第六話 もういいなんて、言わないで

6-1

 夏休み十八日目。

 その日は、雨が降っていた。


 雨の日は、小次郎の散歩ルートは変わる。犬用のレインコートを着せて、なるべく泥がつく地面のない道を選び、ルートを短縮した散歩道。いつもの半分以下で終わる散歩を経て、帰宅した俺は濡れた小次郎をタオルとドライヤーで乾かす。


 …野田さんは、今日もあそこにいるんだろうか。今日は散歩ルート的にあの公園を通らなかったから、分からない。

 そもそも別に約束をしているわけではないから、そんな事を気にする必要ないんだけど。でも、気になる。


「…俺、ちょっと散歩行ってくるわ。」


「えっ、今帰ってきたとこじゃんおにぃ。」


 また玄関へ向かう俺に、怪訝そうな顔を向ける空。

 …野田さん。昨日の"アレ"があったせいで…なんか…今、一人にさせたくない。



 駅前の運動公園、その並木道を歩くと…その先に、傘を差した小さな影を見つけた。

 その影は、俺が近付く足音を耳にするなりこちらを振り返る。


「…山吹君だ。今日はこないのかと思ってた。」


「…野田さんこそ。」


 野田さんは、そう言っては無表情で傘をくるくる回す。…まるで俺と会えて喜んでるみたいな、そういう妄想を膨らませてしまう仕草。


「…いこっか。」


 そんな俺を気にする事なく、彼女は歩き出す。俺も、それに続いた。

 昨日のことは、お互い口にはしていない。



 ポツポツ降り注ぐ雨の中、雑木林を抜けて鳥居の前まで辿り着く。野田さんは躊躇う事なくその鳥居を潜る。

 俺もそれに続き、鳥居へと足を踏み入れ──その抜けた先は、いつものオレンジ一色な世界。でも、何故かそこではさっきのような雨はなかった。


「…あれ?こっちだと雨降ってねぇの?」


 傘から腕を出してそれを確認する。


「黄昏の国はいつも晴れだよ。」


 そう言って、野田さんは傘を畳んで歩く。…なるほど。ここじゃ雨は降らないのか。そりゃ過ごしやすい世界な事で。とりあえず俺も傘を畳んで、歩き出す。



 今日は、この黄昏の国に入った時間がいつもより遅かったから…そんなに探索できる時間はない。だから俺と野田さんは、駅前の大通りの防護策の上に座ってボーっとその茜空を眺めていた。


 …お互い、何も言わなかったけど…多分、同じ事考えてるような気がする。

 昨日、救えなかった命。いや…救えなかったって表現は、多分違うんだけど。

 でも…その命の終わりを、目の当たりにしたそれは…俺たちの"自信"を、揺るがせる。


「…今日ね。おばあちゃんと、写真撮ったんだ。」


 そんな中、隣に座る野田さんは呟く。


「…私と、おばあちゃんと、ラッキーと。奏さんが撮ってくれた。」


 と言って、野田さんは自らのスマホを操作してその画面を俺に見せる。そこには、ベッドの上で微笑むおばあさんと、その上で丸まる黒猫のラッキーと…笑顔を浮かべる、野田さんの写真が。


「…いい写真だな。」


「うん。元気になる。」


 …幸せな家族。多分それは、間違いない。

 …その終わりが、すぐ近いからこそ…その写真からは幸せと同じくらい…悲しみが滲んでいる。


 それから、また二人は黙り込んで空を見上げる。そうしていたら…突如として、空がホワッと光った気がした。

 その光を凝視していたら、それは一筋の光の球となって…俺たちの目の前の大通りの道路へと落ちる。


 その落ちた光は、次第に形を変え…人の姿となって、そこに大人の男性を出現させた。


「…えっ…な、なんだ…?」


 それを目の当たりにして、少しビビる俺。

 が、焦っているのは男性も同じようで…男性はキョロキョロと不安そうに辺りを見回していた。それから俺達と目が合う。


 …多分、この世界に迷い込んだ生死を彷徨う…"あっち"で死にかけている命。

 俺と野田さんは顔を見合わせてから、二人してその男性に手を振った。そうする事で男性はこちらへと駆け寄る。


「えっ、と…オレ、ちょっと混乱してて…ここ、何…?」


 俺たちの前に着くなり、そう溢す男性。まぁ、そりゃそうだよな。

 俺と野田さんはまた顔を見合わせ…こくりと頷き合う。今度こそ、救おう。


「…えっと、ここはですね──」



 …とりあえず、簡潔にこの世界と…その男性がどういう状態にいるのかの説明をした。それを聞いた男性は、ポカンとしている。

 …分けわかんねぇよな、そりゃ。でも、理解できてなくても話を聞かなくては。多分時間はそうないんだから。


「えっと…だからお兄さん、なんで自分が死にかけてるのか覚えてます?」


 俺がそれを問うても、男性はまだ放心している。が、次第にその表情は崩れ…悲しそうにフッと笑った。


「…そうか…そうだよな。はは、やっぱ、そういうことだよな。」


 そう呟いて、男性は力無くその地面に尻を落とす。

 野田さんは膝を曲げて屈み、再度男性に尋ねた。


「…あなたが死にかけてる理由が分かれば、私達が助けてあげられるから。だから、教えて──」


「…無理だよ。」


 それに対して、男性はきっぱりと言った。


「…俺さ。トラックのドライバーしてて…今さっき、そこで事故ったんだよね。」


 そう言って、男性は駅前の大通りの道路を指さす。


「…雨で、車も人もいつもより少なくて…気ぃも緩んでたんだろな。突然目の前に、子供が飛び出してきてさ…」


 "ついさっきの出来事"を、男性はゆっくり語る。それから、その刺す指は道路の中央分離帯へ。


「…焦って避けて、そしたらそのまま…あそこに正面から突っ込んじゃってさ。」


 …それを聞いて、息を呑んだ。…たまにニュースとかで聞く、痛ましい事故の光景。それをイメージしてしまったから。


「…子供は避けれたけど…他の人、巻き込んでないと、いいな…。」


 …自らが起こした事故。自らの身に起きた悲劇でも、他を案じている男性。

 それは、まるで…自分の身はもう、諦めているような声だった。だから、野田さんは男性の肩を揺さぶる。


「だ…だったら、こんなとこいちゃダメだよっ!急いで目を覚まして、お兄さんも生きて──」


「…意識失う前に、自分の姿を見たよ。」


 力無く項垂れながら、男性はまた笑う。


「…ありゃあ、生きてる命の形…してなかったって。」


 …俺はとっくにそうだったけど、野田さんもそれを聞いて言葉を失う。


「…あんた達の話が本当だとしたら…俺まだ死んじゃいないって事みたいだけど…なんで即死してねぇのか、不思議なくらいだよ。」


 …俺たちの前に現れた、その死にかけの命。

それは察するに、本当に今さっきの出来事なんだ。

 …本人がここまで言っているんだ。多分、残された時間は…。


「…何か、してあげられねぇかな…?」


 俺は、力無く地面に座り込む男性にそう呟く。


「…助けて、あげられない代わりに…アンタに、何かしてあげられねぇかな…?」


 それを問うと、男性はキョトンとして俺を見上げる。それから、優しく微笑む。


「…お別れを、言いたいな。」


 

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