第四章 朝は来る
明日というものがどんな形をしているのか、
アキラにはもう分からなかった。
ただ一つ、
“あしたくる”と名づけられた四人のぬくもりだけが、
これまでのすべての絶望を凌ぐほど確かだった。
◆◆◆
自分たちが未来へ来てしまった――その事実は、
静かで重たい錘のように五人の胸へ沈んでいた。
砂漠を歩くうちに、魚人たちが残したメモの断片や、用途不明の機械の残骸を見つけることがあった。
それらはどれも、滅びた文明がかつて存在していた証であり、
“人間が変わってしまった世界”そのものの痕跡だった。
核戦争。
破滅。
進化という名の、喪失。
アキラにはまだ、どれも実感として掴めない。
世界の終わりなんて、教科書の余白に載っている歴史の断片でしか知らない。
だが、砂漠をさまよう異形たちの姿を見てしまった今では、
それが遠い未来の話ではなく、
“いま目の前に広がる現実そのもの”だと知るしかなかった。
そして――魚人のひとりが言った言葉が、今もアキラの耳に残っている。
『過去に戻るには、かつての大異変と同質のエネルギーが必要だ』
つまり、
あの日の、世界をねじ曲げたあの衝撃。
あれほどの力でなければ、帰る道は開かれない。
その説明を聞いた瞬間、アキラは思わず肩を落とした。
もう帰れる道なんてないのかもしれない。
四人を守る――その思いすら、届かないのかもしれない。
冷たい砂の上で目を閉じた夜、アキラは深く息を吐いた。
——どうすれば、四人を守れるんだ。
問いだけが、砂の奥へ吸い込まれて消えていった。
◆◆◆
そのときだった。
夜空に、光が走った。
最初は星が落ちたのかと思った。
けれど星があんな速度で空を裂くはずがない。
燃える尾を引きながら、巨大な光の塊が夜空を横切っていく。
「あ……あれ……?」
シズカが袖を掴みながら呟いた。
タイチは口を開けたまま空を見上げ、
クルミは思わず息を呑み、
ルイは目を大きく見開いた。
「……隕石?」
アキラの声は、風よりも細く震えた。
火の塊は、地平線の先へ向かって落下していく。
あの日の“地震”さえ霞むほどの光。
空気が震え、砂が微かに跳ねた。
そこでアキラは思い出した。
魚人が言ったあの言葉を。
“強いエネルギー。
世界を揺るがすほどの力があれば、
過去へ戻る道が開くかもしれない。”
もし――
もしあれが、唯一の機会だとしたら。
アキラは立ち上がった。
「……行こう」
四人の目がアキラに向いた。
恐怖と期待が入りまじった、不安定で、それでも真っ直ぐな眼差し。
「いくの……? あれに?」
クルミが小さく尋ねる。
「うん。戻れるかもしれない。……帰れるかもしれない。」
言いながら、自分の手が震えているのが分かった。
“帰る”という言葉が、ずっと遠い夢のように響いた。
タイチがそっと手を伸ばしてきた。
「いこうよ、アキラせんせい。……かえろ?」
その声だけで、迷いは消えた。
五人は、落下地点を目指して歩き始めた。
◆
夜明けが空へ滲むころ、
地面の向こうに巨大な衝撃跡が見えてきた。
隕石が落ちた場所は深く抉れ、
中央から蒸気のような光が立ちのぼっている。
砂と岩が焼けただれ、
世界の膜が破れたように裂けていた。
アキラは四人の手を順番に握った。
「……もう、絶対に離れるなよ」
四人は力強くうなずいた。
「うん」
「うん」
「いく」
「アキラせんせいも、はなさないでね」
五人は光の中心へ向かう。
風が巻く。
砂が舞い上がる。
世界の音がひとつずつ消えていく。
「——っ!」
白い光が視界を覆い、
五人の体が浮き上がるように震えた。
四人の小さな手が、アキラの手を痛いほど強く握った。
——帰る。
四人を連れて。
あの日へ――
まだ続くはずだった“あした”へ。
◆◆◆
静寂が訪れた。
耳の軋みも、砂漠の熱も、光の振動も消えていた。
ただ、ひんやりした風だけが頬を撫でた。
アキラはゆっくり目を開けた。
そこは、学校の跡地だった。
ただし――砂漠ではない。
赤い砂も、金属の建物も、異形の影もない。
ひび割れたアスファルト。
伸びかけた雑草。
朝日の反射する校舎の壁。
世界は、あの日の続きのように、“当たり前の朝”を迎えていた。
アキラの隣で、四人が立っていた。
震える息をしながら、それでもしっかりと。
誰も叫ばなかった。
誰も言葉を探さなかった。
ただ、涙がそっとこぼれた。
アキラは気づいた。
自分も泣いている。
この涙が悔しさなのか、安堵なのか、
あるいは失われた全てへの祈りなのか、分からない。
ただ一つだけ確かだった。
世界に、朝が来ている。
五人は立ち尽くし、
その光を静かに受け止めた。
遠くで鳥が鳴いた。
風が揺れ、草がさざめいた。
胸の中で四人の名前が浮かぶ。
シズカ。
クルミ。
ルイ。
タイチ。
あわせて――
あしたくる。
世界は平然と動き続ける。
けれど、五人だけは知っている。
あの砂漠を。
あの絶望を。
あの光を。
そして、
それでも朝は来るのだということを。
無音の世界の中で、ただひとつ確かなことは——
今日という日は、たしかに“明日”だった。
五人は朝日の中に立ち続けた。
涙の跡をそのままに。
それが、彼らの精いっぱいの“生きている”という証だった。
《あしたくる》──アキラと四人の子どもたち── 風 @fuu349ari
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