3-3


 夕方、また俺は小次郎の散歩という名目で…野田さんと共に黄昏の国にいた。


 今みたいな夏の時期だと、黄昏の国に入れるのは大体18時過ぎからみたいだ。

 19時が門限だとしたら、おおよそ1時間がここに滞在できる時間って事になる。


 その1時間内で、可能なところまで遠出をしてみよう…という話になった。

 今日からの目的は、ここに迷い込んだ命…"あちら"で死にかけている命を救うこと。

 まぁ死にかけてる命ってのは、どれくらいの頻度で現れるもんなのか分からんから意気込むって程のものではない。


「そういや、まだ俺は野田さんの言ってた"管理人"って奴に会ってねぇな。」


「そうだね。私も滅多に会わないし。普段は別のところにいて、ここへはたまーに様子を見に来るくらいなんだって。」


 …会ってみたい、とは思わんけど。でも、実際会った野田さんが追い出されもせずこうしているってことは、割とフリーダムな奴なんだろう。


 夕暮のオレンジに染め上げられた道を歩き続けると、ようやく駅前の大通りを抜ける。ここからは、住宅がちらほらと立ち並ぶ道。


「私ね、自分は誰の世界にも干渉しちゃいけないんだって、思ってたんだ。」


 唐突に、野田さんは語り始める。


「お父さんは、他の女の人と不倫してたらしくて…それで離婚しちゃったんだけど、なんでかお母さんはそれを私のせいにしててね。」


 …でもそれは、明るくない話。黄昏の空とオレンジ色の景色のせいか、悲しさが増して聞こえる。


「私がいるからダメだったんだ、とか。私がいなければ、お母さんの人生は上手くいってたんだって。」


「…それは、違うだろ。」


 全く事情なんか知らないけど、それを否定する事はすぐに出来た。それに対して、野田さんは可笑しそうにクスリと笑う。


「だね。私も、そう思う。…でも、幼い頃からずっと言われ続けてたから…私って、邪魔者なんだなぁって…この世界にいちゃいけないんだなぁって、思うようになっちゃって。」


