カレー1㎏食える?
お仕事中の情シス
筆者スペック
こんなくそえっせいなんかまじでみちゃってどうするの。
さて、景気良く作者に読者からの飛礫の雨がぶつけられたところで、本作とその筆者について軽く説明しておこう。
割と読まなくてもどうとでもなる内容なので、さっさと本編が読みたい方は、本項を読み飛ばしていただいても構わない。
まず本作は、自称健啖家の筆者「お仕事中の情シス」氏が、ただ大食いを自慢しマウントを取るだけのあさましいエッセイである。
というのも、筆者は普段から幼少のころからかなりの大飯喰らいなのである。
小学4学年ごろからその暴食ぶりが開花し始め、誕生日祝いに鉄火巻きだけの寿司桶3人前を一人で完食したのを皮切りに、どんぶり飯で必ず3杯はおかわりを食うようになり、回転寿司ではアベレージ20皿は手堅く食べるようになった。
それだけ食べれば成長も目覚ましく、身長は中学で170に達した。
一方で体重の方は思ったよりも増えず、当時55㎏前後で揺れていたような気がする。
身長はこれ以降思ったほど伸びず、また体重の方も似たり寄ったり、しかし飯だけは祖母曰く「食わしてない餓鬼」の如くドカドカ喰らった。
その祖母からよく「アンタの細い体のどこに入っていくの」と問われて、「この辺」と空に指を指すのがお決まりの会話であった。
なお、これは大人になってからも結構長い間同じ体重を維持し続けた。
今でこそとある会社の情シスをやっているが、前職は生協の下請けでトラックのドライバーをやっていた。
なお、その前職は2回ほど別の会社で営業職をやっていたのだが、それはまた別のお話。
ようは、バリバリの肉体労働者だったので、飯もそれに比類して相変わらずドカドカ、そして消費エネルギーもドカドカのドカちゃんだったのである。
その為、30を過ぎてもしばらくの間体重50前半をキープし続けていた。
転機が訪れたのはトラックの仕事7~8年目ぐらいの頃である。
それまで勤めていた事業所から別の事業所へと異動となったのだが、ここがパワハラクソブラックであった。
生協の配送員は商品の配送と並行して共済(要は保険だ)の営業もしなければならず、当然その業務も下請け業者に課せられているわけなのだが、筆者には営業の才能が1ミリもなく、それどころか携わる人間を怒らせることに対して天才的な才能を誇っていた。
イレギュラー対応のための謝罪の電話をしたら、逆に火に油を注ぐ結果になることが頻発したため、最初から上司が電話対応することになったレベル、といえば察してもらえるだろうか。
さらに、筆者はお世辞にも配送のスピードが速いとは言えず、他の担当者よりも1.5~2倍近い配送時間がかかっていたため、まともに営業を仕掛けるような時間的余裕もなかった。
そんな厄災にまともな営業ができるわけもないので、保険営業に関しては毎回上司から詰められていた。
異動前から割と詰められてはいたのだが、移動後は悪質性が上がったのと、携わる人間が事業所全体へと変化した。
ある日、筆者は配送終了後に事業所の所長とリーダー職の者に別室へと連れ込まれ、「営業ノルマを達成するか、辞めるか、今ここで宣言しろ。言うまで帰さん」と労基がブチ切れるような無茶苦茶な脅しをかけられた。
コンプライアンスを高々と掲げる企業理念はどこに行ったのだ。
結局、その事件をきっかけでメンタルに致命傷を負った筆者は、合法的に迷惑をかけるために心療内科を受診、そこで得たとある病気の診断書(鬱病ではない)を叩きつけることで退職をもぎ取ったのである。
その後、紆余曲折あって今の会社で情シスを務めることになったわけだが、今の仕事は完全にデスクワークであることもあって、完全に運動不足である。
しかし、食欲だけは相変わらずなので、エネルギーが余る余る。
そしてそれは下腹部に溜まっていき、今では見事にポッコリお腹な体型、体重も75㎏まで増加した。
前置きが大分長くなった。
要するに、筆者は飯を食うのが好きなのである。
そして、世間では度々飯テロなグルメ作品が話題となる。
ならば、筆者もこのカクヨムコンに便乗して、書こうではないか。
カクヨムドカ食い気絶部、発足である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます