34 【天聖】ヴァシリ・ヴァルバロッサ⑤
聖剣とは、女神の創った兵器である。
ヨハンの手記に書かれていたのはただそれだけ。
詳しい内容も何もないが、今や神代と呼べる時代から生きているヴァシリですら存在を知らなかったのだから、そうであってもなんら不思議ではない。
それを起動出来るのは、〈主人公〉。
彼の知る限りは一名しかおらず、その一名を主人公とした物語のためにこの世界は生まれたのだと。
ヴァシリが世界を旅して見つけ出し、何百年と時をかけて品種改良を施した黄金色に実る穀物と同じ髪色を持った少女。
アリアンロッド・モーナ。
ただの村娘である少女を見つけ、聖剣を起動する姿を見たときヴァシリはふと思った。
(────私は死ぬんだな、ヨハン)
物語は始まった。
世界が産声を上げた。
ヴァシリを含むこの大陸中の人間が、生きるか死ぬかの選択をこれから迫ることになる。それも、アリアンロッドを中心としたごく僅かな人間の肩にのしかかるのだ。
その選ばれた勇者でさえ、一歩間違えれば敗北し、凌辱の目に遭う。
どれだけ綱渡りをすればいい?
そして、それだけたくさんの綱渡りをしてもなお、ヴァシリの運命は変わらない。そう思うと、途端に虚しさが湧き上がってくる。
ヴァシリに出来ることはなんでもしてきた。
これまでの人生で一度も油断はしてこなかった。
ヨハンの教えと手記、そして〈知識〉や〈預言〉を頼りにありとあらゆることに手を伸ばし続けた。冒険者ギルドを設立し初代ギルド長として権威を保ち、各国主要部へパイプを持ち、教団やエルフの里との関係も怠らない。
それでいて、己の実力も磨いてきた。
弓や剣は当然として、新たに開発した魔術は数知れず。
あいてむぼっくすという概念を理解するのには手間取って、大地に足を踏み締めている力がなんなのかを理解するのにもかなりの時間を要した。
夜空にいけば、その肉体は何にも縛られず、液体ですらも空に浮くという。
初めて己の手でその力を再現できたときは、感動のあまり空高くまで飛び上がったほどだ。
(お前は恐ろしくなかったのか。これだけの知識があれば、自分の末路はわかっていただろう)
長い生活でヨハンがどんな状況下にいたのか、よくわかった。
今では国家や貴族という概念があるが当時はそんなものはなく、ヴァシリが世に出て当初もまだ小さな街レベルで国が生まれてる程度。貴族はそれらの小さな街や村の主が任命され成り立ったものであり、遥か先に生まれる概念が手記に書いてあったことに慄いたのも記憶に新しい。
故に昔は力こそが正義だった。
力のある者が全てを奪い、下のものは虐げられるだけ。
成長したヨハンは相応の腕をしていたので、大人になった彼ならば家族に奪われることはなかったかもしれない。
だが人は徒党を組む生き物だ。
知識を活かすため、少しでもいい生活を手に入れようと足掻けば足掻くほど周りに弾圧され抑圧される。
ヴァシリはダークエルフの里において姫であり、また、エルフ種自体が変化に対して鈍かったことも幸いしたため、十分な準備期間を設けることが出来た。そもそも里のダークエルフ達に関しては気が付いたらヴァシリの手によって生活が発展していた、という者が大多数である。
変化は好ましくなくても、変えた方がいいなら変えてみる。
ダメなら元に戻せばいいという長寿が故の余裕によって成立したのだ。
それに比べて人類はどうだったか。
土地に固執する者。
立場に不満を抱く者。
己の権益を奪われることに怒りを抱く者。
出来上がった成果を奪いに来る者、与えられないことに憤る者……数え切れない妨害と苦難があってもうまく行ったのは、単にヴァシリの時間に猶予があったことと、その実力が既に本来の道筋から大きく外れたものとなっていたからだ。
暴力には暴力で返す。
そうして強引に解決し、世代を跨ぐことで浸透させる道を選んだ。
仮にヨハンがヴァシリと同じくらいの強さをしていたとしてもこれを成し遂げることは難しかっただろう。
だからこそ、思ってしまうのだ。
(お前は…………どれだけ無念だったんだ?)
