第三章 手を引く者たち

砂漠を歩く日々がどれほど続いたのか、もう誰にも分からなかった。

太陽が昇り沈むたび、昨日と今日と明日の境目はゆっくり溶けていく。


砂丘は似た形ばかりで、風の音も乾いた空気も変わらない。

五人にとって“歩くこと”が、生きている証のようになっていた。


だが、世界は砂だけではなかった。


三つ目の丘を越えた先に、異物のような建造物が現れた。

金属光沢の円形の巨大施設。側面には無数の管が張り出し、

砂に潜ろうとする怪物にも見えた。


「……あれ、家?」

タイチが震える。


「分からない。でも……水はあるかも」

ルイの目だけが、まだ未来を探していた。


「行こう」

アキラの声は、自分でも頼りなく聞こえた。

身体は限界に近い。それでも四人は迷わずついてくる。


——いつからだろう。

守られているのは、自分のほうだ。


◆◆◆


近づくと、パイプに透明な液体が流れ輝いていた。

紛れもない“水”だった。


「みず……!」

タイチが走り出そうとし、アキラは止めた。


入口から冷気が流れ出し、足を踏み入れると金属壁が青白く光る。

記号のような模様が並び、無機質な静けさが広がっていた。


「ここ……ほんとに地球?」

クルミがつぶやく。


「分かんないけど……誰かが住んでたんだと思う」

アキラの指先に金属の冷たさが染みた。


奥には巨大な円形プール。

底が見えない闇の水面から、影が浮かび上がった。


人に近いが、人ではない。

長い耳、流線型の身体、魚のような光沢。

瞳は深海の光のように静かだった。


「おまえたちは……子供か」


声は透き通り、水面を揺らす。


「にんげん……?」

シズカが袖を掴む。


「われらも“人”だ。かつての人間が海へ適応した姿だ。」


人魚のような優美さと、底知れぬ異質さが混ざっていた。


「もう安心だ。ここには水も食糧もある。飢えも恐れも忘れよ。」


その言葉は、五人の心に甘く染みこんだ。

タイチは泣き、ルイは崩れ落ち、シズカは胸に手を当てて涙を流し、

クルミは肩の力を抜いた。


アキラも、膝が震えた。


——助かった。

そう思いたかった。


◆◆◆


しかし希望はすぐに裏返る。


別の魚人が淡々と言った。


「ここは未来の地球。核戦争で文明は崩れ、人間は環境に適応し変異した。

砂漠の者は“陸の種”。われらは“海の種”。」


言葉の意味は分からない。

だが、その冷たさだけは理解できた。


「君たちのような“純粋な人間”はほとんど残っていない。ゆえに——」


四人へ向けられた視線。


「——貴重なのだ。」


次の瞬間、魚人たちが四人の腕を掴んだ。


「いや!」「アキラせんせい!!」「離して!」「アキラ!!」


アキラは飛び込み、ルイを引き戻そうとするが押し返される。


「離せ!! そいつらは……俺の班なんだ!!」


魚人は無表情に告げた。


「心配は無用。“保存”するだけだ。純粋な人間の保護は義務だからな。」


“保存”――その響きには生命の温度がない。


「絶対に……渡さない!!」


警報が鳴り響き、施設が揺れた。

アキラは叫ぶ。


「みんな、こっち!!」


四人を引き寄せ、必死に駆け抜ける。

通路を曲がり、階段を駆け上がり、金属の壁に肩をぶつけながら逃げた。


やがて施設の一角で爆発音がし、赤い警告灯が点滅した。

その混乱が、唯一の逃げ道を開いた。


外の夜風は、鋭く生を思い出させた。


◆◆◆


その夜。

火の気もない砂の上で、五人は丸くなって空を仰いでいた。


アキラは自分の手を見つめた。

四人を引き戻そうとして伸ばした手。

何度も折れそうになった心を、必死に支えていた手。


そこへ、小さな手が触れた。


「アキラせんせい……」

シズカの声は、砂漠の夜より柔らかかった。

「もう、ひとりじゃないよ。ね?」


続いてクルミが言う。

「アキラ。立てないときは、わたしたちが引っぱるよ。」


ルイが重ねる。

「だいじょうぶ。おれたち、いっしょにいるから。」


タイチは小さな手でアキラの手をぎゅっと握りしめた。

「アキラせんせいが守ってくれたから……こんどはぼくらが守る!」


その瞬間。

アキラの胸で何かが崩れ、同時に新しい何かが生まれた。


涙があふれた。

泣くつもりなんてなかったのに、止めようもなく零れ落ちた。


四人はアキラにしがみつき、アキラは四人を抱きしめる。

温かい涙と冷たい風が、夜空の下で一つに混ざった。


——俺は、ひとりじゃなかった。


気づいた。

あしたを信じようとしていたのは、自分だけではない。


世界が壊れても、

明日が約束されなくても、

四人は言ってくれる。


「いっしょに、いく」と。


その言葉だけでアキラは、まだ歩ける。


——あしたくる。


名のないその言葉が、焚き火の代わりのように五人を照らした。


◆◆◆


夜明け前の空は、薄く静かな色をしていた。

その静けさの中でアキラはようやく分かった。


これからどんな世界が待っていようとも、

自分はこの四人と歩いていく。


手を引くのは、もう自分ひとりではない。

四人の手が、自分の背中をそっと押してくれている。


——失われていく明日の中で、

小さな“あした”だけは、たしかにここにあった。

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