5-3
◇
その日の夕方、いつものように俺と野田さんは黄昏の国へ。
今日もとりあえず、駅前の散策を。門限的に、あまり遠くまでいけないからこの周辺ばかりになる。
…そう考えたら、駅前で死にかける奴なんかあんまりいないのかなぁ。
「今日、おばあちゃんと何話してたの?」
歩きながら、それを野田さんに問われた。
「…えっと…野田さんのこと、今後ともよろしく、的な話。」
「…なにそれ。」
変に隠したのがバレたのか、野田さんは目を細めて俺をジッと見る。…だから俺は、"それ"を口にした。
「…野田さん。おばあさんに、さよならを言う準備は…してんのか?」
…彼女の心に踏み入った問い。野田さんは歩を止める。俯いて、黙り込んでしまう。
…怒らせたかもしれない。でも、それでも。俺は、彼女には後悔してほしくないから。
「…私は、まだ──」
彼女はその顔を上げて、俺を見る。怒りと、悲しみと…それらが混じり合った瞳。それを向けて、放つ言葉は…止まる。
野田さんの視線が、俺の背中の向こうを見ていた事に気付く。
「…人がいる。」
そう呟いた野田さんは、また歩き出す。俺もそれについて行く。
その先は、駅前の大きな病院。そこの建物の前に…一人の見知らぬお婆さんが立っていた。
「…こんばんわ、おばあさん。」
近くまで寄り、野田さんはお婆さんに声を掛ける。するとお婆さんもこちらに気付く。
「あらあらまぁまぁ、お若い二人。こんなところでどうしたの?」
お婆さんは気の抜けたような声を出す。俺はゴホンと咳払いをして、いつもの説明をする。
「お婆さん。ここは黄昏の国っていう…生と死の狭間の世界なんだ。つまり、お婆さんさんは──」
「天国へ行こうとしてるって事だろう?知ってるよ、それは。」
俺の解説に被せて、そんな事を言うお婆さん。
…し、知ってるのか…いやまぁ、知ってると言うか、察してるというか。
「…ちなみにお婆さん、なんで死にかけてるんだ?」
それを問うと、お婆さんは可笑しそうに笑う。
「そりゃあんた、老衰、ってやつさ。」
「…そう、か。」
それを聞いて、俺はそれ以上言葉を続けれなくなる。
…老衰。確かに、死にかけの命だ。…でも、これは…。
俺とは違い、野田さんはそのお婆さんの手を取る。
「じゃあお婆ちゃん、元の世界に帰らなきゃ!帰って、目を覚そう!」
手を取り、ぎゅっと握る。その言葉は、希望に満ちている。
「病院の前にいたってことは、向こうの世界でもここの病院にいるのかな?じゃあ私達が戻って、頑張れって声をかけてきてあげる!ね、山吹君!」
前向きなその瞳が、俺を見る。でも俺は、頷いてやれなかった。
…老衰。これは、
「…お嬢さん。」
お婆さんは、野田さんが握る手に自らのもう一方の手を重ねる。
「…私はね。もう、さよならをしてきたんだよ。だから、もう大丈夫なんだよ。ありがとうねぇ。」
そのお婆さんの表情は、満ちていて。満ち足りていて。もうただ、"その時"を待つだけの、そんな顔をしていた。
でも、野田さんは首をぶんぶんと横に振る。
「だ、大丈夫じゃないよっ!死んじゃうんだよっ!?お婆ちゃん、まだ生きて──」
震える声で、否定する野田さん。そんな彼女を、お婆さんは優しく抱き寄せた。
「…自分の人生が、幸せなのかどうかってのはねぇ…最期の時まで、分からないもんなのさ。」
お婆さんは、野田さんの背中をさする。
「幸せなつもりでも…確証がなくて…だから、皆必死に生きて、幸せのピースを拾い集めていくんだろうねぇ。」
野田さんの背中は、小さく震えている。それを、あやすようにお婆さんは包む。
「…そしてね。私には、"その時"がきたんだよ。」
お婆さんは野田さんから身を離し、彼女を見てニッコリと微笑む。
「…私の人生は、たいへん幸せでした。」
…嘘偽りのない言葉。そのお婆さんの事を何も知らない俺たちでも、それだけは分かる。
「…さよならを言う事で、私はそれを確信出来たんだよ。…こんな幸せな最期、あるんだねぇ。」
…野田さんは、その肩を震わせる。何か言いたいだろう言葉も、お婆さんの表情を見ては出せずにいた。
「…なんで…そんな…悲しいこと、言うの…?」
絞り出したような、震えた声。それを聞いたお婆さんは、分かったようにまたニッコリ微笑む。
「…お嬢さん。さよならは、悲しい言葉じゃないんだよ。」
…途端、お婆さんの体が淡く光り始める。それは、ふわりと優しい光。
「…おや。そろそろみたいだね。これで、あの世にいる爺さんにも会えるねぇ。」
その光はお婆さんを優しく包む。
消える。それが意味するのは、つまり…。その前に、お婆さんは俺たち二人を見た。
「…お二人も。幸せだったって、言えるようにね。」
◇
…鳥居を潜り、元の世界に帰った。
夕暮れ時。カラスの鳴き声と、蝉の音。リードの先から聞こえる、小次郎の息遣い。
俺と野田さんは無言で、その歩を進める。
…救えなかった。…いや、でも、あれは…救う必要がなかった命。幸せで、それを締め括った命。
でも、何故か、俺たちに大きな喪失感を残す。
「…山吹君、さ。」
先を歩く野田さんが、背を向けたまま呟く。
「…さよならを言う準備、してるかって…聞いたけどさ。」
…俺がした問い。その答えを、彼女は口にする。振り返り、微笑む野田さん。
「…さよならには、まだ早いよ。」
…その笑みは、今にも壊れてしまいそうなものだった。
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