好きだった時の君のコピーを永遠に閉じ込める透明な箱
桜森よなが
前編
「酢豚にパイナップルは入れるなっつっただろ!」
私の夫――ユキヒロが食卓をドンっと右手で叩く。
「なんでよ、おいしいじゃない!」
「俺は嫌いなんだよ!」
「私は好きなの!」
「お前が好きとか知らねぇんだよ、俺が嫌いなもんは入れるな!」
「なによ、せっかく料理作ったのに、そんなこと言うならもう料理作ってやらないんだから、三食カップ麺でも食っときなさいよ!」
「おお、いいぜ、おまえのメシよりましだ」
「もう、ばかっ!」
私はどすどすっと足音を立ててダイニングを出ていき、廊下を歩く。
なんであんな人と結婚してしまったんだろう。
ユキヒロは変わってしまった。
昔の彼ならどんなご飯もおいしいよって言って食べてくれたのに。
頭もハゲてなかったし、お腹もあんなに出てなかった。
見た目も性格もよかったのに……。
そう、こんなかんじに……。
私は自室に行き、その部屋の端にある机の引き出しを開け、中から透明な箱を取り出した。
その箱の中にはかつての彼のコピーが小さくなった姿でいる。
「マナミ、どうしたの?」
かつてのユキヒロが心配そうに言う。
「ユキヒロ、聞いて、私がすごく頑張って作った料理を、さっきダメだしされちゃったの」
「ひどいな、マナミの料理なら俺は、どんなものでも文句言わずに食べるよ」
「ふふ、ありがとう」
ああ、ほんと、この頃のユキヒロはいい。
この箱の中では、そこにいることに全く疑問を抱かないようになっている。
ずっと閉じ込められていても、なにも文句を言わず、優しい言葉をかけてくれるのだ。
ふふふふふふ。
本当のユキヒロはこっち。
あの彼は偽物だ。
私はこの彼さえいればいい。
ほんと、買ってよかったな、この箱を。
私は振り返る、これを買った時のことを――
ある日、家に訪問営業の男が来た。
黒いスーツを着て、姿勢がよくて、さわやかな笑顔で、ぱっと見は普通の優秀なセールスマンってかんじだった。
訪問営業なんていつもなら即効で断るけど、顔がよかったのでつい対応してしまった。
「実は今、当社はこういうものを販売していましてね……」
そう言って男はバッグから取り出す、透明な箱を。
「これはね、使う相手の好きだった時のコピーを永遠に閉じ込めることができる代物なんですよ。あなたはこれを必要としているんじゃないかと思いましてね」
ドキリっとした。
「そ、そんなことないわっ」
「そう言っておいて、興味津々ですよね? 見ればわかるんですよ、目を」
柔和に細めていた営業マンの目がギョロっと開かれる。その黒く大きな瞳が私の心の深奥を覗いてくるようで、ゾワリとした。
こんな商品、絶対ヤバイ。
そう思ったけど、私はそれに対する興味をどうしても抑えられなかった。
「……おいくらですか?」
「ひとつで10万」
「10万……」
「お高く感じますか? でも、たった10万で今は見ることができない相手の昔の姿をずっと見ることができるようになるんです。そう考えると、どうでしょう、私はとても安いと思いますけどね」
ニコッと爽やかな笑みを浮かべる営業の男性。
その邪気のなさそうな笑顔が逆に今は不気味だった。
しかし、私はその魅力に抗うことができなかった――
「ねぇ、ユキヒロ」
透明な箱の中にいる彼に声をかける。
「なんだい?」
「好きよ」
「俺もだよ」
「ふふふふふふふふふ」
ああ、ほんと、あんな男、いなくなってしまえばいいのに……。
翌日――
起きると、いつものように朝食を作る。
あんな男のために朝からしっかり料理を作るなんてやってられないので、トーストと、コンビニで買ったカット野菜を適当に皿に盛り付けたサラダをテーブルに置いて、家を出た。
私の職場である学校に着く。
私はこの公立の中学校で教師をしている。
いつもどおりの仕事の日が始まる。
授業の準備をして、生徒たちに丁寧に教える、普段と変わりがない。
でも、ストレスがたまる仕事だ。
生徒は問題児ばかり。不良もいたり、いじめもあったり、面倒事も多い。
早速、今日の昼休み、階段を下りているときにこんなことがあった。
前にいる男子二人が、
「せんせー下着見えてるよー」
なんて下卑た顔で言ってくる。
「ほんと? ありがとう、これからは気をつけるわね」
なんとか笑みを顔に張り付けてそう言っておいたけど、内心はペッと唾を吐いていた。
これだから中学生の男子は。
あー! ストレスがたまる!
