第2話

「もうだめです。気持ち悪いです」

「吐け。楽になる」

「ルリアート様、水を用意しました」

「ご苦労」


馬に揺られている最初のうちはよかった。出発が日暮れだったこともあって、一日目はそんなに長時間馬に揺られることがなかった。


二日目から酷かった。馬に揺さぶられると朝食で食べたものが胃の中で混ざっている感じがする。


朝食はたくさん食べると吐くぞ、と忠告された通りに硬いプーミひとつと少量のスープにしたのに、それでもそれらが胃のなかで混ぜ合わされて、どうにか口から出ようとしてくる。


王太子殿下の前に乗らせていただいている間に吐くわけにもいかないので、おろしてください、と息も絶え絶えに言うと森の中で馬を止めてくれた。


「船でアルルに入ったと言っていたな。船では大丈夫だったのか」

「はい、船は大丈夫だったのですが」


そこまで言って本格的に吐きそうになってしまった。急いで王太子殿下とその側近から距離を取って森の中で胃の内容物をぶちまける。


勿体無い、という言葉が一番初めに浮かんだ。もう何も食べないようにしよう。


それでもまだ吐き気は止まらずに何度もえづいてしまう。こんなに馬に乗るのが過酷だとは思わなかった。


遠くから見える馬はご機嫌そうに草を食んでいる。それでも背に乗せてもらえるだけありがたいと思わなければ。そう思って王太子殿下の元に戻る。


「自分に魔法はかけられないのか」


水を差し出しながらそう言ってくれる王太子殿下に、お礼を言って水で口を濯ぐ。驚いたことに王太子っ殿下は私が吐いたことを知っても、鼻で笑ったり顔を顰めたりしなかった。


「かけてもどうせすぐなるので」

「そうか」


かけては吐いてかけては吐いての繰り返しになってしまう。無駄な魔力の消費は極力抑えたい。そうでなくても昨日、王太子殿下の呪いを引かせたので結構な魔力を使ってしまった。


昨日からちゃんと眠れていないのも回復していないひとつの原因だろう。


「馬は慣れだな。そのうち慣れる」

「本当ですか」

「信じろ」


そう言う王太子殿下に頷いて、やっと落ち着いてきたので木の幹を背に座る。ほっと力が抜けた。


「しばらく休まないと出発はできそうもないな」

「申し訳ございません」

「謝らなくていい。馬に乗るのは初めてなんだろう」


王太子殿下が私の近くに腰を下ろす。側近の男は王太子殿下を守るように背を向けて座った。大きく深呼吸を繰り返すと、だんだんと吐き気がおさまってきた。吐いてよかった。


「アルルには船で入ったと言っていたな。お前、どこから来た。名はなんという」

「…」


どこまで話せばいいのか悩んでしまう。マントの下で思案していると、いきなり叫び声が聞こえてきた。


その声に誰より早く反応したのは王太子殿下で、腰にかけている剣の柄に手をかけている。森を見回しても誰もいない。


「なんの声だ」


王太子殿下とその側近が辺りを見回している。私は申し訳ないけれど、役に立たないので馬の近くにさっと隠れた。


その時、森の奥から一人の女性が走ってくるのが見えた。

その女性の後ろに人の十倍はあるだろう大きな蜘蛛がついてきているのが見える。


女性は必死に走っているけれど、その距離はどんどん縮まっている。あまりの光景に声を失っていると、王太子殿下が走り出すのが見えた。


「ルリアート様!」


側近が叫ぶ。女性も叫ぶ。私は口を押さえて、何も言えない。恐怖で喉が凍りついてしまっている。首を飛ばされたらいくら私でも助けることはできない。即死は治療の範囲外だ。


