6-3
◇
夏休み、二十日目。
その日、俺はまた"悲しい話"を聞いた。…それが原因なのか、今日は…黄昏の国に行こうと思った。
天は今日も雨模様で、小雨がパラパラと降り注ぐ。小次郎は家にお留守番させ、俺一人で入口である鳥居の前まで行く。
すると…そこにはすでに、野田さんがいた。
「…あっ、山吹君。」
「…野田さん。」
二人して、それに気付いて少し無言で見つめ合う。…で、どちらともなくその鳥居を潜った。
黄昏の国へ入ると、相変わらずこっちの世界は嘘みたいにオレンジ色の空が広がる。雨も降ってない。…現実から、逃げたみたいだ。
「…今日は、どこに行こっか。」
野田さんがそれを尋ねた。俺は少し間を置いてから彼女を見る。
「…死にそうになってる命がいる場所を、一つ知ってる。…行くか?」
それを言うと、野田さんは少し驚いたように目を大きくさせる。が、彼女は少しの
「…行こう。」
…それを聞いて、俺は案内の為歩き出す。俺の表情から、多分野田さんだって察している。
…"それ"はきっと、今回も…救えない命だって事に。
◇
俺が案内したそこは、うちの親父が営む動物病院。
そこはこっちの世界では無人の建物になっていて、そのドアが来院のベルを鳴らしても…誰からの反応もなかった。
無言で病院内を進む。野田さんも同じく無言で着いてくるが…その先の、診察室のさらに奥の部屋にあった一つのゲージを見て息を呑んだのが分かった。
そこには、ゲージの毛布の中でぐったり寝そべっている…一匹のミニチュアダックスがいた。
「…こいつは、前からうちに通院してたダックスでさ。免疫疾患を患ってんだ。」
そのゲージの前まで行って、中のダックスを眺める。
「色々と治療をしてんだけど、中々よくならなくてさ。」
…ステロイド治療でも、一向に良くならなくて。外科的な手術をしようにも、その為の体力も戻らなくて。
…そして今日、検査して出た数値は…"覚悟の必要がある"と判断される結果となった。
「…今日は午前診だけで、午後からは休みの日だったけど…その子の為に、親父が色々と頑張っててさ…飼い主も、ずっと病院で付き添っててさ…。」
…でも、もう、その時がくる。
中で眠ったようにしているダックスも、それを分かっているかのようだった。
…これも、救えない命。
どうして、こんな命ばかり。無力感に
「…こんにちわ。お名前、なんて言うのかな?」
ダックスに、優しく話しかける彼女。すると、ダックスはその瞼を開く。
『…僕は…"カワイイダイスキイイコココ"だよ。』
…と、喋った。いや、この黄昏の国では動物も話す事が出来るってのは前に経験済みだから今更驚かないけど。
でも、いや、…なんて?それは野田さんも同じで、困惑しているみたいだ。
「…えっと…もう一度、教えて?」
『"カワイイダイスキイイコココ"、だよ。』
…んなわけあるか。
『…アイナちゃんが、僕をそう呼ぶから。それが、僕の名前。』
"アイナちゃん"。多分、飼い主の名前。
そう語るダックス。…それを聞いて、俺も野田さんも理解した。
…カワイイ。ダイスキ。イイコ。…の、"ココ"。
『…でも、縮めて"ココ"って呼ばれてるんだ。』
「…そっか。素敵なお名前だね。」
『うん。僕も、この名前だいすき。呼ばれると、嬉しくなるんだ。』
と言って、寝そべりながらも嬉しそうに尻尾を振るダックス──ココ。
…どれだけ愛されていたかが、それだけで伝わる。カワイイ、ダイスキ、イイコ。沢山、言われてきたんだろう。
「ココ…君?で、合ってるのかな?」
「…あぁ、確かオスだったよ。」
屈んだまま俺を見上げてそれを尋ねる野田さんに、俺も頷いて返す。
