さよなら、お姉さん。
深海 遥
第1話 きっと、最初から分かってた。
きっと、最初から分かってた。
あの人には、誰かいるって。
それでも俺は、あの人のことを知りたくてたまらなかった。
あの人は俺が定期的に通ってる歯医者の受付にいつもいた。
マスクをしてるからちゃんと顔を見たことはないけど、落ち着いた声と笑顔で接客してくれる。
なんとなく自分より年上だろうなと思っているけど、あの人と話せるのはほんの少しの時間だけ。
俺が知ってるのは、あの人の苗字が”榛原"だということだけ。
「先輩、今度飲みに行きましょうよ」
「分かった。また連絡して?」
定期検診を受け終わって待合室に行くと、受付であの人と見たことある女性が仲良さげに話していた。
「あれ?長谷川じゃん」
「…樋野先輩?」
樋野先輩は俺の高校の先輩。まさか大人になってここで再会するなんて。
「アスカちゃん、長谷川さんと知り合いだったの?」
「そうなんです、高校の後輩で」
「へぇ、世間は狭いね」
俺と樋野先輩の話をにこやかに聞いていたあの人は、チラッと俺のことを見た。俺はドキッと胸が高鳴った。
「樋野先輩は…えっと」
「あぁ、理香子先輩は大学の先輩なの」
「…へぇ」
あの人が言うように、思ったより世間は狭いらしい。
会計を終えて歯医者を出た後、俺はすぐ樋野先輩に連絡する。
あの人と繋がれるかもしれない。
このチャンスを、逃すわけにはいかないと思った。
***
後日、あの人と樋野先輩と三人で飲みに行くことになった。
仕事終わりだったが、待ち合わせ場所に行く前に身なりを整えて少し緊張しながら向かった。
「あ!長谷川!こっちこっち」
俺のことを呼ぶ樋野先輩の声がする方へ歩くと、あの人もいた。
あの人は黒のロングコートにグレーのニット、スキニーデニムに黒のパンプスを合わせた大人の女性の服を見にまとっていた。
初めて見る私服に俺はドキッとした。
「すいません、お待たせしました?」
「大丈夫!お店予約してるから行こう」
あの人の方を見て、思わず口にした。
「初めて見ました。私服」
「そうですよね。いつも制服だったから」
大した会話は出来なかったけど、嬉しかった。
***
樋野先輩が予約してくれた居酒屋で三人で乾杯をする。
女性同士で並んで座り、俺は向かいに座った。
「そういえば、先輩って彼氏さんと一緒に住んでるんですよね?」
俺は衝撃的な事実を耳にして、飲みかけたビールを吹き出しそうになる。
「あー…まぁ、うん」
「年上なんでしたっけ?」
「うん、二つ上」
「結婚とか…話に出てたりするんですか?」
結構踏み込んで聞いてくれる樋野さんに心の中で感謝しつつ、衝撃の事実に少し心に傷を負う。
「どうかなぁー…、一緒に住むと、きっかけがないと…ねぇ」
歯切れの悪い返事をするあの人。その時の表情が、少し暗く見えた。
***
お開きになりあの人と帰る方向が同じの俺は、駅のホームであの人と並んで電車を待った。
「今日は、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。ありがとうございました」
「まさか、先輩と…榛原さんが、知り合いだったなんて。今でもちょっと驚いてます」
「それは私もです。それに…患者さんとプライベートで会うなんて、初めての経験でした」
さっきの表情と違い、いつものようににこっと笑うあの人。マスクの下で、こんな感じに笑ってたんだ。
(初めてちゃんと笑顔見れたけど、可愛いなぁ)
「あの…連絡先って、聞いてもいいですか?」
彼氏がいる相手に、こんなこと聞いちゃダメなんだろうけど、どうしてもあの人に近づきたかった。
「…大丈夫ですよ」
一瞬、目が泳いだ。
その迷いを見た瞬間、胸の奥がざわめいた。
「ありがとうございます」
二人で停車した電車に乗り、それぞれの最寄駅で降りて家路に着いた。
さっそくあの人に、当たり障りのないメッセージを送り風呂に入った。
髪を乾かしながら、待ち合わせから電車で別れるまでを振り返る。
(あの人と話せて、楽しかったな)
思い出すだけで、自分でもにやけてると分かる。
胸の鼓動がうるさいほど響く。
ベットに横になり目を閉じた。
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