裏ダンジョンの賭け試合で「絶対に負ける役」のバイトをしていたはずが、相手のSランク冒険者が勝手に自滅して俺が最強扱いされている件

あじのたつたあげ

裏ダンジョンの賭け試合で「絶対に負ける役」のバイトをしていたはずが、相手のSランク冒険者が勝手に自滅して俺が最強扱いされている件

「……帰りたい」


薄暗い控室。 カビと鉄錆の匂いが充満するその部屋で、俺――灰谷(はいたに)レンは、パイプ椅子に座って頭を抱えていた。


目の前にあるのは、一枚の紙切れ。 そこには真っ赤なインクで、こう書かれている。


【借金総額:5,000万円】


ふざけているわけではない。 これが、今の俺の全財産(マイナス)だ。


「おい、レン。出番だぞ」


ドアが開き、サングラスをかけた黒服の男が顔を出す。 この裏闘技場のマネージャーだ。


「……今日の相手は、分かってるな?」


俺は力なく頷く。


「はい。Sランク冒険者の豪炎寺(ごうえんじ)選手ですよね」


「そうだ。いいか、段取りを復唱しろ」


俺は深呼吸をして、台本を読み上げる。


「ゴングが鳴ったら、俺は無謀にも正面から突っ込む」 「開始10秒。豪炎寺選手が初級魔法『ファイア・ボール』を放つ」 「俺はそれを真正面から食らい、派手に3回転して壁に激突。そのまま気絶する」


マネージャーは満足げに頷いた。


「よし。分かってるならいい。今回の客は、豪炎寺の『圧倒的な勝利』を見たがっている。余計なことはするなよ? ……失敗したら、お前の内臓がどうなるか」


「わ、分かってます! 絶対に負けます! 俺、負けるのだけは得意なんで!」


俺は必死に首を縦に振った。


そう。 俺の職業は、探索者ではない。 **『咬ませ犬(ジョバー)』**だ。


魔力もない。 攻撃スキルもない。 あるのは、この裏社会で生き残るために培った、無駄に高い**「回避能力」と、攻撃を食らったフリをしてダメージを逃がす「リアクション芸」**だけ。


今日もまた、殴られ、燃やされ、蹴飛ばされる仕事が始まる。 それで借金が減るなら、安いものだ。


俺は震える足をごまかしながら、光の溢れる入場ゲートへと向かった。


まさかあんな、とんでもない事態になるとは夢にも思わずに。



「さあぁぁぁぁぁ!! お待たせいたしましたぁぁぁ!!」


実況のアナウンスが、地下闘技場を揺らす。


まぶしい。 スポットライトの光が、俺の目を焼く。


すり鉢状の観客席には、金と欲望にまみれた亡者たちがひしめき合っている。


「本日のメインイベント! 期待の超新星、Sランク冒険者――豪炎寺キョウヤァァァァ!!」


ドカァァァン!! 派手な演出の炎と共に、対面のゲートから男が現れた。


長身痩躯。燃えるような赤髪。 全身を、一着数億円はするであろう最高級のミスリル装備で固めている。


「キャーッ! 豪炎寺サマー!」 「抱いてー! その魔法で私を焦がしてー!」 「全財産賭けたぞオラァ!」


黄色い歓声と、野太い怒号。


対する俺、灰谷レンの紹介は、実況のトーンも明らかに下がった。


「対しまして……えー、Fランク、灰谷レン」


シーン。 観客席が静まり返る。 そして、すぐに嘲笑の波が押し寄せた。


「誰だよあのモヤシw」 「装備、布の服だけかよw」 「死にに来たのか?」


頭上の巨大モニターに、最終オッズが表示される。


【豪炎寺:1.0倍】 【灰谷レン:500.0倍】


1.0倍。 つまり、豪炎寺が勝っても、賭けた金は一銭も増えない。 「元返し」だ。 それでも客たちは、豪炎寺に賭けている。


これはギャンブルではない。 **「弱いイジメられっ子が、強い番長にボコボコにされるショー」**を楽しむための入場料なのだ。


「おい、雑魚」


豪炎寺が、鼻で笑いながら近づいてきた。


「俺の引き立て役になれて光栄だな? 手加減はしてやるよ。死なない程度にな」


俺は愛想笑いを浮かべて、ペコペコと頭を下げる。


「へ、へい! よろしくお願いします! お手柔らかにお願いします!」


(うわぁ、めっちゃ嫌な奴……。でも、ここで逆らったらあとで何されるか分からない。さっさと燃やされて終わろう)


俺の心は完全に折れていた。 早く家に帰って、カップ麺を食べて寝たい。 その一心だった。


「それではァ、試合、開始(ファイト)!!」


ゴングが鳴った。


俺は台本通り、大げさな声を上げて突っ込んだ。


「うおおおおお! やってやるぞおおおお!」


(よし、これでいい。あとは豪炎寺が魔法を撃って、それに当たりに行くだけだ!)


