第3話

 男が生まれたのは、辺境の小さな農村だった。

どこにでもある畑と、どこにでもいる人々。

ただ一つ異質だったのは、彼の誕生の瞬間、心臓が一度止まっていたということだった。

死産はこんな農村にはよくあること。母親は悲嘆に暮れ、父親は励まし、せめて取り上げた我が子を抱かせてやろうと死体を持ち上げた。


ちょうどその時、死した空虚な身体に別の世界から零れ落ちた魂が入り込んだ。

そして、再び心臓が鼓動を打ち始めた。

それを見た産婆は恐怖に泣き、母親は叫び、父親は地に祈った。

以来、彼は「忌み子」と呼ばれるようになった。


 それでも彼自身は他の子と変わらなかった。

腹が減れば食べ、眠ければ眠る。

ただ一つ違ったのは「人が自分をどう見ているか」を早くから理解していたことだ。

一度人生を歩いた存在であれば、人からの視線の内容もだいぶ理解ができる。

何を言おうが忌み嫌われる。

何をしようが嫌悪の対象になる。

入り込んだ魂は諦めも肝心だと悟り、会話をすること自体すら断念し、ひどく冷めた目線で世界を眺めていた。


 両親は彼を恐れ、疎んだ。

冥界から逃げ出した忌み子を家に置けば穢れが移る。

かといって殺すのは恐ろしい。呪いが返る。

だから、手を下さない殺し方を選んだ。

通りがかった行商人にわずかな銀貨で売り渡し、「闘技場にでも送ってくれ」と言い添えた。

その夜、二人はぐっすりと安眠。

呪いは自分たちではなく、彼を殺した者に降りかかるだろうと、そう信じて。


翌朝、村は焼けた。

行商人と手を組んだ山賊の襲撃。

村の戦士たちはすでに山賊に買収され襲撃に加担したため、誰も抵抗できなかった。

老人も女も子も奴隷として売られ、同じ行商人の馬車に積み込まれていった。

皮肉にも、忌み子と同じ場所へ。

まだ忌み子は死んでいないのに、呪いは降ってきた。




 所変わって奴隷市場。

鉄格子の隙間から、土と汗の臭いが立ち上る。

売られた少年は、環境の変化に目を白黒させながらも、静かに納得していた。

「なるようになる」

それ以上に思うことはなかった。

配られた手札でやりくりするしかない、それが人生のすべて。

転生したからといって、何かが特別になるわけでもない。神様が顔を出してチートスキルをくれるのはライトノベルの中だけだ。

ただ、与えられた場所で生存競争するだけだ。


 買われた先は、やはりというべきか闘技場。

粗末な木剣を与えられ、ボロ布をまとい、砂の上で素振りを繰り返す。

同年代の子どもたちは泣き叫んでいた。

「家に帰りたい」「嫌だ」「助けて」

遊びたい盛りの6、7歳くらいの子供がいきなりこんなところで訓練させられればそうもなる。

だが泣けば殴られるだけだ。

泣くことに意味がないどころか損しかないとは賽の河原よりもひどいのではないか。

そうひとりごちて、ため息をついた瞬間に頭上から拳が降ってきた。

反射的に身を引いて避けると、拳の主は渋い笑い声を上げた。


「おうおう、ガキのくせに避けよったか。」


教官――老齢の元Sランク闘士。

筋骨隆々、白髪交じりの髭面で、目は鷹のように鋭い。

この闘技場で、かつて無敗を誇った伝説の男だという。

今は気まぐれに、奴隷の訓練場で指導役をしている。一度興味本位で理由を聞いた子供をしばき倒しつついうことには、

「暇つぶしじゃよ。小僧どもに教えとけば、酒場のねーちゃんにモテるし、世間様にも格好がつくってもんじゃ。」

スケベで暴力的な爺。

尊敬など欠片もない。

だが、彼の指導は確かに実戦的だった。

言葉より先に拳が飛ぶ。

手取り足取り教えるのではなく、「生き残れ」と一言。

あとはストレス解消にボコボコにされる。

それがすべてだった。


「ため息つく暇があるなら剣を振れ。息を吐くなら、敵を斬るときに吐け。

 死ぬ時に後悔しても、誰も聞いちゃくれん。」


その口調には妙な説得力があった。

そして、冗談めかして言う。


「そうじゃのう……最初に勝ち星あげた奴には、大人の店に連れてったる。」


下品な冗談に子どもたちは顔を赤くしつつも、やる気を見せる。

単純だが、明確な報酬は希望を生む。

ただ一人、忌み子の少年だけは無言で走り込みを続けた。

剣よりも、まずは足腰。

生き延びるには、逃げられなければならない。

勝つためには逃げることもまた大事である。

どんな手を使おうとも、最後に勝って笑えば良し。




 月日は流れ、少年たちはEランク闘士として登録された。

闘技場の中でも最下層。子ども同士の遊戯のような戦いばかり。

それでも観客は賭けに熱を上げ、血を求めて叫ぶ。悍ましいことに、このランク帯での闘技は興行収入だけで言えばこの年で5本の指に入るほどに人気なのだ。稚児趣味の者が獲物を探すため、というのもあるかもしれない。だがやはりこの年代であるからこそ、普通では見られぬ禁忌を楽しむ背徳感を得るために人々は金を賭け、罵り、歓声を上げている。


