魔性の女とポイズン

ユウユウ

第1話



 瞬間、背中に電流が走るような悪寒が走る。気配を感じて振り返ると、そこには主人がいた。いや、十五年前に他界した元主人だ。名前は明宏あきひろ


 結婚当初、私、清香きよかは二十歳、主人は四十歳だった。


 出会いはキャバクラ。ホステスと客だった。自分で言うのもなんだが、私は生まれつきの美とコミュ力を武器に、学歴社会から爪弾きにされた貧困と戦ってきた。


 大手企業勤務の明宏を落としたのは裕福層にのし上がるため。


 二十歳の年齢差婚。毎夜、ブヨブヨの肉体に抱かれ、気持ち悪かったが我慢した。


 結婚と同時に私はキャバクラを辞めて専業主婦になることを選択。でも僅か二年の結婚生活で終幕してしまった。


 私は二十ニ歳と、若すぎる未亡人になってしまったのだ。


 彼は足を浮かせ揺らぎながら鋭い眼光を向けた。

「やっとわたしの存在に気づいたか」


 片足を後方に引き、後退りたかったが、ここは狭いキッチン。背中に感じるのは、黒い冷蔵庫の冷たい感触だった。私は覚悟を決め、額の冷や汗をそのままに唾をゴクンッと飲んだ。


「なっ、何しに出てきたの?」

「お前、わたしを殺しただろう?」


「殺した?」

 私は、あんぐりと口を開けた。

「何を根拠にそんなこと言うのよ!」


 明宏は私を見据えまま、視線を外さない。彼は青白い肌に深刻な表情を浮かべて言った。


「お前は、わたしのワインに毒を入れた。それによりわたしは死んだ」


「何をバカなことを……」

 嘆息して腕を組む。

「一応、尋ねるわ、毒と確信するのはなぜ?」


「検死の結果、確かに毒は検出されていない。死因は心臓マヒだ。だがわたしには心臓マヒになる病変はない。当時は人間ドッグを終えたばかりの健康体だった。そんなわたしが心臓マヒで死ぬ訳がない。お前が致死量の毒を食後のワインに混入させて殺害したに決まっている!」

「ずいぶんな推理力ね。でも残念、アナタは心臓マヒで死んだの。警察にだって疑われてもいないわ」

「それは警察が無能だからだ。わたしは確信している、お前が殺したと」

「理由は?」

「わたしがリストラされて、お前のA T Mじゃなくなったからだ。用無しになったんだよ」


「話にならない、消えて」

 私はシッシッのジェスチャーと共に彼から視線を逸らす。


「悔しい……」

 明宏は、その言葉を残してスーッと姿を消した。


「やれやれ」

 私はクルリと向きを変えて冷蔵庫を開けようとした。でもその時、また背筋に悪寒が走ったのだ。


 振り返る私。


「元御主人が見えたから、僕のことも見えると思ってきてみたよ」


 そこには二番目の主人が立っていた。


「お前、僕を殺しただろう?」


「はっ?」

私は目を見張る。

「アナタは駅のホームに落下して電車にかれて死んだのよ」


「それは分かっている。だが、電車が来る寸前に誰かに背中を押されて落ちたんだ」

「で? 背中を押したのが私って訳?」

「そうだ」

「だとしたら防犯カメラに映ってるよね? 警察には何も疑われなかったよ。アリバイもあったし」

「防犯カメラだと僕の後ろにはフードを被った男が並んでいた。押した瞬間も不鮮明ながら映っている」

「じゃあ、普通に考えてその男でしょ?」

「そうだ。だがあの男は、お前の浮気調査で僕が依頼した探偵の男だ! お前が探偵の存在に気づいて色じかけと金で買収したんだ!」


「色じかけは分かるけど」

 得意の流し目で栗色の長い巻き髪をかきあげた。

「金って何よ?」


「元ご主人の生命保険金だよ。知ってるんだぞ、お前の通帳に三千万円が入っていることを!」


「隠してたのに、こっそり見たのね、卑しい男」

 私は、フンッと鼻を鳴らして顔を逸らす。

「被害妄想も大概にして! もういいから消えて!」


「悔しい……」

 二番目の主人は、そう言い残してスーッと消えた。


(今度こそ)


