04 【聖撃の聖女】マリアンヌ・ハイレンディーヌ
生まれて初めて、一人の人間を支えたいと思った。
その人に愛が届かないのなら、その人が救われないのなら、生きている意味はないと思った。
【聖女】というガワで蓋をしたマリアンヌ・ハイレンディーヌの内側はなんてことはない、一人の男を想うただの女であった。
マリアンヌは孤児だ。
親の顔も知らず愛も知らないが、代わりに愛してくれるシスターに育てられた。
孤児院での生活は決して豊かなものではなかったが、精神的な貧しさとは無縁だった。
それはひとえに、愛を惜しみなく注ぐ母がいたから。
傷付けないように優しく接しながら、やってはいけないことをしたらダメなことはダメだとしっかりと言い聞かせ、叱った後にはどれだけ愛しているかを説いた。
生まれてきてくれてありがとう。
私の元に来てくれてありがとう。
孤児院に居る子供は誰もが親の愛を知らず心に傷を持っている。
大人を信じられず、自分が傷つけられることを酷く恐れる。
自分の子供でもない孤児を愛すると言葉にし信じられるようにまで言い続け行動するのは簡単ではない。
ある日、夜に目を覚ましたマリアンヌが用を足しに行った時のことだ。
暗闇を歩くのが怖かった彼女は、シスターに一緒に来てもらえないかと考え恐る恐る広間へ向かった。
そこで彼女は見た。
シスター、母がぎゅっと体を抱きしめながらハーブティーを飲んでいる姿を。
孤児院のハーブティーは朝に摘みそれを一日使うため、後になればなるほど味は薄まる。こんな時間に飲むものなど、ただの湯と何も変わらない。
声をかけたマリアンヌは、ビクリと体を震わせた母に驚いた。
『し、シスター……ごめんなさい。トイレに、行きたくて……』
『あらあら。怖くなってしまったの?』
『うん……』
『いいわよ。一緒にいきましょ』
彼女は何も言わなかった。
そして普段と何も変わらない様子で共にトイレまで赴き、マリアンヌを寝かしつけた。
彼女が知る限り、子供達はお腹いっぱい食べることはできなかったが餓えることはなかった。
シスターが自分の分も子供達に分け与えていたからだ。
マリアンヌは親の顔を知らず、愛も知らない。
ただ、母という存在は知っていた。
母の愛も、知ることができた。
だからその愛を、同じような誰かに注いであげたいと思って、母と同じ道を選んだ。
──愛されぬ者に無償の愛を。
それこそが、孤児院で大切に育てられた自分が世に送り返せることだと信じているから。
────だが、決してその道は楽なものではなかった。
シスターの知り合いだという神父に預けられたのはいいものの、身分も低く文字の読み書きもできないマリアンヌは雑な扱いを受けた。
寝床は狭く、私物はほとんどない。
食事や衣服は保証されたが、それが他のシスターからは反感を買った。
教団も綺麗事だけでは回らない。
貴族から多大な献金を受けているし、表には出せない商売もやっている。
必死になって集めた金を使い世界中で孤児院や炊き出しなどの慈善活動を行っているのに、金を一銭も出しておらず後ろ盾もなく文字の読み書きすらできない小娘一人を育てなければならない。
少なくとも、他の娘たちはそう思った。
皆貴族や富豪の娘が箔付けとして来ているか、高名なシスターや司教の関係者で十分な後ろ盾を持つ者ばかり。
金を出しているからこそ支援を受ける権利がある。
そう主張することを教団側も止められず、やむなしとして受け入れていた。
機嫌を損ねて献金をやめる、などと言われてはたまらない。
それならばいっそのこと、なんの後ろ盾もない小娘一人に集まるのならば……
つまるところ、マリアンヌはシスターとしての修行を積む間、虐めを受けながら育った。
それでも彼女は挫けなかった。
世界が理不尽やどうしようもない恐怖で満ちていることは知っている。
誰も守る人間が居ない状態で生きていくことの難しさも思い知った。ならばこの経験をもって、更に多くの子を救ってあげることができる。
ある種、諦めがある状態で育ったからこその思考。
親の愛がいくらあっても現実的に望めないことはある。
そう学んでいるマリアンヌにとっては全てが試練。
簡単に母のようになれるとは思っていない。
だから──冒険者登録を行い現場で治癒の力を磨いて来なさいと、体よく修道院を追い出された時。
あんな奇跡のような出会いがあるとは思っていなかったのだ。
──―
──
──―
「久しぶりだな、マリアンヌ。我が愛しの娘よ。よくぞ戻った」
「お久しぶりです枢機卿。お元気そうでなによりです」
フィンと抱擁を交わした翌日、マリアンヌは王都神殿を訪れていた。
かつては戻って来ることすら許されなかったが、今の彼女は押しも押されぬ聖女の一角。それも、世界に十人といない聖女の中でも上位の序列に位置する。
そんな彼女に以前までの態度を取ろうものならばその者は即座に消される。
当然、マリアンヌを虐めていた者はここにはいない。
実家に戻ったか、余計な口を挟む前にどこかへ行ったか。
その行く先を知るのはこの枢機卿だけであり、マリアンヌも知る気はなかった。
「お前を冒険者ギルドに放り出して五年。まさか聖女にまで至るとは思っていなかったが、よくもまあそこまで磨き上げたものだ」
「仲間に恵まれましたから」
実際、修道院時代のマリアンヌはとてもではないがいい出来ではなかった。
貴族家出身の娘は幼い頃から魔力を扱うことに慣れており、教団関係者を身内に持つ娘は始めからそう言った技術を身に付けているから苦労しない。文字の読み書きから始めたマリアンヌが出来損ない認定されるのは必然であり仕方のないことだった。