王太子殿下が足に力を入れたのが見えた。そして王太子殿下が大きく飛び上がり、そのまま剣を蜘蛛の首に突き立てた。


人間ってあんなに大きく飛べるんだ、と思っていると、蜘蛛の首から緑色の液体が吹き出し、そのまま地面にどしゃりと倒れた。


さっきまで忙しなく動いていた脚が折りたたまれていく。思わず首をすくめてしまう。怖い。


「ルリアート様!お怪我は!」


側近が我に返ったようですぐに王太子殿下の元にかけていく。馬は慣れているのか気にしない性格なのか、二頭ともまだ草を食んでいる。


私は王太子殿下に近寄れない。だって蜘蛛が怖い。女性が腰を抜かしたのか、地面に尻餅をついている。


怪我はないと思っていたけれど、足から血を流しているのが見てとれた。大きな怪我だろうか。


「怪我はない。それよりそちらの女性に怪我は」

「だ、だ、大丈夫。大丈夫です」


女性はそう答えたけれど、王太子殿下はそのまま女性を放っておかなかった。


女性に手を差し伸べて女性を引っ張り起こす。そこで足の怪我に気づいた。王太子殿下がふむ、と考えるようなそぶりをしてから、何かを探すように視線を彷徨わせた。そして私を見つける。


「こっちにきてくれ」

「恐れながらも王太子殿下がこちらに来てはいただけませんか」

「なんだ、怖いのか」

「怖いです」


王太子殿下は面白がるような表情をしたけれど、こちらに近づいてきてくれた。


側近が女性に肩を貸して女性は先ほどまでの疾走が嘘のようにひょこひょこと片足を引きずっている。服装から見るに平民で、その手に持っていたカゴの中には木の実がどっさりと入っていた。