もう耐えられない、ユキヒロに会いたい。
私は早歩きで、ある空き教室に向かった。
室内に入った瞬間、透明な箱を取り出す。
「ユキヒロ、辛いの、きもい中学生の男子にエロい目で見られたの」
「マナミをそんな目で見るなんて、いくら中学生でも許せないな」
「私はあなたのものなのにね」
「そいつらを殴ってやりたいよ」
「ふふふ、いいのよ、そう言ってくれるだけで私、すごく嬉しいから」
ああ、幸せだ。
ずっとこうしていたい……。
しかし、その時、ガラッと引き戸が開かれた。
夢中になっていたせいで、誰か来ていることに気づかなかった。
「与田先生?」
と入ってきた女子が私と透明な箱を見て、目を見開く。
彼女は二年三組の横山さん。
私が担任をしている二組の隣のクラスの生徒だ。
「先生、その箱……」
まずい、見られた。
「あ、こ、これはね……」
「私も持ってます!」
「え?」
「ほら、これ!」
彼女はそれを制服のポケットから取り出した。
「肌身離さず持っているんです」
と言って、彼女は透明な箱に頬ずりをしだした。
その中に居たのは、爽やかな風貌の男子。
見覚えがある。
小さくなっているけど、あれは私が担当しているクラスの生徒の大倉君だ。
「先生も、家に来たセールスマンから買ったんですか?」
「え、ええ」
「そっか、ちょっと高かったけど、買ってよかったなって思うんです、先生もですよね?」
「そうね……でも、あなたはなんでそんなものを……たしか、あなたは付き合っていたわよね、大倉君と?」
「はい……そうなんですけど、でも、タカユキ君、最近、私から気持ちが離れて言ってるみたいなんです」
横山さんの顔が急に険しくなる。
彼女の箱を持つ手の力がぎゅっと強くなる。
「わかるんです、そういうの。デートしても美人な子がいたら、そっちの方ばかり見るし、私がトークアプリでメッセージを送っても返事が遅いし、この前、他の女の子と仲良くしゃべっているところを見たし、彼の方からキスしたりとか手をつないでくれることとかなくなったし、昨日なんて、隣のクラスの沢渡さんに体育館裏で告白してるの見たし、振られていたからよかったけど……いや、よくない、よくないですよね、先生!?」
「え、ええ、そうね、よくないわね」
顔を近づけてきながらすごい剣幕で言う彼女に、後ずさりながら答える。
「ですよね……ほんと、タカユキ、なんで……ねぇ、タカユキ、私のこと、好きよね?」
「もちろんだよ」
箱の中の大倉くんが微笑む。
「私が世界一かわいいよね?」
「当たり前じゃないか」
「他の女なんてどうでもいいよね?」
「ああ、タエコのこと以外、全く興味が持てないよ」
「うれしい! 大好き!」
ちゅっちゅっちゅっと箱にキスの雨を降らせる横山さん。
彼女はちらっと私の方を見て、
「先生も、その箱の人のこと、好きなんでしょう? よかったら私といっしょに愛について語り合いませんか?」
にこおっと不気味な笑顔で言ってくる横山さん。
「いえ、私はもう、仕事があるから、行くわ、ここ、好きに使っていいから」
「あ、そうですか、残念……」
私は足早に教室を出ていった。
嘘だ。急ぎの仕事なんてない。
彼女があまりにも気持ち悪くて、一緒の空間に少しでも居たくなかったのだ。
付き合っている人のコピーをあそこに閉じ込めるとは、なんておぞましい女なのかしら……。
それにしても私以外にも持っている人がこの学校にいるとはねぇ。
と思っていたが、しかし、あの箱を持っているのは彼女だけでなかった。
放課後、私は顧問をしている文芸部の方へ顔を出そうとした。
文芸部は旧校舎の三階の教室で活動している。
そこへ向かう途中、新校舎の一階の昇降口前の廊下で、ある二人の男女と出会った。
「あ、先生、さようなら!」