「放り出した我らに復讐しなくていいのか?」
「なぜですか? する必要がありません」
マリアンヌにとって己の境遇は仕方ないもの。
確かに他者が優しければもっと楽に生きられたかもしれない。
だがそれは他人へ施しを強要することになる。
他人へ施しを行うことの難しさは知っている。
母として慕うシスターがどれだけの覚悟をしていたのかを知っていれば、そう簡単に言えるわけがない。
「あの時点の私に素質はなく、恵まれぬ者に救いをと大きな願いを抱いているだけの愚か者でした。そうなるのは当然です」
己がすることは己で決めたこと。
強要はしない。
無償で与える愛も、自分がやりたいからやっている。
母に与えられたように、私も誰かを愛して一人でも救いたいから。
「……あまり良い日々ではなかっただろう」
「それに対し思うことはありませんよ。そんなことよりも枢機卿」
マリアンヌにとって過去は過去。
それも今の自分にとってどうでもいいこととなれば気にする必要もなかった。
難しい顔をする枢機卿の言葉を遮り、己の目的を告げる。
「あなたの力をお借りしたいのです。具体的には、第二王女を囲い込んでください」
「シャルロット第二王女か? 確かにあの娘は
「可能ですよね?」
「出来る。だが、なぜだ?」
先程までの声色とは打って変わり、枢機卿は目を細め喉を鳴らした。
「王位継承権に関しては王太子派が圧倒的に優勢。第二王子を除き弟妹は王太子派に属している上に第二王女は閥がない。官僚も、軍部も、地方閥すら関わっていない王女であるだけの娘だ。囲い込むことは可能だが、利がない」
「利ならあります」
「なんだ?」
「私が……いえ。金等級冒険者パーティー【払暁】が第二王女閥に参加します」
「……なんだと!?」
思わず、と言った様子で枢機卿は椅子から立ち上がる。
それに対しマリアンヌは微笑を浮かべたまま続けた。
「『金等級冒険者パーティーと親しい王族』……そうなれば彼女を囲い込む価値は足りるでしょう?」
マリアンヌは世界に十人といない【聖女】の一人。
教団にとっては貴重な人材であり、また、気軽に扱うことの出来ない戦力だ。
世界に広く普及する教団における最高戦力だと言えばその価値は計り知れず、いかに枢機卿と言えども好きに命令することは出来ない。機嫌を損ねて別派閥に移られればそれだけで失脚間違いなしだ。
(今でもマリアンヌは十分に聖女として役立ってくれている。まともに言うことを聞かん聖女がいることを思えば満点をやってもいい)
慈善事業なんか知らねーよと言い放ち男漁りをする聖女とは名ばかりの女を知っている枢機卿からすれば、マリアンヌはこれ以上特に望まなくともよい程には貢献してくれている。
(こちらからすれば聖女どころかパーティー丸ごと使えるようになるのはあまりにも得。一体何が望みだ……?)
枢機卿──エクトル・ハイレンディールは出世欲は強いが下種外道の類ではない。
あくどい手段は極力使ってこなかったし、築いた人脈も各地に足を運び汗水流して構築したものばかり。
マリアンヌを育てたシスターも特に名が知れたわけではないが、心の底から子供のことを愛することが出来る貴重な人材だと把握し手紙のやりとりをするくらいの仲は保っていた。
だからこそ思う。
これまで『聖女そのもの』と言っていいことばかりしてきたマリアンヌが、第二王女と関係を持とうとする理由はなんなのかと。
(王家に取り入るつもりか? 一体なぜだ? 王太子は見てくれも悪くないし無能でもないが……)
これほど己を捨て博愛に満ちていた女が、今更あの程度の男を求めるのだろうか?
一国の王など、聖女の称号に比べれば大したことはないのだ。
エクトルとマリアンヌは父娘の関係ではあってもあくまで養子関係に過ぎない。
冒険者登録をする際に最低限の関りは持っていた方がいいと養子にしただけだ。実際に父と娘だとは互いに全く思っていない。
だからわからない。
【聖撃の聖女】が何を求めているのかが。
「…………一つだけ聞きたい。これさえ教えてくれれば、第二王女をこちらへ引き込むのも容認しよう」
「なんでしょうか?」
「マリアンヌ。お前は何を得たい?」
力の及ぶ範囲で協力することはやぶさかではない。
枢機卿の地位に立てたのは間違いなくマリアンヌの功績である。
そんな彼女が望んでいる上に、無茶な内容でもない。
だから受けるのは構わない。
ただ、目的を知らねば歩む方向を合わせるのも難しい。
そう思い、尋ねたのだが──問われたマリアンヌはより一層笑みを深めるのと同時に、その身に宿した莫大な魔力を滲ませた。
「──っっ……!?」
(なんだ!? なにが地雷だった!!? 聞いたことが間違いだったのか!?)
冷や汗を流し焦るエクトルに対し、マリアンヌは慈愛に満ちた笑みを浮かべたまま口を開く。
「枢機卿。私は何も変わっていませんよ」
「願っていることはいつも同じです。愛されぬ者に無償の愛を」
「ただその願いが届かない方がいらっしゃいます。とても近くにいるのに、とても遠い場所にいる。このままでは彼を救うことが出来ないとわかったんです」
「だから────私は彼を救うんです。聖女として。マリアンヌとして。一人の女として。全身全霊を賭けて、私の全てを使って……!」
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