記憶を消してもう一度
中田甲人
「記憶を消してもう一度」
レトロアクションRPGの金字塔『ヴァーサス・ランバート』――通称バサラン。
ディスプレイに表示された、画素の荒い「THE END」の文字を前に、佐藤は放心していた。
カーテンを締め切った薄暗い部屋。
壁にかかったデジタル時計にぼんやり目を向けると、04:32と無機質な数字が並ぶ。
「……朝?」
最後に時計を見たのは、確か昼前だったはずだ。
余韻と疲労で痺れた頭の中、思うことはただ一つ。
こんな神ゲーだったんなら、もっと早く教えてくれよ。
そして、どこかで聞いた言葉を思い出した。
――記憶を消してもう一度始めからやりたい。
佐藤は初めて、それに心から同意した。
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泥のように眠った翌日。
snoutを起動し、仕事の返信メールを作らせていた。
「おお勇者さとうよ……文面は以下の通りじゃ」
王様口調にカスタマイズしたAIの文章を眺めていると
一つの社名に目が止まった。
トラペゾイド製薬。
記憶を操作する薬でニュースになった、あの会社だ。
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「おお勇者さとうよ……レテプラム(Lethepram)とは、
“対象記憶を数%だけ河へ流す”ための穏やかな薬じゃ。
汝が強く念じた場面のみが削れ、日常の整合性は自動で補正される。
副作用は軽度ゆえ、初回利用の者に最も推奨されておる」
一錠で原付きバイクが買える値段に引きながら、注文ボタンを押したのは数日前。
レテプラムの四錠入りPTPシートを指で弄びながら、王の説明を読み流す。
「強い眠気が起こるので、忘れたい記憶を頭の中で強く思い浮かべてください、ね」
薄いオレンジの錠剤を飲み下し、説明書に書かれた通りベッドに横になる。
思い浮かべるのはバサランの世界、エリュシオンの緑の空。
眠りに落ちる直前、壊れ武器の火炎放射機で焼き殺されるランバート人の、
チープな断末魔が聞こえた気がした。
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レテプラムの効果は絶大だった。
それから一週間のことは、逆にほとんど覚えていない。
おそらく生活に必要なこと以外の時間をすべて、かの名作ゲームに捧げたのだろう。
なんて幸福な時間だ。
何しろ、バサランしかしていない。
記憶が曖昧なのは当然だ。
レテプラムを飲むたび、自分自身も“はじめから”に戻る、あの感覚。
すでにPTPシートは空になっていた。
塵宇宙化の危機からエリュシオンを幾度も救った佐藤は、
トラペゾイド製薬のオフィシャルオンラインショップにアクセスし、
前と同じ手順でレテプラムをカートに入れた。
どうせ親名義のクレジットカードだ。
その時、「こちらもいかがでしょうか」とおすすめ表示がポップアップした。
メモサプラム。
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「あークソしんど。やっと終わった……
さすがにイカれてんだろ、この経験値取得量は」
バサランには制作者も認める欠点がある。
ファンの間で“懲役10時間”と呼ばれる、序盤レベルデザインの致命的なアンバランスだ。
その区間をようやく越えて、セーブポイントを作り終えた。
オンラインで繋げた医者の質問すべてに「ありません」とだけ回答し、
最後に「同意します」と宣言する。
翌日、メールで届いたURLを踏み、使用目的を含む質問欄をすべて埋めた。
これがメモサプラム購入の必須要項だった。
「勇者さとうよ……メモサプラム(Mnemosapram)とは、
“不要区間を削り、新しい初見体験を挿し込む”処置じゃ。
汝が進行を戻さぬよう、前半だけを初めて遊んだ記憶が自動生成される」
あとは薬を飲み、製薬会社から届いた音声ファイルを聞きながら眠るだけ。
こうして、佐藤の懲役は終わった。
---
数か月後。
メモサプラムを服用し続け、クレジットカードが限度額に達した頃、親から連絡が入った。
変な薬にでもはまってるのか?
ほどほどにして、たまには会社に顔を出しなさい――と。
ごもっとも。
それはそれとして、バサランの真エンド条件分岐に頭を悩ませていた時、メールが届いた。
送信元はトラペゾイドジャパン製薬会社。
件名:メムドリンXR 優先販売のご案内
佐藤 様
平素より弊社製品をご利用いただき誠にありがとうございます。
この度、限定臨床枠にてメムドリンXR(Memdorin XR)をご案内申し上げます。
本剤は全記憶領域の再編を目的とした新規処方で、
「完了した体験のみを保持し、未体験領域を初期化する」
ことを特徴とします。
日常生活との整合性は自動補正され、服用は就寝前一錠を推奨しております。
佐藤はメール本文をsnoutに送った。「要約たのむ」の五文字を打ち、エンター。
「おお勇者さとうよ……つまり、飲むだけでバサランをクリアした体験が得られるのじゃ」
条件分岐は決まった。
これが真エンドだ。
記憶を消してもう一度 中田甲人 @nakata_kouto
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