 私は回転して冷蔵庫の取っ手を握る。、刹那、空気が急に冷え、皮膚がざわついた。また背後に気配が。


「はあ〜」

 私は盛大に息を吐いて振り返る。

「今度は誰?」


「二番目の御主人が見えたから俺のことも見えると思ってきてみたよ」


 そこには三番目の主人が立っていた。


「お前、俺を殺しただろう?」


「はいはい」

 私は両手を腰にあて、一度床を見てから顔を上げる。

「で、何でそう思うわけ?」


「俺が、お前の二番目の主人を殺した探偵だからだよ」

「そうだよね。告白された時はビックリした」

「俺は尾行するウチにお前を愛してしまった。だから邪魔な夫を殺したんだ。お前はそれを知り心の底で俺を恨んでいた」

「恨んでないよ。恨んでいたら秘密を共有しないし愛しもしないし結婚もしないよ」


「まあ、そうだけど……」

 三番目の主人は二重になって振り子のように揺れ始める。

「あれ? 俺はどうして死んだんだっけ?」


「自殺よ」

 私は俯いて額に手をあてた。

「自宅で首を吊ったでしょ」


「ああ、そうだ、思い出した! 俺は自殺したんだ!」

「で、遺書も残さずに死んだから理由を知りたいんだけど」

「それは俺の浮気がバレて、お前に離婚と言われたからだ」


「バカね」

 私は決して触れられないはずの三番目の主人へ手を伸ばす仕草だけをした。

「本気で別れるつもりなんて無かったわ」


「そうか、それを早くに知っていれば……。でも」

 彼はじっと私を見つめ、首を傾げる。

「どうして俺の浮気がバレたんだ?」


「それは、アナタの浮気相手から私に電話があったからよ。アナタもホテルにいて女の背後で騒いでいたじゃない、忘れたの?」


「あー、思い出したぞ」

 彼は意味もなく天井を仰いだ。

「でも、女と寝たのはあの一晩だけだ。行為が終わると、女は俺の自宅に電話した。あの時は混乱して考える余裕がなかったが、おかしいと思わないか? 女には道を歩いていて声をかけられホテルに誘われた。誘いに乗った俺もバカだが、なぜ出会ったばかりの女が俺の自宅の電話番号を知っていたんだ? しかもお前にバラしてから、女は魔法のように消えたんだぞ」


「さあね、それは分からないわ」

 首を捻る私。

「でも、もう過去のこと、忘れて安らかに眠って」


「そうか、モヤモヤするが仕方ないよな」


 三番目の主人はそう言い置いてパソコンのシャットダウンのように消える。


 私は再度、冷蔵庫に身体を向けた。だが、まただ、また背中で冷気がザワつく。


「ふふふ」


 声の方を見ると最初の主人、明宏が笑っていた。


「その女の正体は、わたしだよ」

「はっ? アナタが?」

「わたしが適当な女に化けたのさ」

「なぜ、そんなことをしたの?」

「お前が一番長く探偵男と一緒に暮らしていたからだよ。面白くなかった。だからぶち壊した」


「最低ね、アナタ」

 私は明宏に背を向けて冷蔵庫のドアを開く。

「用が済んだら消えてくれる? そろそろ夕食の支度をしたいの」


「旦那のか?」

「そうよ。そろそろ帰ってくるから」

「結婚して、そろそろ一年だな。呪い殺したくなってくるよ」


「あら、その必要はないわ」

 私はまな板の上に長ネギを置いて包丁で細かく刻む。


 トントンとキッチンに響く音と共に冷たい空気が去って震えが止まった。明宏の気配が消えたのだ。私は包丁を止めて口角を僅かに上げた。


 エプロンのポケットに忍ばせた小瓶を取り出して見つめる。この毒薬は即効性で心臓マヒを起こす優れモノ。優れているのはそこだけじゃない。この毒は体内に吸収されてから一時間で跡形も残らず消えてしまうのだ。


 キャバクラ時代に客のツテで海外から仕入れた闇のポイズン。振り向いて、さっきまで明宏がいた空間に声を放ってみる。


「アナタと同じ方法で殺すから」


 愛って何だっけ? そもそも私は主人を亡くして泣いた経験がない。


 調理台に向き直る。刹那、ブルッと震えた。


 あー、すっかり忘れてたが、三番の後に四番目と五番目も毒殺している。つまり、これから狩るのは六番目の主人だ。


「お前、オレを殺しただろう?」


 またこの繰り返し。勿論、振り返り、私は強く否定する。


「そんなことするわけないでしょ!」



 通帳の残高がまた増える。愛する保険金は貯まり続ける一方だ。しかし、私は八番目の主人で致命的なミスを犯してしまった。毒を混入している姿を見られてしまったのだ。



 結果、私は今、八番目の主人の背後に立っている。彼は自分の存在に気づいたのか、肩をビクリと上下して振り返った。


 私は恨みを込めた瞳で主人を直視する。

「アナタ、私に無理やり毒を飲ませて殺したよね」


 八番目の主人は銀縁のメガネがズレる程せせら笑う。そしてこう言った。


「今まで旦那たちを毒殺してきた天罰が下ったのだよ。ありがとう。お前のおかげで、わたしは金持ちだ」


 自分を、わたしと呼ぶのが明宏と同じで気持ち悪い男。私は絶対に八番目を幸せにはしない。呪い殺すと決めている。


 その時、刺すような悪寒が走る。恐る恐る振り返ると、背後には毒殺してきた主人達が並んでいた。


「やっぱり、我々は君に毒殺されたんだね」


 顔ぶれを確認する。成仏したのか、私が手を下す前に死んだ二番目と三番目の主人の姿はない。


 主人たちは言う。


 「君は死んでからが本番だ。――これから、何度でも呪い殺される運命だよ」

「なっ……!」


 胸の奥で、コトリと何かが落ちる音がした。それは、もう価値を失った金ではない。


 床に氷を落下させながら、背骨を冷たい指先がゆっくり這い上がってくる。


「ああああっ……」


 歯がガチガチと音をたて、悲鳴のかわりに鳴った。


 全身を震わす私の背後で、何番目かの主人の声が、楽しそうに囁いた。


「復讐地獄にようこそ」

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