下町聖女は光を灯す

きたじまともみ

第1話 聖女になる

「アメリア・フローレス。本日よりあなたを、聖女に任命する」


 使い古された木製の扉が、けたたましい音を立てて開かれた。

 王都【ミルベルン】の下町にある診療所で、遠慮を知らない声量が響き渡る。


 目に飛び込んできたのは、小さな診療所には不釣り合いな、眩いばかりの金糸の刺繍が施された外套を羽織った青年だった。


 私も先生も患者さんも、ポカンと口を開けて、突然の来訪者に目を向けた。

 我が物顔で入ってきた青年に、先生がいち早く我に返って声を上げる。


「勝手に入ってこないでください! 診療中ですよ」

「王命だ」


 硬く低い声で、王家の使者だという青年が、先生を黙らせた。「王命?」と待合室で、患者さんたちからざわめきが起きる。

 使者は王家の印が押された紙を、私に突きつけた。


《神託により、アメリア・フローレスを聖女とし、勇者と共に魔王討伐の任に命ずる》


 色々書かれた中で、仰々しい一文が目を引く。


「待ってください! 何かの間違いです」

「間違いではない、名前も住所も年齢も合っているだろう? 自宅を訪ねれば、ここにいると言われた。すぐに登城せよ」

「困ります! 私が聖女だなんて。私にだって生活があります」


 私は七人兄弟の長女だ。一ヶ月前に王立魔法学院の光魔法学部を卒業して、やっと働けるようになった。亡くなったお父さんが残してくれたお金で、学校を卒業することはできたけれど、そのお金も減っていく一方だ。

 お母さんと私の稼ぎで、家族を養っていかなければならない。


「それに、私には聖女の力なんてありません」

「あなたは王立魔法学院の、光魔法学部を卒業している。古くから聖女は光魔法の使い手と伝えられているから、資質は十分だ」

「……そう、なんですか?」


 私が光魔法学部を選んだのは、騎士だったお父さんが光魔法を使っていたから。

 私たち兄弟は、何度もお父さんの治癒魔法で怪我を治してもらった。治療魔法の暖かな光は、怪我だけでなく、心まで優しく照らしてくれるようで、私は小さな頃からそれが大好きだった。


「正直なところ、我が国が誇る最高学府で学び、こんな小さな診療所で働いていることは理解に苦しむ」


 使者が隠しもせずに、呆れ果てたような表情を見せて肩を竦めた。

 大切な職場をそんな風に言われて、私は眉の間を微かに寄せる。私は生まれ育った場所が大好きだし、そこで人と関われるのだから、最高の職場だ。


「とにかく早く来なさい」


 手首を強い力で掴まれて、引っ張られた。鈍い痛みを感じて眉を顰める。


「ちょっと! 女の子に乱暴するんじゃないよ!」


 診察待ちをしていたおばさんが声を荒げた。


「そうです! それに、アメリアの治癒魔法で怪我は治ります。体力のない人でも、体力強化の魔法で手術を受けることができ、助かる人がいます。アメリアは光魔法が使えるにも関わらず、こんな質素な診療所で働いてくれています。アメリアはこの診療所に、なくてはならない存在なんです」

「先生!」


 私を背に庇うよう前に出て、先生がきつい口調で言った。

 まだ一ヶ月しか働いていない私に、そんなことを思ってくれていたなんて。先生の優しさに鼻の奥がツンと痛くなり、目に涙が浮かんだ。胸の前で指を組み、余韻に浸る。


 小さな頃からお世話になっていた診療所で働けて、私の方こそ感謝している。私が子供の頃はおじいちゃん先生だったけれど、最近になって孫である今の先生が継いだ。


「では、光魔法を使える優秀な者を連れてこよう」

「それだけではダメですね。若くて可愛いアメリアだから、ここ一ヶ月で忙しくなりました。治療もないのにアメリアに会いに来るじいさんばあさんが増えました。いつも見ていれば、不調にいち早く気付きます。そのためにはアメリアが必要なんです」