「…ココ君。…生きるのは、しんどい?」
優しく、それを問う野田さん。ココは、"くぅん"と鳴く。
『…最近は、身体があつくて、でも寒くて、ボーっとして…しんどいよ。』
「…そっか。もう、生きるのは…嫌?」
…人間なんかが、その辛さを察してあげることは出来ない。野田さんは、あくまでも優しく問い続ける。
『…嫌じゃないよ。アイナちゃんと一緒にいられるだけで、僕幸せなんだ。まだまだ、一緒にいたいんだ。』
「だったら──!!」
思わず声を上げる野田さん。でも、ココはまた"くぅん"と鳴く。
『…でもね…僕の身体がおかしくなってから…アイナちゃん、よく悲しい顔をするようになったんだ。』
…犬の表情なんか、分からないけれど。それを語るココは、とても寂しそうに見えた。
『…僕の為に、たくさん病院に行くようになって…僕の為に、お仕事もたくさん休むようになっちゃって…。』
また、ココは辛そうに"くぅん"と声を漏らす。
…愛されているのが分かるからこそ、それが辛い。ココと飼い主…どちらも辛いからこそ、何も言ってやれない。
『…僕、アイナちゃんが悲しい顔するの…嫌なんだ。アイナちゃんが、僕の為に辛そうな目をするの…嫌なんだ。』
…ココは、振っていた尻尾を止める。
『…僕、たくさん迷惑かけちゃったから。…もう、いいんだ。』
…諦め。ココは、生を諦めていた。
…そもそも、ココの意志がどうであろうと…病気には抗えないんだけど…それでも、その姿は…どうしようもなく、悲しい影を生む。
…沢山迷惑をかけた。そりゃ、その通りだろう。辛い思いをさせてるのだって、そりゃその通りだろう。
でも、そうじゃない。そうじゃないんだ。…それを、伝える方法が…俺には──
ガシャァン
と、そのゲージを叩く音がした。驚いて見ると、野田さんがココのゲージに両手をついていた。
「…ちがうんだよ…。」
彼女は、その両手を震わせている。
「…悲しいとか…辛いとか…迷惑とか…そんなの、当たり前なんだよ…。」
その声も震えていて、彼女は床にポタポタと雫を溢す。その涙を見たココは、その瞳を凝視する。
「…それでも…生きてほしいんだよっ!!それでも一緒にいたいんだよっ!!」
…野田さんの、心からの声。咆哮とも言えるそれに、俺もココも釘付けになる。
「…もし…君が、本当に辛くて…しんどくて…生きるのが嫌なんだったら…何も言わないよ…」
野田さんは、そのゲージを強く掴む。
「でも…もし、君だって…もっと一緒に、生きたいって…思ってるんなら…!」
涙をボロボロと溢しながら、彼女はココを真っ直ぐに見据えた。
「──"もういい"なんて、言わないでよっ!!」
…初めて聞いた、彼女の大声。それは、感情を乗せた心の叫び。
「…だってあなたは…"カワイイダイスキイイコココ"…なんでしょ…?」
…ボロボロと流れ落ちる涙。それと同じように、野田さんは視線を落として項垂れる。
ゲージを掴む手も落ちて…その拍子に、ココのゲージの扉が開いた。
…ココは、ゆっくりその身を起こす。
それから、よたよたと歩いて…野田さんの前まで。その流れる涙を、ペロペロと舐めた。
野田さんは顔を上げ、彼女と目が合う事で…ココは嬉しそうに尻尾を振った。
『…ありがとう、お姉ちゃん。』
ご機嫌そうに、舌を出しながら。
『…僕、頑張るよ。もっと、生きる為に…アイナちゃんと一緒に…また、アイナちゃんに──』
わんっ、と、元気よく吠えるココ。
『──"カワイイダイスキイイコココ"って、よんでほしいからっ!!』
…俺にはそれが、笑っているように見えた。
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