「ええ、さようなら」
明るい笑顔で手を振って昇降口へ行く女生徒に手を振り返す。
「小宮山さん、ほんとに明るくなったわね、ねぇ、岸本君」
先程まで彼女の隣にいた、岸本という男子生徒に言う。
彼はここにとどまっている。
岸本君は文芸部なのでこれから部室へ向かうところなのだろう。
「ええ、そうですね」
彼はなぜか浮かない顔をしていた、
思わず、首を傾げてしまう、
小宮山さんは二年一組の生徒で、性格が暗くていじめられている子だった、
そこのクラスの担任の先生がげっそりとした顔を当時していたから、大変そうだなと対岸の火事として見ていたのをよく覚えている。
そのいじめから彼女を救ったのが岸本君だった、
小宮山さんをいじめる奴らを堂々と非難し、彼女に積極的に話しかけ、自分が所属しているグループの中に入れた。
徐々に彼女は明るくなり、自然と人からも好かれるような子になっていった。
小宮山さんは自分を救ってくれた岸本君に惚れ、今では二人は付き合っているという。
隣りのクラスの担任は岸本君にめちゃくちゃ感謝していた。
私も一目置いている生徒だ。
なのに、なぜ、明るくなった小宮山さんを見て、そんな表情をしているのだろう?
「岸本君、何か悩み事? 相談に乗るわよ」
「ほんとですか? でも……いや、先生になら、いいか……ここでは話しにくいので、場所を移したいんですけど」
彼がそう言うので、文芸部の部室へ移動した。
幸い、まだそこには誰もいなかった。
「それで、悩みって?」
「実はですね……この箱のことなんです」
彼は透明な箱を取り出した。
そこには小宮山さんがいた。彼女は暗い表情をしてうずくまっている。
「え、あなたも、その箱を持っているの?」
「あなたも?」
「ごほん、いや、今のは気にしないで、そんなことより、どうして、その箱に小宮山さんが……岸本君は今の彼女が好きなんじゃないの?」
「……もしかして先生も知っているんですか、この箱を」
「え、ええ、まぁ」
「なら話が早い」
そして、彼は語り出した。
「先生も知っている通り、小宮山さんはいじめられていました。彼女のことが好きだった俺は頑張って助けました。そうしたらすごく感謝されて向こうの方から告白されて付き合うことになって、それから彼女ははどんどん明るくなっていった。でも……」
「でも?」
「それに反するように、どんどん俺の気持ちは冷めていったんです。明るくなってみんなと普通に話して人気者になっていく彼女を見て、なんか違うと思ったんですよね。そしてある日、気づいたんです」
彼はいったん口を閉じて、数秒経ってから、また開いた。
「俺が好きだったのは、いじめられている彼女だったんだって」
「え……!」
その話は衝撃的だった。善良な生徒だと思っていた彼がそんなことを言うとは全く思っていなかったから。
「何を言っているの、岸本君、あなたが彼女を人気者にしたんじゃない」
「ええ、そうです、そうなんです、でも、今の彼女をどうしても愛せないんです、どうしたらいいんでしょうね」
「どうしたらって、今の小宮山さんを頑張って愛せるようにあなたが変わるしか……」
「俺が変わらないといけないんでしょうか?」
彼は目を冷たく細めてそう言う。まるで変りたくないかのように。
「先生、聞いてくれてありがとうございました。もういいです」
岸本君はそう言って、部室を出ていった。
それ以降、彼は私に悩みを打ち明けてくれることはなかった。
私の心にはもやっとしたものが残った。
仕事が終わり、家に帰る。
今日は疲れた。料理を作る気が起きない。
ダイニングのテーブルにカップ麺を置いて、風呂に入って寝た。
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