メアリー・スー・シンドローム
@shuxyox
第1章:受胎告知とウサギ
番組名:ワールド・トゥデイズ・ニュース・スペシャル
特集:『夢の国の母、その知られざる戦火』
(暗転からフェードイン)
(映像:現在の合衆国。快晴の空の下、極彩色のパレードが行われている。世界で最も有名なテーマパーク『スー・ランド』。歓声を上げる子供たち、手を振る着ぐるみたち。カメラがパンし、中央広場に立つ巨大なブロンズ像を映す。一人の女性が、二足歩行のウサギと手を取り合って空を見上げている像だ)
「誰しも一度は、この場所を訪れたことがあるでしょう。あるいは、テレビの向こう側で、この栗色の毛並みのウサギに笑顔をもらったことがあるはずです」
(映像:スタジオ。重厚なデスクに座る初老のキャスター)
「皆さん、こんばんは、WTN特派員アンドリューです。
今夜は少し、歴史の埃を払ってみましょう。
合衆国が誇る『アニメーションの母』、メアリー・スー。彼女が創り上げたキャラクター『アンソン・ラビット』は、愛と勇気の象徴として世界中で親しまれています。
しかし、歴史学者たちは口を揃えてこう言います。『もし彼女がペンを持たなければ、先の大戦の死者数は半分で済んだかもしれない』と」
(映像:モノクロフィルムの資料映像。映画館の前に行列を作る人々。看板には『ANSON'S ADVENTURE』の文字。そして、その映画を見て興奮し、拳を突き上げる若者たちの熱狂的な表情)
「ペンは剣よりも強し、という言葉があります。ですが、彼女の場合は少し違いました。彼女のペンは、何百万もの剣を操り、若者たちを地獄の最前線へと喜んで行進させたのです。
すべては、一人の少女の『純粋な願い』から始まりました」
*
統一歴一九二四年十二月十二日 合衆国籍旅客船 甲板
海風が、少女の栗色の髪を乱暴に撫でていく。
水平線の向こう、霧の中から巨大な女神の像が姿を現すと、甲板にいた乗客たちから一斉に歓声が上がった。
「自由の国だ!」と誰かが叫ぶ。
しかし、手すりに寄りかかるメアリー・スーの表情は晴れなかった。
彼女の視線は、女神像ではなく、いま越えてきたばかりの東の空――父が戦う戦場がある方向へと向けられていた。
(お父さん……)
彼女は胸元で十字を切った。
無力だった。
父、アンソン・スー大佐は、帝国という巨大な悪意に立ち向かっている。なのに自分は、安全な国へと逃げることしかできない。
(もしも、私にお父さんのような強い魔導力があったなら……)
メアリーは手すりを強く握りしめた。
自分にも魔導の才はある。けれど、それは父に比べればあまりにも微弱だ。
銃を持っても足手まといになるだけ。
(私に宿るような弱々しい魔力量ではなく、お父さんと同じ力があれば!!
合衆国で航空魔導師となって!! 訓練を積めば!!
お父さんを助けに行ける!! お父さんと肩を並べて戦える!! 祖国を守れる!!
でも……)
悔しさが涙となって滲む。
彼女の鞄からは、暇つぶしのために持ってきたスケッチブックが覗いていた。
絵を描くことは好きだ。でも、絵で敵国は倒せない。絵で弾丸は止められない。
無力だ。私は、ただ守られるだけのか弱い子供でしかない。
「……どうか、力を……」
祈りは悲痛な叫びだった。
その時である。
――汝の願い、聞き届けよう。
「……え?」
頭上から、あるいは波の音の彼方から、声が聞こえた気がした。
直後。
ドクン、と心臓が早鐘を打った。
「……なんだろう」
メアリーは自分の胸に手を当てた。
熱い。胸が焼けるように熱い。
けれど、それは不快な熱さではなかった。体中の血管に、光が奔流となって駆け巡るような感覚。
「なんでこんなに、ドキドキするんだろう……」
視界が変わる。
灰色だった海が、極彩色に輝き出す。
人々の歓声が、ミュージカルのファンファーレのように聞こえる。
「まるで
恐怖も、不安も、無力感も、波飛沫とともに消え去っていた。
残ったのは、根拠のない、けれど絶対的な万能感。
「何でも出来そうな気がする……」
メアリーは迷わず鞄を開き、スケッチブックを取り出した。
木炭を握る。手が勝手に動く。
魔導師のライフルを構えるよりも速く、彼女は紙の上に「世界」を構築し始めた。
描かれたのは、一匹のウサギだった。
穏やかに垂れた耳。そして、その口元には、彼女が「剃って!」とあんなにねだった、けれど今はたまらなく恋しい、父の豊かな顎髭があった。
「……お父さん」
スチール・グレーの野戦服を着て、少しお腹が出た、優しくて頼りになるウサギ。
彼を描き上げた瞬間、メアリーには確信があった。
このウサギは生きている。
そして、このウサギは――
彼女は顔を上げ、東の空を睨みつけた。瞳孔がカッと開き、そこに
「待っててね、お父さん!!」
彼女は叫んだ。海風が声を運んでいく。
「きっとメアリー・スーが助けに行くから!! 世界中のみんなを連れて、悪い狼たちを退治するからね!!」
自由の女神が見下ろす中、一人の少女が覚醒した。
その手には銃剣の代わりに木炭が握られていたが、それは後の歴史において、いかなる兵器よりも多くの血を流すことになる「魔法の杖」だった。
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