知識があり、ある程度の道筋も理解していて、どうすればよいのか、どう動いていけばよいのかを理解していた。
それにも関わらず、周囲から理解を得られず暴力で従わされ地道に積み上げたものを奪われる。
どれだけの屈辱で、どれだけの悔しさで、どれだけ…………
(──どうして、あんな安らかに、眠れたんだ……)
ヴァシリは恐ろしくて仕方がない。
目の前で聖剣を起動した少女の屈託のない笑顔が凌辱に歪むことが、そんな少女の目の前で屈辱に塗れる未来の自分が。
魔王軍の存在はどれだけ探しても見つからなかった。
既に十年の歳月を切り、いずこかで発足しているのは疑いようもない。全て、手記に記された〈知識〉のままに世界が進んでいく。
冷や汗──否、恐怖が湧く。
(私はお前のように眠れそうもない)
呆けた表情の少女を見る。
まだ幼く道理も知らないような少女だ。
純真無垢で、穢れを知らず、野山を駆けて健やかに成長していくべき年頃の村娘。
これほど小さな肩に、ヴァシリは世界の命運を託さねばならない。
運命を変える為になんでもしてきた。
ヨハンの意志を継ぎ、いい方向に未来が進むようにと尽力し続けた。
その結果が──これだ。
己の死を受け入れ、こんな少女一人に世界を救えと命じなければならない無力さ。これだけ永い刻を費やして来たのにも関わらず末路が変わらなかった事への絶望、虚しさ、切なさ。
少女の肩を掴む。
怯えるような声を出すが、気にしていられない。
これほど恥ずべきことがあるだろうか?
こんなに小さな少女に、世界の命運を託し、あまつさえ自分が凌辱され死に至る過程を視させるなど。
『──君は、勇者になれる。
いや、ならなければならない。
世界を救える。
世界を、救わねばならないんだ』
そうするしかない。
ヨハンの遺した手記がそう告げているのだから。
────
──
────
それから家族の承諾を貰い、アリアとの生活が始まった。
元より運動が好きだった様で、運動神経は悪くない。
とはいえ身体に負担がかからない程度の走り込みでは退屈なようで、年齢相応に不満を見せることも多い。そのくらいは可愛いものだと笑って見過ごしてやりたかったヴァシリだが、彼女はこの世界で最も特別な主人公だ。
手は抜けない。
この世で最も特別でありたかった男の無念を知れば知る程、容赦は出来なかった。
意外だったのは勉強を楽しんでいたこと。
未知を知るのは面白いことだったようで、国や貴族といった枠組みや商売の仕組みなどを教えればみるみる内に吸収していった。
食事も栄養バランスというこの世界にない概念を持ち出し、何度も実験して確かめたものを用意した。日替わりで飽きがこないように毎日内容を変えた。手間だったが、この程度の事でアリアが育つのならばと手は抜かなかった。
しかし、所詮は子供。
それまでの日常から急な変化があった事と、好きに遊ぶことを抑圧された為に不満は溜まっていく。
それはヴァシリも把握していた。
だが、どうすることもできない。
〈聖剣〉を起動した勇者は覚醒し、魔王軍幹部と渡り合えるようになる。
ヨハンの手記にはそう書かれていた。
走り込みをさせている最中は軽く走れと伝えているし、普段から昂って物を壊すようなことはしない。年齢にしては落ち着きがあり、上昇した身体能力を見ることはなかった。
だが現実としておそらくそうだ。
聖剣を気軽に振り回したことも、無自覚に身体能力が向上していたのだろう。
自覚させるにはまだ早い。
それを自覚させては、力の制御が出来なくなりまともな修行も出来なくなってしまう。そうなれば五年の歳月に間に合わないかもしれない。死を覚悟してから時の短さというものを痛感したヴァシリは、長命種にあるまじき焦りと慎重さを持っていた。
だから十分に彼女を慈しんでいた──だが、子供であることは、忘れてはならない。
家から抜け出したアリアが、村で少年を撥ねた。
慌てて駆け付けたヴァシリが見たのは、脚が折れ、腕が千切れ、身体を痙攣させ泣き叫びながらアリアから逃げる姿だった。
『あ、あ、あ、ああああああああああッッッ!!!!??』
