉ことばまとめますと――」


て、まだまとめるな」


「もう十分じゅうぶんでございます。

 藤壺ふじつぼみや童女どうじょつけ、そのを『理想りそうだれか』としてそだてたいとねがいながら、そのねがいが身勝手みがってのろいであることも自覚じかくしておられる。

 それでもなおあたえたいと」


くちしてならべるな。むねいたむ」


むねいたむくらいでございましたら、まだすくいはあるかと」


なぐさめているのか、それは」


半分はんぶんほどは」


 のこりの半分はんぶんは、きっとあきかえっているのだろう。

 惟光これみつのこういうところが、じつきびしく、そしてただしい。


は、どうなさるおつもりです」


めている」


 あのていたうちきは、まだたけにはおおきかったが、不思議ふしぎとよく似合にあっていた。

 あれは、うすむらさきだった。白梅しらうめかげにたゆたう夕暮ゆうぐれそらのような、やわらかないろ


「――むらさきうえ。そうぼうとおもう」


いろそのものではございませんか」


「それでよいのだ。

 あまりふかねがいをめてしまうと、そのたびにあのしばることになる。

 いろくらいが、一番いちばんおもく、一番いちばんかるい」


おもくてかるい、でございますか」


むらさきは、じりもののいろだ。

 あかあおわって、ひとつのすじではあらわせぬいろになる。きよらかさと、よくと、まよいと、すべてをかかんだままれている」


 藤壺ふじつぼみやことおもうとき、いつもむねちのぼるいろがあった。

 あの御方おかたそでえるのも、北山きたやまてらいていた童女どうじょうちき宿やどるのも、きっとおなじものだ。


「わたしは、あのを『だれかのかげ』としてとらえてしまった。

 そのつみからは、げない。けれど、かげであることだけが、そのすべてではないはずだ」


「……」


「だから、あたえる。

 わたしが、わたししん身勝手みがってわすれぬために。

 あのが、いつか自分じぶんあしとうとするときだけは手放てばなさずにむように」


 惟光これみつは、しばだまってわたしをつめていた。

 その沈黙ちんもくは、てるものでも、ゆるすものでもない。ただ状況じょうきょうりのままにつめる、ひとだった。


「では、もう一度いちどだけ、なおしてもよろしいでしょうか」


なんだ」


「これは、こいはなしではない、と先程さきほどおっしゃいましたな」


「ああ」


本当ほんとうにそうでございますか」


 われて、わたしは返事へんじまる。

 こいぶには、あまりにゆがんでいる。

 あこがれとぶには、あまりにばしすぎている。

 つみぶには、あまりにわけおおい。


「……けようにこまるものほど、ひとこいびたがる」


「それは、ひかるきみ御自身ごじしんことでもございますか」


「どうだろうな」


 わらってごまかす。

 ごまかしながら、むねうちでははっきりとしたこたえがかたちちはじめていた。


惟光これみつ


「はい」


「もし、これが物語ものがたりだとしたら、いまのやりとりは、どこにかれるのだろうな」


はじまりでございましょう。

 まだだれきずついていないふりをしていられる、なまぬるいはじめの一頁いちページ


なまぬるいとはきびしい」


ぐにあつくなりましょうから」


だれのせいで」


もうすまでもございません」


 こうして、わたしと、まだらぬむらさきうえとの物語ものがたりはじまる。

 つみっているで、なおそでこうとする、その最初さいしょ一日いちにちだ。


 わたしのねがいは、身勝手みがってなものだ。

 わたしのつみは、かくしようもない。

 それでもなおひとつだけねがってしまう。


 ――どうか、むらさきうえが、わたしの想像そうぞうなど軽々かるがるえてゆくひとであるように。

 わたしがあたえた足場あしばにしながら、そのあたえたわたしよりも、はるとおくへあるいてゆくひとであるように。


 そんな都合つごうのよいいのりだけは、まだだれにもめられずにきしめていてもよいのだと、しんじたかった。

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