しかし。 この時、俺は気づいていなかった。


豪炎寺が、あまりにも俺をナメすぎていたことに。


「はんっ、詠唱なんて面倒だ」


豪炎寺は、台本にあった「詠唱」を勝手に省略し、指先だけで魔法を放とうとした。


だが、彼は忘れていたのだ。 無詠唱魔法は、発動までにコンマ数秒のラグがあることを。 そして、そのラグの間、術者は無防備になることを。


俺は、勢いよく走りすぎていた。


(……あれ?)


魔法が来ない。 台本だと、もう火の玉が飛んできているはずなのに。


(えっ、ちょ、待って。撃ってくれないと困る!) (俺、このままだと豪炎寺さんにぶつかっちゃうよ!?)


俺は焦った。 ぶつかってしまったら、「魔法で吹き飛ぶ」という演技ができない。


俺は咄嗟に、「減速」しようとした。 だが、ただ止まるだけでは不自然だ。


(そうだ! 相手の懐に飛び込んで、至近距離で魔法を受けたことにしよう!)


俺は全力疾走の勢いを殺さないまま、豪炎寺の目の前で急激に身を沈め、彼の懐(インサイド)へと滑り込んだ。


ザッ!


靴底が摩擦音を上げる。 俺の顔面は、豪炎寺の鼻先数センチのところにあった。


「え?」


豪炎寺の目が、点になる。


そして。 世界が、勘違いを始めた。



豪炎寺の視界には、信じられない光景が映っていたはずだ。


Fランクの雑魚が。 自分の「無詠唱魔法」の予備動作を完全に見切り。 発動するコンマ数秒の隙間に、神速の踏み込み(ステップ・イン)で懐に潜り込んできたのだから。


「ッ……!?」


豪炎寺が息を呑む音が聞こえた。


(あ、やばい。近すぎた?)


俺は彼を見上げる。 早く撃ってくれ、という懇願の眼差しで。


だが、豪炎寺はそれを**「いつでも喉笛を喰いちぎれるぞ」**という脅しだと受け取ったらしい。


「く、来るなあああっ!!」


ドォォォン!!


豪炎寺はパニックになり、足元の地面に向けて爆発魔法を放ち、その反動でバックステップした。


爆風が舞う。 俺は煙の中で、呆然としていた。


(なんで逃げるの!?)


俺は涙目になった。 このままだと、俺が一方的に攻めているように見えてしまう。 そんなことになったら、控室でマネージャーに殺される!


(追いかけなきゃ! 早く魔法に当たりに行かなきゃ!)