『……ひ……ゃ、え、あ、なん、で……』
『わあああああああッッ!!! うううううううっ!!!?』
凄惨な殺人現場にしか見えなかった。
返り血を浴びたアリアが呆然と何かを呟きながら胸元を抑え、浅い呼吸を繰り返す。
その視界の先に、欠けた腕や折れた足をもがき必死に這いずる少年。
──地獄のような光景だった。
長い生の中でも、稀に見るような。
即死は免れたことで少年は回復したが、子供たちが心に負った傷は深い。
アリアはそれ以来食が細くなり日々の勉強や走り込みも十分に行えず、夜は魘されるようになった。
『くそ……どうすれば……』
ヨハンの手記にそんなことは書いていない。
変わらなくていいことばかり悪い方向へ変わるなと愚痴り、取り返しがつかないことをしたのではないかと考え込むようになった。
どれだけ知識があっても人の心まではわからない。
そんなことわかっていたのに。
わかっていなければならなかった。
他ならぬ〈転生者〉が孤独に逝ったのだから。
アリアのことは少女だとわかっていた筈だ。
だがそれ以上に、彼女が〈主人公〉であるという事実がヴァシリに油断させた。
『このままアリアが塞ぎ込んでしまったら……ダメだ、ダメだダメだ! それだけは、なんとしてでも……』
両親に会わせる?
この状態の娘を見せてどうする。
罵られるならばいいが、信頼関係を全て失う可能性がある。三千年の積み重ねが無に帰す。犯される。弄ばれる。殺される。世界が滅ぶ。
『…………おえっ』
──そうだ。
ヴァシリは最早、ただ己の運命と戦っているだけじゃない。
ここに至るまでの三千年、無念のままに死んだ転生者の意志、この世界を地獄から救い出すために沢山の事を積み上げてきた。
今更戻れない。
今更変われない。
一番間違えてはいけない時に、間違えた。
込み上げてきたのは吐き気だけではなかった。
アリアと同様、ヴァシリも眠れない夜を過ごしている中、一人の少年が訪れた。
寝込んだアリアへ見舞い──というわけでもなく、ヴァシリに用があるそうだ。
珍しいこともあるな、と疲れた脳で考えながら顔を合わせた彼女は、その少年に見覚えがあった。
(……先日の。アリアの幼馴染か)
すっかり五体満足になった少年は、怯えた様子もなく、それどころか寧ろ若干高揚した様子で話す。
『はじめまして、フィン・デビュラです』
『あ、ああ。ヴァシリ・ヴァルバロッサだ』
──この時、ヴァシリは既に名を変えていた。
理由は単純、〈知識〉の自分とは違うのだと抗いたかったから。
(一体何を言われるのやら。内容によっては私への恨み言に誘導する必要もあるな……)
アリアが嫌われる様なことにはなって欲しくない。
少女を修羅の道に引き摺り込んだ張本人として、そこは譲るつもりが無かった。
覚悟して待ち受けていたのだが──フィンは、思いもよらぬことを口にする。
『おれもああなりたい』
『…………うん?』
『おれも、アリアみたいにすごくなりたい。むり?』
『…………そう来たかぁ~~……』
ヨハンの手記に、フィン・デビュラという名前はない。
ただ、いつかの未来でこの少年がアリアに対し、理不尽な言い分を基にした凌辱を行うことがあるとだけ仄めかされている。
(……それくらいは、アリアと共に潰してもいいか)
見る限り、ただの少年に過ぎない。
ただあれだけの大怪我をしておきながら恨み言や憎しみ、恐怖ではなく『アリアみたいになりたい』と言いに来るのは相当の度胸。子供ながらにそこは凄いなと思ったヴァシリは、なんとなく、受け入れてもいいかと思った。
(将来敵になるかもしれないのなら、今の内に仲間にしてしまえばいい。どの道、アリアをなんとかせねばならないしな)
大した理由ではない。
将来の敵を一人帰れるならそうしよう──その程度の考えで、ヴァシリはフィンも一緒に育てることにした。
アリアが元に戻ればいいという打算を本命にして。
ただそれだけだった。
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