冬がはじまるよ

平 遊

これからもずっと

 彼女はエラくオカンムリだ。

 理由はひとつ。

 彼女がとても楽しみにしていたデートに、僕が寝坊して遅刻してしまったからだ。

 天気予報で言っていた。

 今年の紅葉を楽しめるのは、今週末がラストチャンスです、と。

 ここずっと仕事が立て込んでいた僕は、週末も休日出勤が続いていて彼女とロクにデートもできず、この週末はようやく取れた休みだった。

「ごめん……」

 青空に映える赤や黄色の紅葉を僕と一緒に見るんだと、子供みたいにはしゃいでいた彼女は、さっきからずっとふくれっ面。

「……」

「ねぇ、ほんとに、ごめんて」

 無理もない。

 空にはとっくに星が出ている。青空に映える赤や黄色の紅葉はもう見られない。さらに言うなら、彼女が色々調べてくれて2人で『ここがいいね!』と決めた素敵な庭園は、閉園時間を過ぎてしまっている。それはひとえに、僕がすっかり寝過ごしてしまったから。


 この休みを死守するために、昨日まで必死に頑張ってたんだよ!

 すごく、疲れてたんだ!

 だから、待ち合わせまでまだちょっとあるなって、少し眠るだけのつもりだったんだよ……


 なんて。

 言い訳の言葉も喉の奥に引っ込むくらいに、怒りの裏で彼女がガッカリしているのが分かったから。

 僕は必死に謝ることしかできなかった。


 僕はただ、彼女の喜ぶ顔が見たいだけなのに。2人で一緒に幸せになりたいだけなのに。

 なんて。

 少しだけ憂鬱になってしまうけど、でもそれもほんの少しだけ。

 だって、隣には彼女がいてくれている。ものすごく怒ってはいるけど。目も合わせてくれないけど。

 だけど、去年までの僕は、彼女と出会うまでの僕は、いつもひとりぼっちだったんだ。

 気温が下がってきて気分も比例するように落ちてしまう冬という季節が、僕はとても苦手だった。


「あの〜……」

 彼女の耳がピクッと動く。目はまだ合わせてくれないけど。

 無い頭をフル回転させて、そしてスマホ検索も駆使して、なんならAIにも助けを借りて。

 僕は彼女の笑顔を取り戻す計画を必死に練った。それは。

「青空に映える紅葉は無理だけど……ライトアップされてる紅葉も、綺麗だと思わない?」

 彼女はまだ、ソッポをむいたままだ。まぁ、これは想定内。だからここでもう一押し。

「星が見える夜空にも、紅葉は映えると思うよ? 美味しいビールでも飲みながら、2人で一緒に見たら最高だと思うんだけどな」

「ビール?」

 彼女は無類のビール好きだ。

 今日行くはずだった庭園はとても広くて綺麗だけれど、アルコールはNGだった。それが唯一残念だと彼女自身が言っていたからよく覚えている。

 ならば、青空の代わりにビールでどうだ!

 と提案してみたのだ。

 彼女の機嫌が直る事を祈って。

「うん! いいね、それ!」

 この言葉とともに、彼女の表情がパッと輝く。

 ようやく見せてくれた彼女の笑顔に、僕は心の底からホッとした。


「かんぱ〜い!」

 プラスチックのコップだから、フチを合わせても何の音も鳴らないけど、彼女はご機嫌でビールを楽しんでいる。

 紅葉を見ながら、2人並んで飲むビール。

 彼女の嬉しそうな横顔は、僕の胸をホクホクに温めてくれる。

 そうだよ、僕はこの笑顔が見たかったんだよ!