「木の実とりですか」


私がそう話しかけると女性は恥ずかしそうに俯く。側近がそっと女性を木の幹にもたれかけさせた。


「子どもが木の実のケーキが好きで。でもこんなことになるなんて。本当にありがとうございました」


流れている血を拭うと、足の脛の辺りがざっくりと切れていた。痛そうだけれど、女性は大丈夫です、大丈夫です、と繰り返す。


「助けていただいて本当にありがとうございました」


助かった安心からじわじわと痛み出したのか、女性の顔が笑顔を作っているのに時たま顰めっつらになる。大丈夫ではないだろう。


慈善活動じゃないんだけどな、と思いながら傷口に手を当てる。光が昨日よりも大量に漏れる。これはもう仕方ない。


今日は体調が悪い。女性の顔が顰めっ面から笑顔に戻る。傷がスルスルと癒えていって、足は何事もなかったかのようになった。


「え!なんで!」

「木の実のケーキ、私も好きです」

「なんで!」


女性がそう繰り返して私と傷があった場所を何度も見比べる。そんなに見比べても何も起きない。木の実のケーキ、私も食べたい。ライアス王国で何度か食べたことがある。


お酒が入っているやつを食べた時は驚いた。女性が何かに気づいた表情をして慌てて立ち上がって頭を下げる。慌てたのはこちらだ。


「神様、命を救ってくださりありがとうございます」

「神様ではないです」

「本当に森の中に神様がいるなんて!木の実を取って申し訳ございません」


そう言って頭をより深く下げる。困って王太子殿下を見ると、王太子殿下は笑っていた。神様ではないのに。


「神様ではないですけど、命が助かって本当によかったです。王太子殿下にもお礼を」


そう言うと、その女性が慌てたように王太子殿下にも頭を下げる。


「ルリアート様ですか?本当に助けていただいてありがとうございました」

「怪我も治ってよかった。村まで送ろう」


王太子殿下が馬を幹から放すと、馬は名残惜しそうに草を食んでいたけれど、王太子殿下が綱を引くと、素直にそれに従う。


「そんなことまでしていただくわけにはいきません」

「森は危ないですから」


側近もそう言って女性が戸惑っているうちにみんなで歩き始める。


蜘蛛に向かって歩き始めるので、なるべく蜘蛛の遠くを通るように王太子殿下の左斜め後ろを歩く。


それに気づいたのか王太子殿下が私のことを見て笑う。


「ブラクニだ」

「ブラクニ?」

「この魔物の名前だ」


そうなんですね、とだけ言って首をすくめて通り過ぎる。


隣を通る時に脚がまだピクピク動いているのがわかって恐ろしかった。村はすぐそこだと言う女性に従って歩く。


「我がアルル王国は、数百年前勇者カリアスが魔王を倒してできた国だ。だいぶ少なくなってきたが、まだ魔物がうろついている」

「なるほど」

「王太子殿下はその勇者カリアスの血を引いていらっしゃる。だから剣が抜群にお上手なんだ」

「そうなんですね」


側近の男が自慢のように言う。先ほどの王太子殿下の勇姿を思い出して、あれは剣が抜群に上手いで済む話なんだろうか、と思った。


人間はあんなに飛び上がれるものだろうか、と考えていると、道の先に村が見えた。


「あれが私の村です」


女性がそう言って、村の方向へ向かって手を振る。見えるんだろうか、と思っていると村の方向から子ども達が走ってくるのがわかった。


「お母さん!」


走ってきた子ども達が女性に抱きついて、女性が後ろに大きく揺れる。さっき怪我を治したとはいえ、血を流していたけどな、と心配していると、女性はその心配をよそにおおらかに笑う。


「ただいま」

「村長が森にブラクニが出たって」

「だから行っちゃいけないって言われて」

「心配したんだよ!」


口々にそういう子どもたちに、女性が優しく笑いかけて頭を撫でる。それはお母さんらしい笑顔で、なんとなく助けてよかったなと思った。


「ルリアート様に助けてもらったの」

「ルリアート様?王子様の?」

「そうよ。神様に怪我も治してもらっちゃった」


そう言って女性がスカートの裾をまくる。子どもたちが女性の後ろにいた王太子殿下を見て、それから私を見て、そして側近を見る。


おそらくこの人が王太子殿下、と言うのはわかったのだろうが、私と側近どちらが神様かはわからなかったらしい。


「ルリアート様、ありがとうございました」


子ども達の中で一番年上であろう子どもがそう言って頭を下げる。


お礼をしなくちゃ、と言う女性に王太子殿下はそんなことはいい、と言っている。その後、子ども達の中で一番年下であろう子どもが私のマントを引っ張った。


「神様?」

「神様ではないんだけれど」

「その神様が助けてくれたのよ」


女性がそういうと、子ども達が一斉にこちらを見る。その視線にたじろぐと、今度は一斉に頭を下げられた。


「ありがとうございました」


下げられた頭を順番に撫でた。弟の小さい頃を思い出す。慈善活動ではないと思っていたけれど、やっぱり助けてよかった。


「ではこれで」

「ゆっくりしていってください」

「寄って行って」

「ごめんな、先を急ぐんだ」


そう言って王太子殿下が手を振ると、子ども達も手を振る。女性が本当にありがとうございました、と頭を下げて、私はそれに頷いた。


私たちの姿が遠くの森の中に消えるまで、その子達は手を振ってくれていた。







私の調子がよさそうだと馬に乗ってからどれだけ時間が経ったのだろう。


昼頃に馬に乗り始めて、陽が傾き始めている。ずっと馬に乗っているのも大変だけれど、ずっと歩いたり走ったりしている馬はもっと大変だろう。


今日はここで休むか、と言って王太子殿下が立ち寄った場所はどこかの貴族のお屋敷だった。なんだここ、と思うほど豪奢な邸宅で、白塗りの壁はその資金の潤沢さを表しているようだった。


