大不満
@frimofryday
第一話 - 光
「課長、
呼ばれた声で我に返って顔を上げる。目の前には部下の姿があった。
「先方との打ち合わせについてですが…その時間でよろしいでしょうか」
「…」
何のことだかすぐには思い当たらない。答えかねていると、察した部下が言葉を選んでいった。
「先日請け負った案件のことです。打ち合わせが、10日後の予定なのですが」
そこまで言われてやっと思い出す。少し時間がかかってからああと生返事をした。
部下は怪訝そうだったが、すぐに気を取り直したようだった。「では、そのように伝えておきます」
予定を書き留めて時計を見ると既に正午を過ぎていた。周りの社員も昼食に出払ってまばらになっている。
もう昼だから仕事もそこそこに休憩するよう言うと、心配そうな顔で部下がこちらを伺った。
「あの…振本課長、最近は顔色がよろしくないようですが」
世間話を済ませて自分も席を立つ。さっきから頭がどうもはっきりしないので、便所に行って顔を洗った。
ハンカチで顔を拭き、前の鏡を見る。確かに部下の言う通り、自分の顔はひどく疲れ切って見えた。
目の下には濃いクマがあり、手入れを怠っていて肌も荒れ始めている。
持ち前の高身長と屈強な体躯も、この顔では萎びて見えた。
最後に手も洗ってからコンビニに向かうことにした。職場のビルを出た向かいにちょうど店がある。
歩きながら、自分の顔でも特にクマの濃い目元に手をやる。寝不足の原因は続く残業のせいだけではなかった。
ここ最近、頭痛がひどいのだ。夜に一人でいるとなおのこと強く、何かに内側から押されるような痛みが走る。そのせいでここのところ、昼間にも集中できないことも多かった。
店内に入りかごを手に取る。突き当たりの棚から奥に進んで手前に回るようにして、半ば自動的に商品を入れていく。
振本はさっき見た自分の姿のことを考えていた。
背が高く、肩幅の広い筋肉質。少し前まで整っていたあごひげと、左の目尻にはほくろがある。そのどれもを、今日に至るまで自分はずっと持てあましてきた。
自分がこの体をもっていままで暮らしてきたことに、ほとんど実感を持てないのだ。
手前の棚で栄養ドリンクを手に取った時、振本は異変に気が付いていなかった。
複数の軽い悲鳴と、動くなと叫ぶ若い男の声。レジ前から聞こえてきたその騒ぎの意味を、棚で視界を遮られていたためにすぐには把握できなかった。
先ほどからのぼんやりした頭のまま、状況を目視しようと棚の影から顔を出す。
覆面をした男と、人質に取られている女性。強盗だと理解した時にはもう遅かった。
銃口が自分に向いていた。
乾いた音が響き、眼窩から後頭部、全身にかけて強い衝撃が伝う。生まれて初めて何かに体を貫かれる感触がする。
左目の奥がかっと熱くなり、大きくよろけて意識が遠のいた。
それと同時に、異質なものを見た。
視界いっぱいに広がる、空色に輝く光。そして、確かな憤り。
──納得がいかない。
光の中で声を聞いた。
──誰かを、誰かを救いたい。
それは囁きのようでも、叫びのようでもあった。
──こんなことでは死にきれない!
気づけば倒れかけていた体をとっさに踏ん張っていた。その感覚で、自分がまだ生きていたことに気がついた。
視界は真っ赤になるどころか、青い光で眩しくて仕方がなかった。痛みに共鳴するように響く声は、いつの間にか自分とリンクしていた。
悲鳴が聞こえる。がんがん響く痛みをなだめるように、傷口をかばうように左目を手で覆う。
痛みのあまり身動きが取れない。
平衡感覚を失い思わず膝をついた。手を伝って滴った血が床にこぼれ、無事だった右目の視界に入る。
その血もまた、空色をしていた。
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