俺は煙を切り裂いて、豪炎寺を追った。


「待ってください豪炎寺さぁぁぁん!!」


「ヒッ、速い!?」


傍から見れば、それは異常な光景だった。


Sランク冒険者が、必死の形相で逃げ回り。 Fランクのモヤシが、鬼のような形相(実は泣き顔)でそれを追い回しているのだから。


「なんだあれ……?」


観客席がざわめき始める。


「豪炎寺が押されてる?」 「いや、違うぞ。見ろ、あの灰谷とかいう奴の動き」


解説席に座っていた元ランカーが、震える声でマイクを握った。


『し、信じられません……! 灰谷選手、豪炎寺選手の魔法の射線を、完璧に読んでいます!』


「えっ」


俺は走りながら、解説の声を聞いた。 読んでない。 ただ、豪炎寺の手が向いている方向に、自分から飛び込んでいるだけだ。


『見ましたか今の!? 豪炎寺選手が右手を上げた瞬間、灰谷選手はすでに左へ回避行動をとっている! これは「未来予知」レベルの動体視力がないと不可能です!』


違う。 俺は「右に撃ってくれるかな?」と思って左から右へ移動しようとしたら、豪炎寺がビビって狙いを外しただけだ。


だが、解説の言葉に、観客たちの目の色が変わっていく。


「おい、まさか……」 「あいつ、ただのFランクじゃねえのか?」 「オッズ500倍だぞ……?」


ざわ……   ざわ……


闘技場の空気が、変わり始めた。 嘲笑が消え、困惑と、そして**「射幸心」**が鎌首をもたげる。


その異変を、VIPルームから見下ろしている一人の少女がいた。


豪奢なドレスに身を包んだ、中東系の美少女。 セシル・アル・マクシム。 世界有数の石油王の娘であり、この裏闘技場のオーナーの一族だ。


彼女は、退屈そうに揺らしていたワイングラスをテーブルに置いた。


「……セバス」


「は。お嬢様」


「今の踏み込み、見た?」


「はい。常人には不可能かと。相手の魔力回路の『ゆらぎ』を視認し、魔法が構成される前に潰しに行っています」


「ふふっ。面白いわね」


セシルは妖艶な笑みを浮かべ、手元のタブレットを操作した。


「全財産……はパパに怒られるから、私のお小遣い(500億円)、全部あの『灰谷レン』に賭けなさい」


「お、お嬢様!? 正気ですか!?」


「いいからやりなさい。……私の目に狂いはないわ」


彼女の瞳は、獲物を見つけた猛獣のように輝いていた。



リング上は、地獄絵図になっていた。


「ハァ……ハァ……! くそっ、なんで当たらないんだ!」


豪炎寺は肩で息をしていた。 魔力切れが近い。


一方、俺も限界だった。


「ハァ……ハァ……!(頼むから当ててくれよ! なんで全部外すんだよ! 偏差射撃って知らないのかよ!)」


俺たちは互いにボロボロだった。 だが、観客にはこう見えている。


『互角……いや、灰谷選手が圧倒している! 彼はまだ一度も攻撃を繰り出していない! 避けているだけだ! まるで赤子をあやすかのように!』


「うおおおおお! 行けぇぇ灰谷ぃぃ!」 「俺の100円が5万円になるんだ! 頼むぅぅ!」 「豪炎寺ふざけんな! 真面目にやれ!」


いつの間にか、会場は「レン」コールに包まれていた。 罵声はすべて、豪炎寺に向けられている。


その空気が、プライドの高いSランク冒険者の理性を断ち切った。


「……ふざ、けるな」


豪炎寺の全身から、どす黒い魔力が溢れ出す。


「俺はSランクだ……! 選ばれた人間なんだ……! こんな、ゴミみたいなモブに……!!」


やばい。 俺の本能が警鐘を鳴らす。 あれは、演技じゃない。 本気の、殺意だ。


「死ねェェェェ!! 『プロミネンス・・ノヴァ』!!!」


それは、屋内での使用が禁じられている、広範囲殲滅魔法だった。 太陽のような灼熱の球体が、俺めがけて膨れ上がる。


(終わった)


逃げ場はない。 当たれば死ぬ。 避けようとしても、爆風で死ぬ。


俺の人生、ここで終わりか。 5,000万の借金背負って、殴られ続けて、最後は炭になって終わりか。


(……嫌だなぁ)


恐怖で、足がもつれた。


「うわぁぁぁ!!」


俺は情けなく叫び声を上げ、無様に前のめりに転倒した。


ズルッ!


足が滑り、俺の体は床にへばりつくような体勢になる。


その、瞬間だった。


ゴォォォォォォォォッ!!


灼熱の球体が、俺の頭上数センチ――髪の毛がチリチリと焦げるほどの至近距離を通過していった。


もし俺が立っていたら。 あるいは、かっこよく横に飛んでいたら。 確実に直撃していただろう。


「無様に転ぶ」という、探索者としてあるまじき失態だけが、唯一の正解(ルート)だったのだ。


魔法は俺を通り過ぎ、対面の壁に設置された「防御結界発生装置」に直撃した。


バギィィィン!!


装置が破壊され、行き場を失った魔法エネルギーが逆流する。 そして、その衝撃波は、魔法を放った本人――豪炎寺へと襲いかかった。


「な、あ、がぁぁぁぁぁっ!?」


ドッカァァァァァン!!


凄まじい爆発音。 俺は頭を抱えて、床にうずくまることしかできなかった。


数秒後。 煙が晴れると。


そこには、黒焦げになって白目を剥き、ピクピクと痙攣している豪炎寺の姿があった。


俺は、恐る恐る顔を上げる。


(……生きてる?)


腰が抜けて、立てない。 へたり込んだまま、周囲を見渡す。


シーン。 静まり返る会場。


そして。


「……勝者、灰谷レェェェェン!!!」


ワァァァァァァァァァァッ!!!