「風呂にも入れるぞ」


そう言って王太子殿下は勝手知ったると言った感じで邸宅の入り口を入っていく。


今日も野宿を覚悟していたのに。こんなところ入って行っていいのか、と思っていると邸宅の扉が内側から開かれた。


「ルリアート!久しぶりだな!」


内側から出てきたのは、貴族然とした若者だった。ルリアート!と話しかけたのを見るに、王太子殿下と仲がいいんだろう。


「ユルレム、宿を借りたい」

「いくらでも、でも君がくるならもう少しちゃんと出迎えたかったな。そちらは?」

「俺の客人だ」

「そうか。私はユルレム・シルレルハムだ。ルリアートとは幼馴染なんだ」


手を差し出されて、マントの下から手を出してその手を握る。金髪に金目、美しい容貌からは想像できないしっかりとした手だった。あ、剣ダコ。


「エルムも久しぶりだな。ルリアートはお前ばかり連れて回るから疲れてないか」

「もったいないお言葉です。ルリアート様とご一緒できるのは誉でございます」


エルムって言うんだ。名前初めて知ったな。ユルレム様は私たちをサロンに連れて行ってくれた。


茶色の縁取りをされ、革張りした長椅子に座ると、ふんわりとしている。その感触が嬉しくて何度か座り直す。


「食事を一緒にとりたかったが、見たところお疲れのようだ。部屋に持って行かせるようにしよう」

「そうしてくれ」

「その代わり明日の朝食はみんなでとろうじゃないか」


ユルレム様がそう言うと王太子殿下がそうだな、と頷いた。ユルレム様はそれに満足そうにすると手を叩いて使用人達に私たちを部屋に連れていくように指示を出した。


どこからともなく現れた使用人達が私たちそれぞれをそれぞれの部屋に案内してくれる。こちらでございます、と言われてついていく途中の廊下も両側に壁画が飾られていて立派だ。


「こちらでお休みください」


そう言われて扉を開けられる。濃い茶色の扉が開かれて中にはベッドがどん、と鎮座していた。その前にテーブルがあり、壁には暖炉がある。


扉が閉じられて、やっとマントを脱ぐことができた。

このマント地味に重いんだよな、と思いながらそれを椅子の背にかける。


疲れた、とベッドに横になると天蓋の飾りが豪奢さが目に入る。


「痺れる」


ずっと右手が痺れているのを無視していた。魔力が枯渇しそうだと言う合図になっているこれは、使いすぎた時に出てくる。


王太子殿下の呪いを引かせるのに大量の魔力を消費したらしい。

その後の、女性の怪我も結構大きかったしな、と思って立ち上がりマントのポケットをゴソゴソ探る。


そのポケットの中から出てきた砂糖菓子を口に含んで飲み込んでも右手の痺れは無くならない。


「食べて眠らないと無理か」


もう一度ベッドに横たわる。王太子殿下が風呂に入れると言っていたことを思い出して、体は洗いたいなと思った。


鎖骨のあたりまである髪の毛はマントで守られていたからかゴワゴワしたり絡まったりはしていない。どちらかというとマントを洗いたいな、と思っているとコンコン、と扉がノックされた。


「はい」


返事をすると扉が開かれてワゴンをついた使用人が入ってきた。


「お食事の準備をさせていただきます」


そう言って部屋のテーブルに食事が並べられる。テーブルに並び切るのだろうかと思っていると、本当にテーブルに並び切ってしまった。


カゴに入ったプーミは三つで、今まで見てきたどのプーミよりも柔らかそうに見えた。


お腹が鳴るのがわかってテーブルにふらふら寄っていくと、使用人が椅子にかかっていたマントをおや、と言って手に取った。


「こちらよければ洗っておきましょうか」

「いいんですか」

「ぜひ」


マントのポケットには砂糖菓子の他に何も入れていない。


そのままマントを渡すと使用人は頭を下げて部屋から出ていった。


椅子に座ると目の前にあるお肉が美味しそうでたまらなくなる。


盛大になる腹に思わず笑ってしまう。食とは人生の喜び。王太子殿下についてきてよかった。


早速お肉を口に含むと、柔らかくて鼻に抜けるいい香りがした。そのまま、脇目も振らずに食べ進める。美味しい。


プーミをちぎって口に入れると、やっぱり今までのどのパンよりも柔らかかった。そのままガツガツと食べているとテーブルの上にあった食事はどんどんなくなっていく。


「お腹いっぱい」


全て食べ終えてググーっと伸びをする。そのまま寝てしまいたいと、ベッドのに横たわる。本当に幸せな気持ちだ。お腹がこんなにすいていたことにも気づかなかった。


「風呂入りたい」


食べてすぐに横になってはいけないよ、と言う声が聞こえた気がして目を開ける。


お母さんに言われたことだった。そのことを思い出して寂しくなってしまう。


体を起こしてぼんやりと暖炉を眺める。火は入っていない。国に置いてきたのは、私がこれからどうなるかわからなかったからだ。


王太子殿下に雇われるなら、一緒に来て貰えばよかった。そう思っているとコンコン、と扉がノックされる。


「はい」


返事をすると扉が開かれる。そこには王太子殿下が立っていた。


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呪われ王子と金次第聖女 @maru0803

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