 彼女と出会ったのは、春。

 天真爛漫で感情豊かな彼女の表情に、僕はすぐさま恋に落ちた。

 付き合い始めたのは、夏の初め。

 仲良くなるにつれて何故か不機嫌さを増す彼女に、勇気を振り絞って告白したのは、僕だ。彼女は僕の告白を受け入れてくれた訳だけど、正直、振られる覚悟をしていたんだ。だってあの頃の彼女はいつも、本当に不機嫌だったから。後から不機嫌の理由を聞くと、感情表現があまり得意ではない僕の気持ちが分からず、不安だったとのこと。そうならそうと言ってくれればよかったのにね、なんてことは、今だから言えることかな。


 夏生まれの彼女の誕生日にプレゼントしたのは、半袖と長袖のシャツ。

 夏はもちろん、秋も、そして冬も春も、彼女とずっと一緒にいられますようにと願いを込めて贈ったシャツは、僕の予想を遥かに超えて彼女のお気に入りになったらしい。超ヘビロテで着てくれている。本当に嬉しい限りだ。

「なんかさ、あの葉っぱの間に見える星、かくれんぼしてるみたいで可愛いね」

 さっきまであんなに怒っていたのがウソみたいに、彼女は楽しそうな笑顔を見せてくれる。

 その笑顔にじんわりと幸せを感じていたら、彼女が小さくくしゃみをした。

 慌てて彼女の肩を抱き寄せると、羽織っているパーカー越しに手に触れる彼女の衣服の感触がやけに薄い。

「ねぇ、もしかして、だけど」

 ふと頭に浮かんだイヤな予感を、僕は口にしてみる。

「このパーカーの下って」

「長袖の上に半袖着てる。貰ったやつ」

 ペロリと舌を出して彼女がそんな事を言うもんだから、僕は急いで、念の為の防寒具として持ってきていたマフラーを鞄から取り出し、彼女の首元に巻いた。

「もう、冬だよ? 風邪ひいたらどうするの」

「だって、大好きなんだもん、このシャツ」

 鼻をグズっと言わせながらも、彼女は悪びれもせずにペロリと舌を出す。僕がこんなにも本気で心配しているというのに……

 なかなか伝わらない思いに少し苛立ってしまうけど、これならどうだとシレッと言ってみる。

「風邪引いたら、旅行行けなくなっちゃうのにな? 残念だね」

 とたんに、彼女は目を大きく見開き、マフラーに顔を埋めて言った。

「早く暖かいとこ、行こ?」

 今日の紅葉狩りデートもすごく楽しみにしてくれていたけど、多分彼女はそれ以上に、旅行も楽しみにしてくれていることを、僕は知っている。

 良かった。作戦成功だ。

「もう、紅葉はいいの?」

「うん、見た!」

「そっか」

 彼女のコップはとうに空っぽだ。僕も急いで残ったビールを飲み干し、彼女と共にライトアップの紅葉に別れを告げた。


 暖房の効いた居酒屋に入ると、彼女はビールジョッキ片手に旅行雑誌を見ながら、キラキラした目を僕に向けてくる。

 年末年始の休み。

 彼女と僕の休みが重なる日はほんの数日しかない。

 だけど、彼女との旅行を計画して本当に良かったと、心から思う。だって、彼女の笑顔がこんなにも僕を幸せにしてくれるのだから。

 思えばここ最近の年末年始なんて、誰にも会わずに家に引きこもっている事が多かった。忙しかったのもあるけど、どこか心が麻痺していたんだと思う。それを寂しいとすら、思えなくなっていた。

 だけど、今年は違う。

 彼女がいてくれるんだ。

 それだけで僕は最強なんじゃないかとさえ、思えるから不思議だ。怖いものなんかもう、何もないんじゃないかな。

 彼女を失うこと以外には。

「ね、ここも行こうね。それで、これとこれ、食べようね、絶対!」

「地ビールも飲むでしょ、絶対」

「うん、言わずもがな、だよ!」

 追加。

 二日酔いと食べ過ぎも、少し怖いかな。


 今年も、冬がはじまるよ。

 寒くて寒くて、心も体も凍えてしまうような冬が。

 だけど。

 いや。

 だからこそ。

 僕は彼女といつまでも、幸せにいたいと思う。

 そうすればいつだって、胸の中はホカホカ暖かいからね。

 でも。

 彼女にはちゃんと体も暖かくして欲しいから。

「クリスマスには、セーターをプレゼントするよ」

 一瞬キョトンとした顔をした彼女だったが、すぐに嬉しそうに笑う。

「楽しみにしてる!」

 うん。

 僕も楽しみだよ。

 多分、世界中の誰よりもね。


【終】

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