地鳴りのような歓声が爆発した。


『信じられない! 最後のあの動き! 転倒したように見せかけて、相手の魔法の軌道を読み切り、最小限の動き(紙一重)で回避! さらに自滅を誘ったぁぁぁ!』 『これが達人……いや、神の領域か……!』


「灰谷! 灰谷!」 「神! 神!」 「借金返せたぁぁぁありがとうぅぅぅ!」


天井から、換金されたチケットや万札が紙吹雪のように舞い落ちてくる。


俺は呆然とつぶやいた。


「……えぇ……」


違うんです。 ただコケただけなんです。 誰か信じて。


だが、モニターに表示された**「配当:500倍」**の数字だけが、残酷な現実を突きつけていた。


俺、勝っちゃったよ。



試合後の控室。 俺は震えていた。 さっきよりも酷く震えていた。


「ど、どうしよう……八百長破っちゃった……」


マネージャーはカンカンに怒っているはずだ。 いや、怒るどころか、もうコンクリート詰めにする準備をしているかもしれない。


ガチャリ。 ドアが開く音。


「ひぃっ! ごめんなさい! わざとじゃないんです!」


俺は床に土下座した。 額を床に擦り付ける。


「あ、足が滑って……その、不可抗力で……!」


「――可愛いわね」


「え?」


聞こえてきたのは、怒号ではなく、鈴を転がすような甘い声だった。


恐る恐る顔を上げると。 そこには、黒服の屈強な男たちを従えた、ドレス姿の美少女が立っていた。


褐色の肌。銀色の髪。 宝石のような瞳が、俺をねっとりと見つめている。


「き、君は……?」


「セシル・アル・マクシム。この闘技場のオーナーよ」


オ、オーナー!? 一番偉い人じゃないか! 終わった。トップ直々の処刑だ。


「申し訳ありませんでしたぁぁぁ! 命だけは! 命だけはお助けください!」


俺は再び頭を下げる。


セシルはコツコツとヒールを鳴らして近づき、俺の前にしゃがみ込んだ。 そして、俺の顎を指先で持ち上げる。


「謝る必要なんてないわ。……最高のショーだった」


「えっ」


「あの豪炎寺を、指一本触れずに自滅させるなんて。特に最後の『座り込み』。あれは『お前の魔法など、寝ていても避けられる』という究極の挑発よね? ゾクゾクしたわ」


「い、いや、あれは腰が抜けて……」


「謙遜しなくていいの。強い男は好きよ」


セシルはパチンと指を鳴らした。 黒服の男が、アタッシュケースを俺の前に置く。 中には、見たこともない量の札束が詰まっていた。


「今回の配当金よ。500倍。……私のポケットマネー500億を賭けていたから、とんでもない額になったわ」


「ご、ごひゃく……!?」


俺は白目を剥きそうになった。 国家予算か何かか?


「で、そのお金で」


セシルは一枚の紙を取り出した。 俺の借用書だ。


ビリッ。 彼女はそれを、笑顔で破り捨てた。


「あなたの借金、全部買い取っておいたわ」


「え……?」


「つまり、あなたは自由よ」


俺の目から涙が溢れた。 助かった。 殺されないし、借金もなくなった。


「あ、ありがとうございます……! 何とお礼を言えば……!」


「お礼? いらないわ」


セシルは妖艶に微笑み、俺の首に腕を回した。


「だって、あなた自身を買い取ったんだもの」


「……はい?」


セシルは俺の耳元で、甘く、そして逃れられない呪いのような言葉を囁いた。


「今日からあなたは私の『ペット』。死ぬまで私のそばで、その強さを見せてちょうだい。……拒否権はないわよ?」


彼女の背後で、黒服たちが「御意」と言わんばかりに頷く。 彼らの腰には、明らかに本物の拳銃があった。


「さ、行きましょうか。私の家に、あなた専用のトレーニングルーム(地獄)を用意してあるの。もっともっと強くなってね、レン?」


俺は引きつった笑顔で、彼女のエスコート(連行)を受けるしかなかった。


(……帰りたい)


俺の心の叫びは、歓喜に沸く闘技場の熱狂にかき消されていった。


最強(勘違い)の元・借金持ちと、最恐(ヤンデレ)の石油王令嬢。 俺の平穏な日常が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。


(了)



【作者より】 面白い!続きが読みたい!と思っていただけたら、 ★で評価や応援コメントをいただけると、レン君の借金が減るかもしれません! (※減りません。セシルお嬢様が増やします)

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