『君が世界から透き通るその前に、僕だけは君を愛した。』

さんたな

プロローグ:『透明な君の、最後のポートレート』

​その写真は、僕の机の一番奥、鍵のかかる引き出しにしまってある。

​色褪せたL判のプリント。

写っているのは、放課後の教室だ。

茜色の夕陽。古びた机と椅子。

そして、窓際に佇む一人の少女。

​けれど、この写真を見た人は、誰もが首を傾げるだろう。

​「綺麗な教室だね。でも、被写体はどこ?」

​無理もない。

写真の中の少女は、向こう側の景色が透けて見えるほど淡く、今にも光に溶けて消えてしまいそうだからだ。

目を凝らさなければ、そこに「人」がいることさえ気づかないかもしれない。

​彼女の名前は、一ノ瀬冬花。

僕の初恋の人であり、この世界から拒絶された少女。

​「……春樹、ご飯よ。何してるの?」

​母の声が階下から聞こえる。

僕は慌てて写真を伏せ、引き出しにしまった。

​「今行く」

​母は知らない。

かつて僕のクラスに一ノ瀬冬花という委員長がいたことを。

僕が高校二年の秋、狂ったようにシャッターを切り続け、誰かと泣き、誰かと笑っていたことを。

​世界は、あまりに残酷に修復された。

彼女が「透明」になるにつれて、人々の記憶からも彼女というノイズは削除されていった。

​卒業アルバムの集合写真。彼女が立っていた場所は、不自然に詰められている。

名簿。彼女の名前があった行は、最初から無かったかのように消えている。

​誰も覚えていない。

彼女が生きた証も、あの日々の輝きも。

​だから、僕だけは覚えていなければならない。

たとえ、この記憶が僕の妄想だと世界中から指差されたとしても。

​カチリ。

引き出しに鍵をかける。

​これは、世界から透き通ってしまった君と、君を繋ぎ止めようとした僕の、ささやかな抵抗の記録だ。

​ファインダーを覗くたびに、僕は何度でも君に恋をする。

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