 使者の目元が険しくなった。先生の後ろから顔を覗かせていた私と目が合う。ジッと見つめられて落ち着かない。

 鋭利な視線から逃れるよう、私は先生の後ろに隠れた。


「ならば、若くて可愛く……そしてグラマラスな女性を手配しよう」


 先生が私の前からいなくなった。

 私は困惑の表情を先生に向ける。


「アメリア、王様を待たせるものではないよ」


 先生は私の肩をポンと叩いた。先生の晴れ晴れとした表情とは裏腹に、私の気分は沈む。


「先生ぇ……」


 絶対にグラマラスの部分に食いついたんだ。

 手のひら返しが早すぎる。


「困ります。私は稼がなきゃいけないんです」

「魔王討伐任務中には、この診療所と同等の給金を払おう。討伐後には、報奨金も支払われる」

「……本当ですか?!」


 私がおずおずと訊ねれば、使者は小さく頷いた。

 お給金以外に報奨金まで貰えれば、六人の弟妹にお腹いっぱい食べさせられる。欲しいものだって、買ってあげられるかもしれない。

 私は意を決して、先生に向き直った。


「先生、行ってまいります。戻ってきた時には、また働かせてください。グラマーな可愛い子に負けないように、いっぱい働きますので!」


 頭を下げると、自分のささやかな胸に目がいった。顔を上げると、先生は爽やかな笑顔で親指を立てていた。


「若くて可愛いグラマーな女の子に、夢中にならないでくださいね」


 もう一度念を押すが、先生は満面の笑みを携えるだけ。私はまたここで働けるのだろうか? と疑問を抱きながら、使者の後ろについて、診療所を後にした。





 診療所の前にある路地から大通りに抜ける。古びた下町の風景に似つかわしくない、金箔の施された煌びやかな馬車が止まっていた。

 傍に控えていた御者が扉を開く。


「乗りなさい」

「いえ、無理です」


 馬車なんて乗ったことないし、道ゆく人たちに注目されているし。

 無理やり押し込まれて、扉を閉められた。


 真紅のベルベッドで覆われた内装は、重厚な雰囲気を醸し出している。繊細な彫刻が施された窓枠が目を引いた。


 薬品の匂いが移った仕事着のワンピースで、豪華な馬車に乗るなんて。なるべく触れないようにと中腰の姿勢でいたが、馬車が出発する反動でベンチシートに腰を下ろしてしまった。


「大人しく座っていなさい」


 正面に座る使者は、冷ややかな目を向けていた。居住まいを正す。

 車輪のガタガタという荒っぽい音だけが響いていて、気まずい。


 お給金につられてついてきたけれど、冷静になると不安感に襲われる。顔から血の気は引き、震える身体を抱きしめた。


「どうした。酔ったか?」


 使者に声を掛けられて、首を横に振った。


「あの、勇者と魔王を倒しに行くとおっしゃいましたよね? 私は光魔法は使えますが、他に特筆すべきものはありません。攻撃魔法は使えませんし、運動能力も並で、物理攻撃で戦えるとも思えません」

「勇者と聖女を守護する者が二人同行する。あなたは光魔法で魔王を倒すことだけに集中すればいい」

「光魔法に攻撃魔法はありません。どうやって倒すんですか?」

「知らん! 勇者と聖女が力を合わせると魔王が討てる、と伝承にはある」


 そんな無責任な。具体的な方法が全くわからない。

 ため息をついて、ガラス越しに景色を眺める。馬車の中からだと、古い建物が並ぶ見慣れた下町も、知らない街のように感じられた。

 下町を抜けると、商店が並ぶ活気ある平民街を通る。喧騒が遠くのもののように感じられた。


 貴族街に入ると馬車移動を想定しているからか、道が舗装されていて、馬車の揺れが軽減される。華やかな街並みに、煌びやかな格好の人々。

 お城が近くなってきたと実感して、緊張で手のひらに汗が滲んだ。

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