 そしてある日、忌み子の少年の対戦相手が発表された。

まさかの成人男性。

実況席がざわめく。

「おおっと! 親子対決だ! 売られた子と、売った親! これは因縁の闘いだ!復讐が果たされるか!はたまた躾けられてしまうのか!」

安っぽい芝居がかった語りが響く。

そうでもしなければ、体格差で勝る大人が圧倒的に有利すぎて盛り上がりに欠けてしまう。

明らかに一方的なワンサイドゲームを期待し、観客は笑い、金を投げ、拍手する。


開始の銅鑼が、轟音を立てる。


少年は何も言わなかった。

ただ立つ。

無表情で、静かに、木剣を握る。

習った通りの構えで、基本に忠実に。


父親は震えていた。

「許してくれ……俺も、仕方がなかったんだ……あのままじゃ俺と母さんまで村八分にされちまうところだったんだ…。」

泣きながら、酒臭い息を吐き、乱暴に木剣を振り回す。

言ってることとやってることが一致しない。

震えてるのは酒が抜けたから。

泣いているのは暴力を振るう言い訳の演出。

実況はその姿を“父の懺悔”として美談に仕立て上げようとする。



だが次の瞬間、乾いた音が響いた。


少年の木剣が、武器を握った手首を叩き落としたのだ。

子供の細腕では威力不足なようで、武器は離さなかった。ならばと少年は迷いなく脛を狙う。

裂帛の気合とともにフルスイング。

鈍い音と共に骨が軋み、痛みに崩れた隙を逃さず頭部へ一撃。

脳震盪を起こした男は、砂埃を巻き上げて地に伏した。


観客が息を呑む。実況が言葉を失う。

その沈黙の中で、少年だけが動いていた。


腕、足、胴。

がむしゃらに、しかし基本通りの剣術を叩きつける。

打撃のたびに骨が鳴り、肉がへこみ、男の体から色が抜けていく。

血が滲んでも、涙は流れない。

まるで壊れた人形が、命令通りの動作を続けているかのようだった。


観客の誰もが止められない。

それは捨てられた子が父を討つ復讐の光景ではなく、

ただ「戦うための人間」が一つの命令を遂行しているだけの儀式だった。


そして、少年は無言で父の胸に一突き。

トドメのようでいて、感情の欠片もない。

殺意ではなく、確認。

勝利したことを確認するためだけの、最後の一撃。


それだけのための動作だった。


「勝者、忌み子の闘士。」


審判の声が響いた瞬間、歓声と罵声が入り混じる。

「化け物め」「すげぇ」「泣ける話だ」「大穴ぶち当てたぞ!」「100%勝てる試合なのに負けやがってあの爺!」

人々の感情は勝手だ。


少年はただ、空を見上げた。

灰色の光が、鉄格子の隙間から差し込んでいた。


――勝った。それだけでいい。

勝つ前に何を思おうと、勝たなければ意味がない。

ここじゃ敗者に価値はない。

環境に染まりきった思考をする自分に、わずかに笑みが浮かんだ。




教官の老兵は、観客席の隅でその光景を見ていた。

唇にエールを流し込み、ぼそりと呟く。


「……化けもんが、生まれよったのぅ。」


少年は、倒れた父の肉体の前で、木剣を持ったまま。

その瞳は先ほどまでは空を見ていたが、それもわずかな時間だけ。

正面をじっと見据え、ただ次の戦いのために、次の勝利のために、静かに息を整えていた。


そして、闘技場の観客の歓声が遠ざかる中、

老兵は確信した。

この小僧は、いずれ勝利そのものになる。

人でも、剣士でも、ましてや奴隷のままですらなく、ただ勝つためだけに生まれた存在として。

勝つことに恋焦がれるようなその目を懐かしみ、昔の幼き日の自分の初勝利を思い出す。

今だけはあの小僧の勝利を祝って、白髪の教官はエールの注がれたジョッキを掲げた。

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欲しいものは、ただ勝利のみ。 @nullcat626

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