『『レジストレーション』』
志乃原七海
第1話:亡霊の宣告(永井雄一郎の視点)
## 永井雄一郎の物語:亡霊の宣告
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### 第1話:完璧な日常と、言葉のゲーム
午前二時。デパート総務事務所。
キーボードを叩く音だけが、この部屋の時間の定規だった。永井雄一郎は、自衛のための報告書を仕上げていた。「志乃原七海、精神不安定。解雇」
机上のスクリーンに浮かぶ文言。その原因は、永井自身の口から生まれた。
「**君と一緒になる。妻とは、必ず別れる**」
本気だった、と思わせた。七海の孤独と熱を食い物にすることに、何の躊躇もなかった。彼女の妊娠さえ、一時の優越感だった。だが、妻と子供の顔を見た瞬間、その言葉は毒になった。
「妻とは別れるわけないだろう? 私の人生を考えろ」
永井が冷たく突き放した瞬間、七海の目から信頼の光が、氷塊に変わるのを見た。
「ふざけないで! 私を妊娠させて、今更家族だと? なら、あなたたちの幸せも全て燃やしてやる!」
それからが地獄だった。携帯は七海の怨嗟で埋まり、自宅の電話は鳴り止まない。妻は怯え、「後を付けられている」と叫び、先日、子供の送り迎えで七海の影を見て逃げた拍子に、膝を強打した。
友人たちも永井を軽蔑した。「永井課長はいつもそうだ。都合の良い女には夢を見させて、最後は家族のもとへ帰るクズだ」
クズで構わない。だが、家族を巻き込むのは許されない。
永井は七海の部屋へ向かった。彼女は棚からガソリン缶を取り出した。
「お前も、私が味わった苦しみを味わえ! お前との関係も、お前の築いた未来も、**全て燃やし尽くしてやる!**」
七海が火を付ける直前、永井は逃げ、通報した。彼女は自滅を選んだのだ。
事務所に戻り、七海のPCを開く。遺言めいたファイル。『亡霊となる決意』。笑わせる。永井は無造作にそのファイルを上書きし、廃棄した。彼女の怨念など、自分の完璧な日常を揺るがせない。
勝利した。彼女はもう、どこにもいない。
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### ブリッジ:朝の異変
翌朝。予報は晴れ。だが、事務所の窓の外は、朝から本降り。土砂降りに変わるのに、時間はかからなかった。雨足は強まる一方だ。
永井は会議室で、次のターゲットであるA子を誘っていた。七海の件は処理済み。未来志向だ。
「君は特別だよ、A子さん……」
その時、空調が急激に冷え込み始めた。会議室の空気が、**七海の部屋の湿気**を帯びたように冷たい。
その直後、内線が鳴った。
「課長、大変です!屋上から女性が転落したそうです!」
永井の喉が渇いた。
「**なに?** うちの屋上でか?」
「はい!警備員が発見したばかりで……**志乃原七海さん**のようです」
永井は固まった。彼女は、**焼けたはず**だ。
「……わかった。すぐ行く」
エレベーターで最上階へ向かう。口元の緩みを抑えられない。
「もういねーよ、笑」
だが、エレベーターが衝撃で停止した。扉の隙間から、生温かい、しかし妙に**乾燥したガソリンの匂い**が逆流してくる。
ディスプレイには、**豪雨にも関わらずデパート全体が水浸し**という警告が表示されていた。
エレベーターの扉が軋みながら開いた。そこにいたのは、雨に濡れて立ち尽くす、**七海の姿**だった。
「嘘だろ……。お前は、死んだはずだ! 炎の中で……!」
七海は何も言わず、ただその濡れた指先を、永井がいるエレベーターの中ではなく、**デパートのエントランスホールの方**へ、ゆっくりと向けて指差した。
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### 第2話:焼けた残響と、水浸しの接待
永井は、七海の幻影に指差された恐怖から逃れるため、屋上の異変を無視した。彼は再びA子と会うため会議室に戻ろうとしたが、彼の足元が異常だった。
屋上は酷い土砂降りだったにも関わらず、永井の革靴が触れる廊下の床は、**異常に乾いていた**。
「……馬鹿げている」
彼は急いで一階へ向かうエレベーターに乗った。扉が開くと、制服姿の女性社員が顔面蒼白で飛び出してきた。
「課長大変です!一階入口に**びしょ濡れな女性**がー!」
永井は血の気が引いた。「七海さんのようですが?」
彼は覚悟を決め、一階へ向かった。
エントランスホールは異様な静寂に包まれていた。警備員たちが、まるで粘性の高い水の中にいるかのように動きが鈍い。その中心に、七海は立っていた。全身びしょ濡れ。髪から水が滴っている。
「永井課長……」七海の声は、水を含んで重かった。
「どうして……お前は、**死んだはずだ!**」
七海は永井に近づいた。その歩みは、彼女が経験したはずの「焼死」の苦痛とは裏腹に、水の中を歩くように重く、遅い。
「あなたが、私にしたこと……全て、**水に流してあげる**」
七海がそう呟くと同時に、頭上の豪華なシャンデリアが一斉に破裂した。凄まじい水圧と共に、エントランスホール全体が**濁流**に襲われた。
永井は頭を殴られ、視界が暗転する直前、七海の顔を見た。その目は、憎悪ではなく、**冷たい失望**に満ちていた。
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### 第3話:二度目の「結婚」リプレイ
水圧に溺れた感覚から、永井は意識を取り戻した。
彼は、あの夜の、七海の部屋にいた。床にはガソリンの匂いが充満し、七海の目が、憎悪ではなく、**冷ややかな失望**で彼を見つめていた。
「わたしと結婚すると言って!!」七海が叫ぶ。
永井は反射的に、あの時の薄笑いを浮かべた。
「ああ、わかったよ!それだけか?いいだろ、**結婚してやるよ!(笑)**」
永井が嘲笑った瞬間、部屋の空気が凍りついた。七海は彼を罵倒せず、静かに携帯を取り出した。画面には、妻と子供が怯える写真。
「そう。それが、あなたが本気で言った最後の言葉ね。……なら奥さん。お子さんとお別れするね?」
その言葉が、ただの脅しではないことを永井は悟った。彼は手を伸ばしたが、その時、彼のデスクの電話(あの部屋にはないはずの電話)が、けたたましく鳴った。
『課長!電話です、課長のご自宅から出ています!』
永井は七海の携帯に目をやった。彼女は変わらず携帯を握っている。
彼は慌てて受話器を取った。
「もしもし!」
聞こえてきたのは、サイレンの音と、木が爆ぜる激しい音だった。
『……火事だ!永井さん、あなたの家、**一階から出火しています!**』
永井は携帯を落とした。七海の目が、涙なのか灰なのか分からない一粒を零した。
「全部、私が味わった苦しみよ」七海は囁いた。「あなたは、言葉で私の未来を燃やした。だから私は、あなたの現実を、**時間と空間を捻じ曲げて**、燃やし尽くす」
永井の目の前で、七海の姿が炎と水のように揺らぎ始めた。そして、彼女の背後に、**炎に包まれた自宅の光景**が、幻影となって立ち上る。
「さあ、永井課長。あなたの人生を、始めからやり直しましょう」
永井の完璧な日常は、七海の復讐のロジックによって、永遠に燃え続けるゲームへと変貌したのだった。
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