あの〜。胡椒ってあります?

蓮村 遼

あの〜。胡椒ってあります?

 今日の昼はどこで食べよう。

 ふらっと会社を後にして、まだ目的地を決めていない。


 そしたら、良い煮干し出汁の薫りが、ふわっと鼻先を撫でた。

 薫りの源流を見やると、『らーめん』と、ただそれだけ書かれた暖簾のかかる入り口が、僕を誘っていた。

 一気に、ラーメンに胃も心も鼻も鷲掴まれ僕は暖簾をかき上げた。


 店内は狭く、カウンターに席が4つ、席が1つずつ向かい合うだけのテーブルが2セットだけ。

 席はそこそこに埋まり、店員さんも忙しそうだ。

 僕は流れるように、一番入り口側にあるカウンター席に腰掛ける。

 座ると同時に水が置かれる。一口含み、メニューを探す。

 目の前に、B6サイズくらいのメニュー表を見つける。


 煮干しラーメン   500

塩ラーメン     500

 味噌ラーメン    700

 チャーハン     600


 至ってシンプルなメニュー表だ。

 表では煮干し出汁からの誘いを受けたため、指名は変わらない。


「煮干しラーメン1つ」


 あいよ!! と威勢の良い返事が飛んできた。

 暇なので、水を含みながら、周りを見る。

 皆、静かに麺を啜り、昼のワイドショーのみが話題のレジャーをかしましく伝える。


「はい! お客さん! 煮干し一丁!」


 目の前にゴトリとドンブリが置かれ、澄んだ油が店内の照明に煌めく。最近流行りのドロドロ系ではなく、昔ながらの澄んだスープで麺が気持ちよさそうに浸かっているのがわかる。少しのカラメル色要素は醤油ベースなのだろうか。

 麺を持ち上げると、先ほど鼻腔をくすぐった出汁の薫りが早く食えと僕を急かす。

 麺を啜ると、鰯の旨味、昆布の旨味、醤油のコク、麺のコシ、小麦の味。全てが味蕾を刺激し、空腹感を殴って鎮めていく。


 あれが欲しい。この味をくっ、と締める。あのスパイス。

 卓上に手を伸ばす。確かメニュー表の隣にあったはず。あったはずだが……。


「あの〜。胡椒ってあります?」


 夢中で麺を啜っていた他の客の動きがぴたりと止まる。

 何故か、視線が僕に集まる。


「あ、お客さん。それにはこれを唱えてください。あとコレ持って」


 店員さんはステッキを渡してきた。

 魔女っ子が持つようなピンクでキラキラ、先端にハートのアイテムが付いたやつ。

 そして、店員さんは、メニュー表を指さす。

 目を凝らすと、左端の端に、小さな小さな字でこう、書かれていた。


 ピペリン♪ シャビシン♪ ピペラニン♪

 ※胡椒を呼び出すための呪文です。


 ……はて?

 僕はこの短い間に異世界転生したのだろうか。

 魔法が使える世界に飛ばされたのか?昼ご飯を食べるためだけに。


「あの~……。これって……」

「お客さん。はいっ。これ振って。元気よく唱えないと、最近は出が悪いから」


 店員さんの態度は変わらない。

 心なしか、他の客の視線も『早く言えよ』と言っている気がする。

 しかし恥ずかしい。

 どうして私が魔法少女に……?


「ぴ……、ピペリン。シャビシン……。ピペラニン」


 僕はステッキをラーメンの上でくるくる回しながら唱える。

 ……何も起こらない。

 周囲からは期待外れを窺わせるため息がちらほら聞こえてくる。

 目の前の店員は腕を組み、首を横に振る。


「お客さん、それだと胡椒は出ませんね」

「えぇ~……」

「もっとキュートに、思いっきり唱えないと! ほら、ぐずぐずしてると麺が伸びますよ!」


 確かに。こんな準備万端に味変を待っているラーメンを待たせておくのは、男としてどうか……。

 仕方がないと、ステッキを持つ手にキリッ力がこもる。

 周囲の視線が再び熱を帯びる。

 僕は立ち上がり、その場で一回転しながら空をステッキをハート型になぞってから、まるで新体操選手のリボン演技のようにラーメン上でくるくるとステッキを振るった。


 ピペリン♪ シャビシン♪ ピペラニン♪

 ラーメンラーメン美味しくなぁーれ♬


 周囲からは拍手と歓声が上がった。

 僕はやり遂げたらしい。

 店員さんも満足そうに大きく頷く。

 ああ、これでやっとラーメンに魔法をかけることができた。


「はい、胡椒ですね~。粗挽きも合いますけど使います?」


 店員さんは厨房から小汚い胡椒の小瓶を出し、僕の目の前に置いた。

 いつの間にか、店内は普通の油ニッキニキの店内に戻っていた。

 他のお客さんも自分のラーメンの相手で忙しそうだ。


「……あ、はい。普通のでいいです」


 僕の力が足りなかったのかな……。

 胡椒を振りかけながらそんなことを思う。


 こんな僕にも、煮干しラーメンは優しく接してくれた。

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あの〜。胡椒ってあります? 蓮村 遼 @hasutera

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