 …フィクションの世界では、それなりに聞いたりする話。子供の頃の親からの扱いで、自分自身の扱いすら変えてしまうという…悲しい話。


「だから、私は誰とも、何とも関わらないように生きてたの。きっと誰かの邪魔になっちゃうから。」


 だから彼女は、いつも独りだった。それは彼女がそういう性格で、自ら望んでのこと。でも、多分、その口ぶりからして──


「実際、私ってあんまり周りからよく思われてないらしいし。いっそ、消えてしまいたいなって思ってた。」


 …男子からはともかくとして。女子からは確かに、"邪魔者"という扱いだった。


「そんな時、ここ…黄昏の国を見つけたの。ここはさ…だーれもいなくて、なーんにも迷惑かけなくて…ずーっと、独りでいられる。」


 と言って、野田さんは視線を空へ向ける。それはオレンジに染まり、儚げに輝く。悲しみに暮れた、黄昏色。


「…誰の邪魔も、しなくて済む。」


 そのまま彼女は、くるりと振り返り俺を見た。


「でもね、あの日君は…ラッキーと一緒にうずくまってた私に手を差し伸べてくれた。助けてくれた。」


 その肩に乗る黒猫のラッキーも、にゃーと応えるように鳴く。


「私がいたから、救えたって…言ってくれた。」


 野田さんも、肩のラッキーを優しく撫でる。


「あの白猫だって、二人だから救えたって…言ってくれた。それが、嬉しかった。私も、何かの…誰かの為になっていいんだって…教えてくれた。」


 黄昏色に染まっていた彼女は、そう言って微笑む。それはとても希望に満ちた表情。暮れていた日が、昇ったようなオレンジ色。だから俺も、同じように微笑む。


「…あぁ。誰かの為になろう。二人でさ。」


 …青春みたいな台詞。まるで今から、友情物語が始まるようなクサいやり取り。

 それがなんか可笑しくなって、多分野田さんもそれは同じで…どちらともなく、プッと吹き出す。


 黄昏に染まった無音の世界に、二人の笑い声だけが響き渡った。



 それから歩き続けて十数分。辺りはすっかり住宅街に。

 その間、別に命の影はなし。まぁ、そうそうそんなシチュエーションねぇよな。

 余裕をもって今日のところはぼちぼち引き返すとするか。そう提案しようとした時。


「…あっ、山吹君!あれ!」


 隣の野田さんが珍しく大声を。彼女が指差す先には…一人の男性のご老人がいた。


「…人、いたな。よし、話聞きに行こう!」


 そういう目的で彷徨うろついててなんだが、本当に見つかるとは思わなかった。

 俺と野田さんは、その爺さんへ駆け寄った。


「爺さん!なんかあったのか?」


 駆け寄ってすぐ、そんなアバウトな問いを投げる俺。が、もちろんその爺さんはポカンと首を傾げる。


「なんじゃあ君らは。」


「ええっと、俺らは…」


「おじいちゃん。説明するね。」


 なんて言おうか迷う俺の代わりに、野田さんはその爺さんに簡潔な説明を始めたのだった。



 とりあえず、ここが生と死の狭間の世界だということ。で、爺さんは死にかけているということ。それらは伝わったと思う。

 まぁ当然、爺さんは何がなんやらの顔をする。


「死にかけとる、と言われても…わしは家におっただけだぞ?気が付いたら婆さんがおらんくなっとったから探しに家から出てここへ──」


「おじいちゃん、家で何してたか覚えてる?」


 やや困惑気味の爺さんにも、野田さんは落ち着いて優しく問う。

 爺さんは一度言葉を止め、少し考え込む。


「…そうじゃ、風呂に入っとった。でも、気が付いたら風呂から出とったんじゃ。そしたら婆さんもいなくなってて…」


 …と口にして、それを聞いた俺と野田さんは顔を見合わせる。


「…風呂で気ぃ失ってるんじゃねぇか爺さん!?早く助けねぇと!」


 そう、多分…というか間違いなく、風呂場でのぼせて気を失い…というパターン。

 そうと分かれば、早く助けてやらねば。


「そうだ、家に婆さんがいたなら電話して知らせてやろう!爺さん、家の電話番号教えてくれ!」


「おぉ、まぁ、よく分からんが…」


 俺はポケットのスマホを取り出して、通話しようと試みる。…が、そのスマホに映る電波欄には…圏外、と表示されていた。


「圏外かよ!?」


 いやまぁ、ここは異世界ってやつなんだし電波なんかなくて当然か…!

 じゃあ今から走って鳥居まで行って、向こうの世界に戻ってから電話が最短…!?いや、それでも10分以上はかかる…!


 ジワジワと焦りが襲ってくる。そんな俺の肩を野田さんが突く。それから、住宅街の道路脇にポツンと立つ公衆電話ボックスを指差した。


「アレなら、確か繋がったはずだよ。」


「…マジで!?」


 スマホはアウトで公衆電話はアリなの!?なんで!?

 いや、こんなヘンな世界の常識なんか考えるだけ無駄か!


 俺は爺さんを連れて公衆電話ボックスまで走り、小銭を投入してその受話器を爺さんに渡した。


「電話番号入れて電話かけて、婆さんに"助けて"って伝えて!!」


「よく分からんが、うむ、そうしよう。」


 爺さんは相変わらず理解してないようで、でも言われた通り番号のボタンを押す。

 それから鳴る"プルルルル"という電話の音。その音が止まり──


『はい、もしもし。』


 その受話器から、婆さんだと思われる高齢女性の声が聞こえた。


「おお、婆さんか。すまんが、風呂場におるわしを助けてくれんかの?」


『……はぁ?』


 …うん。まぁ、そりゃ婆さんのリアクションが正解だ。

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