第6話 一週間
玲子と約束を交わした日から、一週間はあっという間に過ぎた。
職場に向かう電車の窓映りの自分の顔は、以前より少し穏やかだった。
父と別れた夜を境に、毎日が少しずつ柔らかくなる。
幸せ、ではない。ただ、痛みがそのまま痛みでなくなっていくような感じ。
あの日から、胸の奥ではずっと小さな灯が揺れていた。
再会の温度が消えずに残っている。
涙も声も、触れられない温度も。
──あの場所に、また行く。
決めたはずなのに、心の底には恐怖もある。
誰かの痛みを直視する覚悟が自分の中にあるのか分からない。
でも彼女に寄り添い、一緒に前へ進みたい気持ちも確かにある。
その二つがずっと静かに喧嘩を続けていた。
週半ば、母と夕飯を囲む時間が久しぶりに心地よかった。
あの夜のことはまだ話していない。
話せば胸の奥で守っている灯が形を変えてしまいそうで、口を閉じたままだ。
「美羽、最近よく眠れてるみたいね。」
母が味噌汁をすくいながら気づいたように言う。
嬉しかった。見えない変化を拾ってくれて。
「うん。なんか、少しだけ気持ちが軽いんだ。」
「大事なことね。軽くなるって。」
ただそれだけの会話なのに、胸がじんとした。
母の声は、灯と違うあたたかさで心を照らしていた。
でも言えない。
父と再会したなんて言葉、あまりにも現実離れしていて。
鍋から上がる湯気を眺めながら、私は静かにスプーンを置いた。
「お母さん、もし……会いたい人にもう一度会える場所があったら、行く?」
唐突な質問に、母は手を止めた。
でもすぐに、優しく微笑んだ。
「たぶん、行かないわ。」
「どうして?」
「きっと泣くだけだから……」
胸の奥に母の言葉が突き刺さる。
再会は救いだった。でも、それだけでは終わらない。
玲子さんはきっと、あの日の私より強い決意で臨む。
私も横に立てるだろうか。あの灯の前に。
週末。玲子から「準備、できていますか」と短いメッセージが届いた。
たった一行なのに手が少し震えた。
覚悟を問われている気がした。
「はい。一緒に行きましょう。」
送信ボタンを押すと、心の奥がすとんと落ち着いた。
スケジュール帳には、あの日ままのまっすぐな線。
一週間前に記した約束。消えないインクの跡。
私はクローゼットを開け、あの日と同じ白いコートを手に取った。
布越しに指が触れただけで、父の声が風の奥で微かに蘇る。
怖い。でも行きたい。
後悔を抱えた人の隣に立って、少しでもその人の心の支えになりたい。
時計の音が部屋に静かに響いた。
秒針が進むたび、約束の夜が近づく。
次は、私が見守る番だ。
灯を繋ぐ人の隣で。
指先に残る温度は、笑っていた父の面影のようだった。
約束の日の朝。
私は深く息を吸い込んだ。
胸の奥の小さな灯が、そっと新しい色を帯びて揺れるのを感じた。
玲子が待つ場所へ向かう準備は整った。
想い結ぶ夜が、もうすぐやって来る。
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