世界更新の外側で

七瀬ゆえ

雪の街で呼吸する

 2525年の新首都・新潟。

 冬の空気は日の光さえ薄く感じられるほど重い。呼気は白く立ちのぼり、溶けることもなくゆっくり漂い、寒さが街全体を包み込んでいく。だが、不思議と肌を刺すことはない。それが、この都市の造り込みの成果だと、沙紀は物心ついた頃から当たり前のように知っている。


 放課後、いつもの癖で学校の展望フロアに寄る。

 眼下には、褪せたオレンジと深まる群青が混じり合い、ビルの直線が境界をくっきりと切り取っていた。影は鋭く長く伸び、それらは幾何学模様のように並んでいる。都市の景観は完璧で、空気は清潔で、便利さに欠けるところがない。それでも沙紀には、どこか偽物じみた景色に見えた。


 便利で、安心で、整っている。その整い方が、どうにも静かすぎると感じられる瞬間がある。胸の奥で、微かにざわつくような感覚。幼い頃から続くその違和感を、今日も説明できないまま眺めていた。

 箱庭。

 そんな言葉が、ふと頭をよぎる。この都市に嫌悪はない。ただ、どこか生きている匂いが薄く感じられるのだ。積み上げられたものばかりで、深く沈んだ"根"の気配がどこにもない。

 視界の端、淡い霧が新潟湾の上をなめていく。夕日が反射して、街の輪郭がぼやけた。


 そのときだった。ポケットの端末が端末が短く震えた。「遺伝情報照会」の自動通知。都市では定期的に行われる処理で、ほとんどの住民は気にも留めない。

 沙紀もふだんなら流すが、今回は胸の奥にざらつきが残った。理由は分からない。通知は簡素なコードと日時だけで、説明が抜け落ちている。何かの誤作動。それで済ませたいのに、胸のざわつきは強くなるばかりだった。


 画面を閉じようとした瞬間、展望フロアのガラス越しに夕焼けが沈みきる。日の光が消えると同時に、街の整然さが無音の壁のように迫ってくる。


 ──この都市は整いすぎている。


 沙紀は通知を表示したまま携帯を握りしめていた。端末の小さな光だけが、箱庭の中で異物のように感じる。

 日没後の淡い残光が街を離れ、空が群青に沈むころ、思い出したように通知を閉じ、展望フロアを出た。


 帰り道に雪が降り始める。街の均質な灯りが、雪の粒に反射して揺れる様子を見ても、不安は薄まらなかった。都市の静けさがいつもより深く感じられ、歩幅が自然と小さくなっていく。

 通知はただの事務処理かもしれない。

 それでも、沙紀は“何かが始まった”という感覚を振り払えなかった。

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