【短編】超人と記憶喪失
高天ガ原
第1話 記憶喪失
白い天井、カーテンで区切られたスペース。
未だに新鮮な景色だ。というよりは、何もかもに見覚えがない。このような状況を人々は〈記憶喪失〉というらしい。
曰く、私には記憶がないようだ。だから、名前も分からないし、生年月日なんて答えられやしない。一応、名前は高藤美遥(たかとう・みはる)らしいが、不思議と口になじまなかった。
ただ、医者と名乗る人物には「若干、知識は残っている」と言われた。その証拠に私は文字が書ける。しかし、その文字が連なったときにどんな意味を持つかの理解は薄いようだ。どういうことかというと、「びょういん」と聞いて〈びょういん〉と書き記すことはできるけども、〈びょういん〉の意味は分からない。
誰もが口をそろえて「変だ」と言っていた。だけども、実際に私は、教えてもらうまでここが病院だということを理解できていなかった。目覚めてからいろいろと看護師に尋ねられるが、場所という概念すらも忘れていたようで「ばしょ?」と尋ねる状態だったらしい。困惑必至の状況だったらしい。だが、今でも色々な概念を忘れているせいか、いまいち状況が理解できていない。
それでも、幼児より早く状況を理解し始めていたのも事実。医者は私の様子を見て「穴抜けのワークシートを埋めているようだ」と言っていた。なるほど、概念とかそんな複雑な事象の理解までは消えていなかったことをよく言い表わしている。
ちなみに、私の見舞いには様々な人が来る。どのくらい様々かというと、総理大臣をはじめとしたお偉い方から、浮浪者のような人々まで。ある程度は病院側で面会を謝絶しているらしいが、記憶を取り戻すという名目で色々な人から話を聞いてきた。そして、話によると私は一般人の枠に収まらないような有名な人物だったらしい。
曰く、空を飛べる唯一の人類で、無尽蔵の体力と怪力で怪異を解決していたスーパー”ヒロイン”とのこと。自分が女である自覚も微妙にないのだが、とりあえず、私は最強の人類として世界を飛び回っていたらしい。なお、その超能力のことは科学で解明できなかったそうだ。まぁ、直感で空を飛ぶことはできたので、体は超能力を覚えているらしいが、いっそ、一般人として生きたかったと思う。
もちろん、体が超能力を忘れていれば、私はただの人間になってしまうのだが、怪異と戦っていた自分の話を聞くと凄く怖い。曰く、現代に復元された大恐竜を殴り飛ばした挙句、服従させたとか。なんて規格外の存在なんだ。
周りの人たちを見る限り、大恐竜を殴り飛ばせる人間なんていないだろう。物は試しとばかりに差し出されたコンクリートの板を殴り壊して無傷だったので、平気だとは思うのだが、自分が異常すぎて怖い。
噂によると、私ができると思い込んだことは何でもできるらしい。大恐竜と会話をして、困ったときには手から火を噴き、似非宗教の教祖を殴り飛ばして洗脳を解いた挙句、自分で宗教を作って信者を根こそぎ奪ったらしい。なお、入院代などの必要経費は頼めば、教団がどうにかするんだとか。理解しがたい状況だ。
「美遥さん、面会です」
回想している間に病室へ入ってきた男性看護師が私を呼ぶ。彼は一応、プライマリーと呼ばれる担当者らしい。とりあえず、信頼できそうだし、信頼しないとどうしようもない人間なので信頼することにしている。
私はいつもの癖で「誰が来たんですか?」と尋ねた。すると、看護師は「あなたの会いたいはずの人ですよ」と答える。だが、あいにく、私に会いたい人はいない。何せ、記憶がないのだから会いたい相手すら思い出せないのだ。
「肩書は?」
そう尋ねると看護師は「有名な起業家で、あなたの……ごめんなさい、ここは伏せておいてくれって言われたんでしたっけ」と笑った。いったい何だというのだろう。
「まぁ、わかりました。会いますよ」
そう言って私はベッドから起き上がる。すると、男性看護師は静かに言った。
「覚えているかわかんないんですけど、人間の異性同士って仲良くなると指輪を贈る習慣があるんですよ」
「へぇ、そうなんですね」
私はそう言いつつ、ベッドから足を下ろす。それを見て、看護師は伝わっていないと感じたのか言葉を重ねた。
「俺にも仲の良い異性がいて、結婚という儀式を経て、その人と家族になっています。ほら、指輪しているでしょう?」
そう言いつつ、おもむろに左手を見せつける看護師。確かに彼の薬指には指輪がされていた。
「そうなんですね。お幸せに」
私がそっけなく答えると、看護師は慌てたように言いすがる。
「いや、そうじゃなくてですね。あなたも左の薬指に指輪をしているでしょう?」
その言葉を聞いて、私はハッとした。とりあえず、目が覚めた時から病衣を着替える以外、身の回りをいじってこなかったので気にしていなかったが……確かに、私は指輪をしている。
「そっか。今、そんな人もいないですし、取ったほうがいいですね」
「そうじゃないでしょう?!」
男性看護師の慌てぶりに私は思わず笑ってしまった。しかし、彼の言いたいことは嫌でも伝わる。
「まぁ、さすがに、今日の人には初めましてって挨拶しないでおきますよ」
「伝わったようで何より」
安心したような看護師に誘導されて私は面会室へ向かう。ちなみに、私が暴れたら誰に求めることはできないだろうということで、もはや拘束具とかすら使わない状況だ。病院が病人の管理をあきらめるなんておかしいらしいが、私のほうが規格外なので何も言えない。
すれ違う患者の人たちから憧れの視線を向けられる。今は、個室に閉じ込められているので関わることもないのだが、きっと彼らにとって私は話してみたい存在なのだろう。
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